返信


■--戦争を議論する政治家
++ タク (社長)…869回          

戦争は外交問題が決別した時の最終手段と言われています。だが、平時に戦争の必要性を議論するのはまずいのではないだろうか。現在は、誰もが、録音や撮影が可能なスマートフォンを所持しております。また、録音や撮影したものを直ぐに配信したり、インターネット上にアップロードする事ができる時代です。

私がホームページを開設したのは1998年、インターネットでメールを使い始めた頃と重なります。メールによる議論は言葉のニュアンスが伝わらない為、よい結果を生まないことを多々体験してきました。現在は、SNSなど一方的かつ偏向的に情報が流されます。

間違った情報もしくは意図する事とは異なる情報が配信された時、被害を受けた当事者は、反論もしくは弁明の機会が与えられる事はほとんどないのです。悲惨な体験をした敗戦国として、戦争による事態の打開や解決は避けるべきとするのは当然のことです。

丸山穂高議員は、戦争発言以前に、アルコールが入ると性格が変わり、不適切発言が多いとなれば、政治家としての適性に欠けるということでしょうか。言い換えれば、アルコールが入らなければ本音が言えない、建て前の議論しか言えないということになります。

石原莞爾平和思想研究会においては、国際政治学や国際法を勉強したことがある同志であれば、戦争は外交、国際紛争の最終解決手段であることは、十分理解できていることでしょう。この認識のない人は、政治家を目指してはいけないと思うのです。

孫子の兵法の中で「百戦百勝は善の善なるものにあらず、戦わずして勝つは善の善なるものなり」つまり、一方で戦争の可能性を意識しながら、外交によって勝利することを際限なく模索し続けることが国を背負う政治の目指すところだと思うのです。

今の日本では、外交問題の解決のために直接的に戦争を議論するのはいけません。一般人が話すのと政治家が話すのとでは重みが違うのです。政治家としての適性を欠くのは否めません。
.. 2019年06月05日 13:08   No.1676001

++ 渡辺マリ (平社員)…130回       
国家間で「解決済み」ならば被害を受けた人たちの
 |  心は無視していいのか?
 |  本のお勧め 「三たびの海峡」 帚木蓬生 (新潮文庫)
 └────  (たんぽぽ舎ボランティア)

☆「一度目」は戦時下の強制連行だった。朝鮮から九州の炭鉱に
送られた私は、口では言えない暴力と辱めを受けた。
 「二度目」は愛する日本女性との祖国への旅。地獄を後にした二人は
ささやかな幸福を噛みしめたのだが…。
 戦後半世紀を経た今、私は「三度目の海峡」を越えねばならなかった。
               (表紙カバーより)

〇「一度目」=徴用工として日本へ
 主人公が送り込まれた炭鉱、そこは過酷な労働に加え、暴行、私刑、
自死、拷問死…、相手を殺さなければ自分が殺されるという
「生き地獄」。
「オモニ 腹がへった 家に帰りたいよ」(本書p333)
→安倍首相の言う「募集に応じて来た朝鮮半島の労働者」の姿が
描かれる。

〇「二度目」= 愛する日本女性と祖国へ
 「何で倭奴(ウエノム)の女なんか連れて来た」。
 ムラ八分同然となった二人。しかし共に生きて在る幸福を?み
しめて生きる、その二人に授かった生命。
 しかし、ある日、妻は余儀なくその親と共に日本に帰ってしまう、
赤ん坊と共に。

 海の向こうにある島、回想すれば必ず苦しみを伴う海。
 海は間近にあったが「私は故意に海を見なかった」
 後に再会することができた時、息子は言った。
 「母は海を眺め、お父さんはあの海の向こうにいるのよ、と言って
いましたね」(略)
私は胸を衝かれた思いで、絶句する。(p468)

〇「三度目」=ある決意を抱いて
 在日の知人の知らせを受けて、主人公は三たびの海峡を渡る。
そこで見たのは、一瞬後の命さえ保証されない「あの時の地獄」を共に
した同胞たちの、ボタ山と一緒にゴミ捨て場同然に打ち捨てられた墓場。
 これを埋め立てて商業施設にするという公約を掲げた候補者は
誰だったか?
 「醜悪な過去」をブルドーザーで押し潰し、何もなかったことに
するのか?
 主人公は命を懸けた、ある決意をする。

.. 2019年06月06日 08:08   No.1676002
++ 渡辺マリ (平社員)…131回       
〇心に、身体に、或いはその両方に残る深い傷。
 黙して語らぬまま亡くなった、何千人もの、何万人もの「徴用工」、
そして今原告となって立ち上がった、老いた元徴用工たち。
 この本は、一人の男性の戦後も含めた人生を描くことによって私たち
に問いかける。
  これは「大日本帝国が犯した過去」のこと?

