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昨今の新聞記事やテレビ等でお聞きする言葉遣いで、違和感を覚えるものがあります。例えば「仮定の質問には答えられません」という返答を官房長官が会見の場でよく口にしていますが、これは逃げの一手のように聞こえます。だが、いつも疑問に思いますが、質問を行なった方はなぜかここで引き下がってしまいます。
ここで食い下がってしまうと、自分も有名な記者のようにオミットされてしまう事を恐れているのであろうか。説明する責任がある権力の側がそういう安易な手法で逃げるのならば、逆にマスコミ各社は結束してオミットし返せばいいのではないでしょうか。
そもそも仮定の話ができないと言うのは、実はその先にもくろんでいるスキームを隠しておかなければならない事情があるというのか。それともご本人に想像力そのものが欠落しているかのどちらなのだろうか。
また「対案を出せ」と言うのは、性質の悪い屁理屈として頻繁に使用されています。適切でない企てを遂行したい勢力が、それに反対する側に対してならばと持ち出す便利な言葉でしょう。
今このタイミングでイシューにすべきではない問題でも、反対している側に「サボタージュする者」というレッテルを貼ることができる印象操作用語です。これはすこぶる狡猾な手法で、その罠とも言える土俵に乗ろうとするどっちつかずの野党の党首もいます。
さらに「その指摘はあたらない」というのは、実は「そんなことはない」と言っているだけなのですが、単に否定するとその根拠を問われる流れが起きてしまう恐怖心からか、客観的事実を話しているような錯覚を与える表現になのます。質問する側には、「どうあたっていないのか」「なぜ指摘が間違っているのか」を聞き返す小さな努力はして欲しいです。
さらに「誤解を与えたのだとしたら、撤回する」と謝罪を求められたときに使われる言葉ですが、これぐらい不遜で尊大な詫びは失礼ではないでしょうか。まるで我々が勝手に誤解したような口ぶりで、完全に相手のせいにしてしまっているのです。
.. 2019年10月03日 13:20 No.1761001
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