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■--加速する時の流れ
++ 仲條拓躬 (社長)…385回          

地球をこれだけ破壊してこれからの人間はどれくらい生きられるのであろうか。年齢を重ねると時の過ぎ行くスピードが若き日の頃と比べてかなり速く感じます。小学校での1年はとても長く感じた、それは、学ぶ事がたくさんあり1日が充実していたからであろうか?
近年毎年思うことだが、1日、1週間、1ヶ月と忙しさの中あっという間に時が過ぎていき、年の瀬、新年を迎えるのです。時の流れの速さに怖さを実感する、今日この頃です。年配の方が、「この間」と話すとき、それが10年も前の話であったりすると若い世代は驚いてしまいます。
自分の寿命を意識しないことには若さを保つ秘訣があるように思えます。だが、貴重な時間を実感できずに終焉を迎えるリスクも忘れてはならないのであろう。自分は今まで一体何をしてきたのであろうか? 最近は体力も衰える時期となりました。
地球の環境破壊、世界情勢、理想とする恒久平和には、微力で何もできませんが同じ志を持つ方が石原莞爾平和思想研究会に集まってくれたことはとても嬉しい限りです。これからも同志を大切にしていければと思います。
死が遠い近いにかかわらず、誰もがつねに、同じ重大さをもって、同じ問いを投げかけられ、寿命から逆算して減っていく人生の残り時間を惜しみ怯えるのではなく、また新たな一日をもらったと感謝の思いで臨みたいものです。
そうであれば、いきいきと潔く、今日という日を生きられるような気がします。これからの未来の事を考えれば落胆することがあると思いますが、回避する方法を考えたり、嫌な思いをしない方法を考えたりしながら、歩んでいこうと思います。
人との付き合いでは、随分嫌な思いもしましたが、今までの時の流れを考えれば、辛い事、我慢する亊、嫌な思いをするのは一瞬のこと。人生の中ではそのように考えたほうがいい一瞬の事が多々あると思います。
年会費の納入のお願い
いつもお世話になっております。
同志におかれましては今年度の会費の納入を賜りたく、149号に振込用紙を同封させて頂いた次第でございます。
石原莞爾と東亜連盟の志を後世に継承させるためにも、これからの若者を支援し且つ育成したいと心から願っております。会費の納入を何卒よろしくお願い申し上げます。
石原莞爾平和思想研究会 会長 仲條拓躬
.. 2019年09月02日 11:08   No.1739001

++ タク (社長)…980回       
機能性ディスペプシアと添加物

最近、胃もたれが酷い、あるいわ、胃痛が続くということはありませんか。それはもしかすると、添加物が原因しているのかもしれません。2011年2月24日付の朝日新聞「異常なし、でも胃が痛い」というタイトルで、興味深い記事が掲載されていました。

最近、検査では異常がないのに、胃もたれや胃痛が続くという人が多いと言います。東京都の会社員の女性は10年あまり胃の不調に悩んできたといいます。すぐに満腹を感じ、胃もたれが酷く、食欲がなく憂鬱で体重は10kg以上減ったといいます。

これは「機能性ディスペプシア」といわれ、原因がはっきりしていないのですが、胃の運動機能異常や刺激に対する胃貼膜の知覚過敏、胃酸の分泌異常などが複雑にからんではおこるのではと考えられます。これは添加物が原因ではないかと言うことです。

なぜなら、添加物の多い食品を食べたときに起こる表情にそっくりだからです。市販の菓子パンやケーキなどを食べると、胃が刺激されてピリピリと痛み、胃もたれがします。また、胃が張るような膨満を感じます。

機能性ディスペプシアは、欧米で80年代、日本では90年代に注目されはじめたといいます。国際的な診断基準があり、「つらいと感じる食後のもたれ感」「早期飽満感」「心窩部痛」のうち、どれか一つが当てはまるケースが、そうです。

いずれも、添加物の多い食品を食べた際に感じられる症状とそっくりなのです。日本人の場合、成人1万人のうち14%が、これらの症状を日常的に経験していたといいます。そんな方に提案したいとおもいます。一度添加物を食べてみてください。