〇 安倍首相は元徴用工に対する韓国大法院判決に対して「請求権
協定」で解決済みと言っているが、それは本当だろうか?
 そして何より、国家間で「解決済み」ならば、被害を受けた人たちの
心は無視していいのか?
 「かつての戦争は正しかった、侵略などしていない、植民地支配も
していない」(安倍首相)

.. 2019年06月06日 08:14   No.1676003
++ 千葉和夫 (大学生)…81回       
キャンプシュワブゲート前の集中行動日…1000名を超える参加者
 |  6/1辺野古レポート
 └──── (たんぽぽ舎ボランティア、在沖縄)

 6月1日(土) 天候:晴れ、曇り、蒸し暑く風はあまりない。

<K8護岸>
 朝から工事は行われていない。最近はこのような状態が多い。
8時20分ごろから監視を続けて1時間、工事をする気配がないので、
私たちは平島の洞窟に行った。30分ほど中の鍾乳石などを楽しみ、
協議の結果一旦引きあげることにした。
 *蛇足ながら本日も抗議船“不屈”の海上カフェがオープンした。

<キャンプシュワブゲート前>
本日は第1土曜日、ゲート前の集中行動日である。私たちは着替えを
しないで、そのまま参加することにした。暑くて体力的にきついが
「辺野古ぶるー」として海の現在の状態について話をするのは
インパクトがある。
午前11時から集会が始まった。その時点で参加者は900名を超えた
という報告があったので最終的には1000名を超えたと思う。
国会議員を始め多くの人のスピーチに混じって、「辺野古ぶるー」も
代表が海の話をした。

.. 2019年06月06日 08:21   No.1676004
++ タク (社長)…870回       
憲法改正

今の北朝鮮を見ていると戦前の大日本帝国のように映ります。大日本帝国は国際社会の中で白人優位に不満を持ち、自国の論理を押し通そうとして白人社会から圧力を受け、石油を止められ暴走させられてしまいました。

自国の論理もすべて日本の考えが悪いわけではなかった。日本の状態を鑑みると北朝鮮が暴走しないとは限りません。戦前の日本も食料を求め、膨れ上がった人口、狭い土地から満州国を建国して五族協和を夢見ました。北朝鮮の現状は戦前の日本でしょう。

中国も今や世界第二位の経済大国になりました。日本でも衣料品、食料品など中国を無視して日常生活は成り立ちません。中国は経済大国を目指し、アジアでの影響力を増す一方で、戦前の日本を持ち出し軍備拡張に着々と拡張し軍事面でも影響力を発揮しました。

日本国憲法は戦争放棄、軍備及び交戦権の否認を謳っています。自衛隊の海外派遣など、このままでは国民、国会などでの論議もなく法整備もされないまま、なし崩し的に自衛隊が軍隊化されるのは非常にまずいことです。 我々、国民はもう憲法改正論を避けては通れない時期に来ているのでしょうか?

.. 2019年06月06日 08:38   No.1676005
++ タク (社長)…871回       
健康増進法施行から

健康増進法を抜粋しますと「受動喫煙の防止、学校、体育館、病院、劇場、観覧場、集会場、展示場、百貨店、事務所、官公庁施設、飲食店その他の多数の者が利用する施設を管理する者は、これらを利用する者について、受動喫煙(室内又はこれに準ずる環境において、他人のたばこの煙を吸わされることをいう。)を防止するために必要な措置を講ずるように努めなければならない。」

この法律では、飲食店なども含めて「多数の人が集まる所」では、客や店員に受動喫煙をさせないように勧告しています。受動喫煙被害の責任は、その場所を管理する事業主としていますので、直接の罰則がないからと言って放置しておくと、受動喫煙の健康被害を受けた人から損害賠償請求を受けることになるので要注意です。

「健康増進法」が施行され、10年が経ちました。関東の大手私鉄は受動喫煙防止策として、終日全面禁煙に踏み切りました。JR東日本も大手施設に習いました。同法は、生活習慣の見直しで病気を予防することなどを目的として成立しました。

多数の人が利用する施設の管理者は、他人の煙草の煙を吸わされる「受動喫煙」を防止するために必要な措置を講ずるように努めなければならない努力義務規定が盛り込まれています。

