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石原莞爾は思想家としてもよいが、思想について職業にしている人の一般的傾向である、いささか神経過敏なところはない。その例を最終戦争論からあげると、 「今の世の中でも、もしもピストル以上の飛び道具を全部なくしたならば、選挙のときには恐らく政党は演壇に立って言論戦なんかやりません。言論では勝負が遅い。必ず腕力を用いることになります。しかし警官はピストルを持っている。兵隊さんは機関銃を持っている。いかに剣道、柔道の大家でも、これではダメだ。だから甚だ迂遠な方法であるが、言論戦で選挙を争っているのです。兵器の発達が世の中を泰平にしているのです。この次の、すごい決戦戦争で、人類はもうとても戦争をやることはできないということになる。そこで初めて世界の人類が長くあこがれていた本当の平和に到着するのであります。」 争いのあるところ、結局は腕力になるという文明の程度から、我々はまだ脱却していない。選挙どころか、国会討論でも、どうも討論にはなっていないようだ。言葉の暴力?の応酬に近いのでは。
.. 2009年01月12日 16:26 No.172001
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