いや、一度ではわからないかもしれないので、何回か続けてみてください。そして、添加物の多い食品を食べたときと比べてみてください。おそらく、添加物のない食品を食べたときには、胃もたれやすぐの満腹感を感じることはないのではないでしょうか。

お医者さんは、添加物の害をあまり問題にしません。厚生労動省が判断しているからでしょう。しかし、それはあまりあてになりません。したがって、自分でよく判断するしかないのと思うのです。

.. 2019年09月02日 11:28   No.1739002
++ 渡辺マリ (平社員)…143回       
9・1関東大震災朝鮮人大虐殺〜無念の思い
 |  墨田区横網町公園で開かれた、追悼集会…
 |  過去を「なかったことに」してはいけない
 |  私たちは、なぜこの事件を記憶しなければならないのか?
 |  ヘイトスピーチはジェノサイド(集団虐殺)につながる
 └────  (たんぽぽ舎ボランティア)

〇 9月1日、墨田区横網町で開かれた「日本人に殺された」朝鮮人の
追悼式に行ってきました。主催者発表で、参加者は約700人。
 死者を悼むための朝鮮の舞いと、いろいろな人の追悼文が読み上げら
れました。その中で、繰り返された言葉は「無念の思い」。
 考えてみよう。そもそも、朝鮮人がなぜ日本に来たのかを。日本帝国
主義によって、生活の術を奪われた人々が生きるために、或いは日本帝
国主義によって「強制連行」されたためだ。
 その人たちが追い込まれたのは劣悪非道な労働と差別。その彼らも
日本人と同じ人間で、同じ地震にあった、そして同じ恐怖にあった、
その彼らに日本人は襲いかかり、残虐非道な方法で「殺した」のだ。
これを「無念の死」と言わずして何と言う?

〇 なぜ、私たちは「記憶」しなければならないのか?

 「忘れてしまう」ことは死者を冒涜することになるからだ。
 追悼文の中には「安らかに眠ってください」という発言もあった。
 こういう考えもあっていいのだろうが、私はこれに違和感をもつ。
 彼、或いは彼女が「安らかに眠る」ことができるのは、心からの謝罪
とお詫びだろうと思う。
 小池都知事は今年も追悼式に追悼文を送らなかった。
 過去を「なかったことに」してはいけない。「なかったこと」或いは
「水に流してしまえば」再び同じことを繰り返すからだ。

〇 同じことが繰り返される今

 在特会のヘイトスピーチを知っているだろうか?
 「朝鮮人は人間ではない」「ゴキブリだ」「井戸の中に放り込め」
そして「殺せ、殺せ」ということを白昼堂々と叫んでいるのだ。
 関東大震災朝鮮人虐殺の再現だ。
 大げさな?そうではない。ヘイトスピーチは、ジェノサイド(集団
虐殺)に繋がるのだ。

.. 2019年09月03日 06:10   No.1739003
++ 渡辺マリ (平社員)…144回       
〇 頑として強制連行を否定する安倍政権、「謝罪」の代わりに報復
貿易を仕掛けた安倍政権。「官」がお墨付きを与えるから、「民」も
活気づく。
 過去を直視せず、謝罪をしない、これが1910年の韓国併合から連綿と
続く日本の姿だ。
 過去の犯罪は「日本帝国主義」の問題だけではなく、今の「日本」に
も続いているのだ。
 だから、私たちは「記憶し続けなければならない」

※関連記事
 9月、東京の路上で    前川喜平 (現代教育行政研究会代表)

