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■--自主武装
++ 伝六 (大学生)…90回          

政府は日米同盟の強化をいうが、今の日米同盟は実質対米従属である。自主防衛の上にたって同盟するというのなら、同盟であろうが、自主防衛ができなくて同盟するというのは変な話だ。非軍事同盟だというかもしれないが、経済で同盟だというのなら、この分野のほうがよけい同盟関係ではない。政治面では同盟でなくアメリカのコントロール下にある。・・・・。自主武装というのは、たとえば、迎撃ミサイル装置を買っても、軍事衛星の情報がなければ、使いものにならないのだ。アメリカの担当官が昼寝?をしていたら、日本は一巻の終わりになる。今すぐ軍事衛星をうちあげることはできないが、そういうことができる了解をアメリカからとるべきだ。いざという時にアメリカの手をかりなければ何もできないというような同盟を強化したって、国民のためにはならない。
.. 2009年01月21日 10:41   No.175001

++ タク (社長)…268回       
現在の日本を考えると、徳川家康を連想してしまう。徳川家康は小藩の大名として、織田信長と攻守同盟を結び、妻子を信長に殺されても我慢して、遂に天下を手に入れる。徳川家康を今の日本に生きていたならば、あらゆる苦情、あらゆる反対に目を瞑って米国と攻守同盟を締結したのではないでしょうか?これが、今の日米同盟に思えます。

.. 2009年01月22日 18:49   No.175002
++ 伝 (大学生)…93回       
なかぬなら殺してしまえほととぎす 織田信長
なかぬなら鳴かしてみせようほととぎす 豊臣秀吉
なかぬなら鳴くまでまとうほととぎす 徳川家康
三人の中では家康が一番平和的?だけれど、待とうと言ったところに覇道的意思がある。王道的には、
なかぬなら鳴いたらきこうほととぎす
覇道、王道というのは若干こじつけですが。

.. 2009年01月24日 10:21   No.175003
++ タク (社長)…269回       
関ヶ原の戦いの直前、徳川打倒の旗を会津若松に掲げて、挙兵した上杉景勝の家臣・直江兼続の配陣を日光等の関東北部から奥羽口の白河にたずねて、石原莞爾は驚嘆したといいます。直江兼続は主戦場を白河の南にある革籠原として、軽兵を越堀と芦野に出して戦いを挑んで、敗れながら退却して、敵を主戦場に導いて主力を若松、宇都宮街道の高原に伏せて、徳川親子の大軍を袋の鼠にして懺滅を計ったその雄大な作戦には多大の興味をもった。上杉討伐で江戸城から宇都宮に出陣して、上杉勢に戦いを挑まなかった徳川家康も流石であると思った。短期戦の名人は織田信長で、長期戦の名人は徳川家康である。織田信長は数多くの戦いに勝利して天下を取れなかったが、徳川家康は数多くの戦いに敗れながら最後に勝利して天下を取った。

源頼朝は自ら戦わないで天下を握ったが、源義経は短期戦で数多くの武勲を残しながら、奥州藤原家に落ちぶれて衣川にて消えた。戦いには武力戦と政治戦がある。国を守るものは、国防の大役に任ずるものは武力戦だけを心得て、政治戦を知らなければ国防の大役は果たし得ないとして政治戦もまた勉強しなければならないと石原莞爾は考え東亜連盟創始者、木村武雄に語ったそうです。

.. 2009年01月25日 09:17   No.175004


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