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戦争は外交問題が決別した時の最終手段と言われています。だが、平時に戦争の必要性を議論するのはまずいのではないだろうか。現在は、誰もが、録音や撮影が可能なスマートフォンを所持しております。また、録音や撮影したものを直ぐに配信したり、インターネット上にアップロードする事ができる時代です。
私がホームページを開設したのは1998年、インターネットでメールを使い始めた頃と重なります。メールによる議論は言葉のニュアンスが伝わらない為、よい結果を生まないことを多々体験してきました。現在は、SNSなど一方的かつ偏向的に情報が流されます。
間違った情報もしくは意図する事とは異なる情報が配信された時、被害を受けた当事者は、反論もしくは弁明の機会が与えられる事はほとんどないのです。悲惨な体験をした敗戦国として、戦争による事態の打開や解決は避けるべきとするのは当然のことです。
丸山穂高議員は、戦争発言以前に、アルコールが入ると性格が変わり、不適切発言が多いとなれば、政治家としての適性に欠けるということでしょうか。言い換えれば、アルコールが入らなければ本音が言えない、建て前の議論しか言えないということになります。
石原莞爾平和思想研究会においては、国際政治学や国際法を勉強したことがある同志であれば、戦争は外交、国際紛争の最終解決手段であることは、十分理解できていることでしょう。この認識のない人は、政治家を目指してはいけないと思うのです。
孫子の兵法の中で「百戦百勝は善の善なるものにあらず、戦わずして勝つは善の善なるものなり」つまり、一方で戦争の可能性を意識しながら、外交によって勝利することを際限なく模索し続けることが国を背負う政治の目指すところだと思うのです。
今の日本では、外交問題の解決のために直接的に戦争を議論するのはいけません。一般人が話すのと政治家が話すのとでは重みが違うのです。政治家としての適性を欠くのは否めません。
.. 2019年06月05日 13:08 No.1676001
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