 劇団「燐光(りんこう)群」の「9月、東京の路上で」(坂手洋二作・
演出) を見たのは去年の夏だった。
 1923年9月1日の関東大震災のあとに起きた朝鮮人の虐殺を時系列で
追う「報告劇」。原作は加藤直樹さんの同名の本だ。
 震災後「朝鮮人が放火した」「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「不逞鮮
人が日本人を襲う」などの流言飛語を信じた「自警団」が朝鮮人を次々
に殺した。
 軍や警察も虐殺に加担した。人々の心の中に巣くう偏見や差別意識
が、不安や恐怖に突き動かされ、極めて残忍かつ醜悪な暴力として
顕在化した。
 百年近く経った今日でも起こりかねないことだ。
 韓国に対し殊更に強圧的な言辞をあからさまに吐く政治家たち。
これでもかと嫌韓を煽るテレビの情報バラエティー。
 「日本人の女性観光客を襲うのは世界で韓国しかない」「日本男子も
韓国女性が入ってきたら暴行しなけりゃいかん」。こんなヘイト丸出し
の言葉を平気で言い放つ「有識者」。
 小池東京都知事は、今年も朝鮮人犠牲者追悼式に追悼文を送らな
かった。日本の「負の歴史」に真摯に向き合おうとしなければ、忌ま
わしい過去は繰り返されるだろう。
 9月1日は単なる防災の日ではない。大量虐殺という人災を繰り返さ
ないための誓いの日でなければならないのだ。
    (9月1日東京新聞29面「本音のコラム」より)

.. 2019年09月03日 06:26   No.1739004
++ 愼民子 (小学校低学年)…8回       
私が直接聞いた「関東大震災の朝鮮人事件の恐怖の中で
 |  朝鮮人を助けた」話、「助けられた」話
 |  石橋えり子さん、北川さんのおばあさん、
 |  助けた日本人を探してくれと頼まれた話…ほか
 └──── (シンミンジャ)
          (「一般社団法人 ほうせんか」)
                  (その4)(全6回の連載)
    (その3)は8/27発信【TMM:No3730】に掲載

 9月は各地での関東大震災時の朝鮮人犠牲者追悼式から始まる。
9月1日千葉船橋。東京両国。埼玉本庄・神保原・熊谷。4日さいたま
市。7日神奈川久保山。東京墨田区八広。8日東京亀戸日本人。東京東
大島中国人。千葉八千代。14日群馬藤岡。その他にも、執り行われる。

 今回は、私が直接聞いた「関東大震災の朝鮮人事件の恐怖の中で、
朝鮮人を助けた」話、「助けられた」話を紹介します。

 朝鮮人を見たら、殺さずにはおかないという状況の中、「助ける」の
も命懸けであっただろう。「殺さない」人達も少なからずいた話は、
「殺される側」の者にとって、正に救いの神である。
 近年ヘイト発言や、残虐な事件が増える中で、事件を知り、忘れず、
過ちを繰り返さずと思う人たちが、確実に増えていることを添えて
報告したい。

.. 2019年09月03日 07:05   No.1739005
++ 愼民子 (小学校低学年)…9回       
◎ 石橋えり子さんの「祖母から聞いた話し」

 (略)朝鮮人が攻めてくる、井戸に毒を入れたらしい、という話しが
隣近所の人を介して伝わってきたという。
 当時は祖母の工場にも朝鮮人の職工がいて、長年、近所に家族持ちで
住んでいた。夜になって、近所のごろつきの○○ちゃんがえばって棒を
持って表通りに立っている。通りがかりの人をいちいち誰何している。
朝鮮人を見たら捕まえるらしいという話がどんどん広がってくる。心配
になった祖母は、家の裏手に住んでいた朝鮮人の職工一家を家に呼び
込んだ。そのうち棒を持った近所の男達が外を闊歩するようになり、
とうとう男達たちは祖母の家にも来て、朝鮮人を出すように言った。
「あたしは言ったんだよ。うちの者には指一本触れさせないからね。
朝鮮人が井戸に毒入れるとか、そんなことするわけがないだろ。ありも
しないこと出まかせ言って、そんな証拠があるのか、出してみな!うち
の顔をつぶしてまで、連れていくかって言ったよ。」
 祖母はとうとう男達を追い出して、その家族を守りきったと言う。
次の日、近所の話しでは、この辺りでは朝鮮人は捕まらなかったらし
い。それより、どもりの××さんが捕まって袋だたきにあった、と言
う話しだ。

◎ 北川さんのおばあさんの話

 「おばあさんはね。日本人から追いかけられて逃げてきた朝鮮の女の
人と赤ちゃんを、押入れにかくまって自分の着物を着せて逃げさせた
のよ。」
 私が生まれる前に亡くなった祖母のことを、母は子どものころから
このように伝えていました。小さい頃から何度も聞かされてきたので、
恐怖に震え赤ん坊を抱きしめた白いチマチョゴリ姿の若いお母さんが、
母が子どもの頃から住んでいたの家の押入れにいる姿を、自分も見た
ような気がしていました。

◎ 墨田に住む李文子さんの話

 李文子さんは、私が次男を預けた保育園の同じ組の母親でした。聞く
と、「アボジ(父)は横浜で被災し、親方が押し入れに数日間匿ってく
れた。もう、隠しきれないと船に乗せて逃がしてくれて、着いた先が
北海道だった。」文子さんのお姉さんがソプラノ歌手で、私どもの追悼
式で長い年月、追悼の歌「ほうせんか」を歌い続けてくださった李松子
さんです。

.. 2019年09月03日 12:03   No.1739006
++ 愼民子 (小学校中学年)…10回       
◎ 感謝の碑を建立・墨田区法泉寺

 鄭宗碩氏の祖父一家をかくまってくれたのは、真田千秋さん。
お孫さんの承諾を得て、お墓の脇に2013年に建立した。
 鄭さんが父親から聞かされた話「父は当時19歳。渡日してきたばかり
で、白鬚橋近くの鉄工所でコークスの燃え殻を捨てる仕事を祖父として
おり、真田さんは工場長(当時30歳)。祖父と真田さんは気が合い、
酒を飲み交わす仲だった」
 「悲惨な事件が有り、助けてくれた方がいて、自分は今生きていら
れる。事件を認めない行政に憤りを思って、感謝の碑を建立した。」

◎ 助けた日本人を探してくれと、頼まれた話

 2012年4月韓国の済州島に行った折の大勢での打上げで、ハンギョレ
新聞の挿絵家の朴在東氏という方と隣り合わせた。
 日本から来たと言うと、「祖父を匿い助けてくれた下宿の主人に感謝
したい」と挿絵入りのメモを託された。
 で、朝日新聞の声の欄に掲載して頂いたけれど、名乗り出る方は
いらっしゃらなかった。「祖父は知人と二人で働いていた(横浜か)
が、二人とも無事に帰国できた。」「日本人が怖かったことと、助けて
くれた下宿屋の夫婦の話をよく聞いた」「助けてくれて、帰国できて、
子どもも得て、幸せに生きて、孫の自分に事の顛末を詳しく話すことが
できた祖父と共に感謝している」と。

〜〜お隣にもあるかもしれない話、ご存知な事があったら、
教えて下さい〜〜

.. 2019年09月03日 12:29   No.1739007
++ タク (社長)…981回       
大久保清連続殺人事件

赤いベレー帽をかぶり、絵のモデルにならないかと誘う連続強姦魔です。犯人は、大久保清、罪状は、死体遺棄及び強姦殺人。1971年5月13日午後6時頃、群馬警察は、会社員のAさん誘拐容疑で大久保清の身柄を拘束しました。

そして、26日、警察の詳しい取り調べに、大久保はAさん殺害を認め、さらにこの2か月の間に捜索願がだされていた女性のうち7人の殺害を自供。Aさんを含めて8人の死体は、供述通りに発見されました。大久保清は1935年1月、群馬県高崎市で生まれました。父親は国鉄の機関士、母親はロシア人とのハーフです。

兄弟は姉妹5人と兄が1人います。大久保清は「ボクちゃん」と呼ばれ、兄妹のあいだでは特にかわいがられていたといいます。大抵のわがままやいたずらは許され、母親は大久保が36歳だった事件当時まで「ボクちゃん」と呼んでいました。

小学6年の時、幼女に性的いたずら。被害者の親が抗議に来た時も、母親は「ボクちゃんがそんなことをするはずがない」と信じようとはしませんでした。地元の中学から定時制高校に進むが半年で退学。横浜市の電器店にて住みこみで働き始める。だがすぐに実家にもどり、ラジオ修理販売店を開業しますが、19歳の頃、窃盗事件を起こし閉鎖します。

1955年7月、伊勢崎市で大学生になりすまし、女子高生に強姦して、懲役1年6ヶ月、執行猶予3年の判決を受けます。しかし、その半年後にも再び強姦未遂事件を起し、今度は懲役3年6ヶ月の実刑判決を受けた。1962年、ナンパで知り合った女性と結婚。自宅で牛乳販売店を開業して、一男一女をもうけました。

1965年6月、自分が配達した牛乳の空きビンを盗もうとした少年を捕まえ、その兄を恐喝したために訴えられ、公判で強姦の前科が明らかになり、この事件後、店の売上げは大きく落ち込み、強姦を繰り返すようになりました。

1966年12月、ナンパした高崎市の女子高生を強姦、さらに翌年2月に顔見知りの短大生を強姦して逮捕され、懲役4年6ヶ月の判決。1971年3月2日、府中刑務所を仮出所した大久保は、室内装飾品販売業を営むという計画書をだして、父親にマツダ・ロータリークーペを買ってもらって毎日外出していました。だが、商売をする気はなかった。

.. 2019年09月03日 12:48   No.1739008
++ タク (社長)…982回       
これ以後、ナンパに明け暮れたといっても過言ではなく、ベレー帽にルパシカ(ロシア風の上着)という芸術家風のいでたちで、脇には小説を抱えた。これが大久保の考える魅力的な男だったと言います。大久保は主に県内の主要な駅のターミナルに出没、「美大を出た絵描き」「太田市の中学校の教員」と名乗って、女性に声をかけました。

「教員だという男の人に、絵のモデルになってくれと頼まれたの。ちょっと行ってくる」1971年5月9日、日曜日の夕方、群馬県藤岡市のOL・G子さん(21歳)は、こう言って家を出たきり自宅にもどらなかった。彼女はそれまで無断外泊をしたことはなく、日付が変わっても戻らないのを心配した家族は警察に届け、徹夜で捜索を始めました。

10日早朝、近くの信用金庫前で、G子さんの兄が妹の自転車を発見。そばには中年の男がいて、軍手をはめたていたので、兄が声をかけると、男はそばに停めてあった車で逃走した。兄は車種とナンバーを覚えており、ここで県内に住む大久保清(当時36歳)という男の名が浮上しました。

大久保は強姦致傷、恐喝など前科4犯を重ね、この年の3月に府中刑務所を出所したばかりでした。5月13日夕方、大久保は前橋市の路上で、家族の私設捜索隊によって取り押さえられました。逮捕されてしばらく、大久保は「絵のモデルになってくれと言って誘い出したことは事実だが、モーテルに連れ込もうとしたら怒って逃げられた。」

などと、G子さんの行方については何も話しませんでした。5月21日、榛名湖畔で若い女性の遺体が発見された。警察が最近2ヶ月のあいだに捜索願が出された女性中から、大久保が狙いそうな女性をピックアップした中の1人、行方不明となっていた女子高生(17歳)のものでした。

.. 2019年09月03日 12:54   No.1739009
++ タク (社長)…983回       
5月26日、大久保は厳しい取調べを受け、G子さんの殺害死体遺棄を全面自供。翌日には供述とおり、妙義山北面の桑畑に埋められた女性の遺体が発見されました。取り調べでは、他の家出人女性についても聞きだした。このあと大久保はすんなり自供を始めた。以後、被害者の遺体は次々と掘り出されました。

大久保事件の被害者は8人にも及ぶ。16歳から21歳までの若い女性が狙われており、ナンパして関係を迫り、抵抗されたりすると殺害した。大久保が逮捕されるまでに声をかけた女性の数は約130人。最初の殺人から、わずか41日間で8人を殺害しました。判決は、1973年2月22日、前橋地裁は大久保に死刑判決を下しました。

.. 2019年09月03日 13:02   No.1739010


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