受動喫煙の防止責任は喫煙者本人ではなく、その場所の管理者が負うと法律で明記してあるのです。10周年は、10連休ゴールデンウイークとなり、通勤・通学客は激減で、大きなトラブルはありませんでした。

日本道路公団はサービスエリアなど、全施設で分煙としました。レストランや売店などの業者に禁煙か分煙にするよう依頼しており、同公団は状況を把握しています。日本人の喫煙率は先進国の中でトップです。喫煙によって増加している医療費は約1兆3000億円と試算されているのです。

.. 2019年06月07日 10:05   No.1676006
++ 千葉和夫 (大学生)…82回       
辺野古ぶるー…安和(あわ)で1日に2度の粘り強い阻止行動
 |  6/5辺野古レポート
 └──── (たんぽぽ舎ボランティア、在沖縄)

 6月5日(水) 天候:曇り、時々日がさす。気温高い日中には30度C
くらいまで上がった。

午前10時10分、カヌーチームは安和(あわ)の海岸を出艇した。ガット
台船(輸送船)の出港が近い、私たちは桟橋の下の台船側に待機し、少し
でも出港を遅らせるべく、桟橋に張ってある網に取りついた。
 11時02分、海保隊員がGBから海に飛び込む、私たちのカヌーに
近寄り、繋いであるロープ、紐などを外し始める。
 10分ほどして全部をほどけないことがわかると「ハサミで切っても
いいですか」と言ってくる。
 私は「もう少し待ってくれ、切るなら自分でほどく」と言ってゆっく
りほどき始める。この辺は駆け引きなのであまり角が立たない。10数分
粘ったが、紐が細くて自分でほどけないところは、やむなくハサミで
切られことになる。全体としては、40分ぐらい粘ったという報告が
あった。

昼食の後、本日3台目のガット台船への積み込みが始まった。阻止
すべく14時から再び海に出た。午前中と同じような経過をたどり、午後
は40数分粘った。午前中より長めだと思う。私個人としては午前中より
10分ぐらい余分に22分程度粘った。
安和で1日に2度の阻止行動は初めてだったが、それなりの成果は
あったと思う。

 *琉球セメント構内の赤土の仮置き場を県が許可したので、ガット
台船に赤土を積むスピードは2倍から3倍に上がったと思う。
 私は県が「あらゆる手段を持って工事を止める」と常日頃言っている
ことからして納得ができない。いろんな考えがあるとは思うが、残念な
がらハシゴを外された感じがする。

.. 2019年06月08日 08:03   No.1676007
++ 仲條拓躬 (社長)…347回       
石原莞爾語録3

この新国家という問題は、要するに満州における現住民族が、よって新しい国家を造るという建前から話が起ったのでありますが、この現住民族といえば、大部分は満州の民衆三千萬人でしょうが、その他に百萬の朝鮮人、二十萬の日本人あり、これがよったものが現住民族であって、これらによって新国家を造り、その数の差があっても新しい国家を造るものならば、それを進めて行ってもさしつかえないでしょう。

将来、国家が成立した上で日本人の国籍をどうするかという問題が国際法上起るかもしれないが、国家を造るまでは現住民族は支那人でもなければ、日本人でもない、朝鮮人でもない、満州人であるという建前で進んで国家を建設していってよいと思います。国籍問題はこれ以後の問題だと私は思います。

私は個人としては、独立国家になる以上、都督制とか何とかは、やるべきではないと思う。それは、今までの日本は暴戻なる支那軍閥のためには付属地内に屏息されていたのであるが、今度は日支両国民が新しい満州を造るのだから、日本人、支那人の区別はあるべきではない。従って付属地、関東州も全部返還してしまって、関東州長官も失業状態ですな。

そしてほんとうに一緒になってやるのでなければならない。日本の機関は、最小限度に縮小し、できる新国家そのものに日本人も入り、支那人も区別なく入っていくのがよろしいと思う。それができなければ満州新国家も何もないと思います。以上は1932年1月、<満州建設について日支名士座談会にて>

支那事変が起きると、すぐ不拡大主義こういったのです。満州事変の時も内閣(若槻内閣)は不拡大主義でありました。が、あの時の不拡大主義というものは性質が違っております。蘆溝橋の銃声でアッと思ったが、国民全部寝呆けておったような状態でありました。それでも夢中で不拡大主義、といったのです。

けれども昭和十四年七月の、近衛さんが目を醒してはっきりと東亜の内乱といった気持は、その寝呆けておった昭和十二年の日本国民の中にやはりあったのです。日支間というものは決して喧嘩すべきものでない。東亜の内乱という気持がありましたから、不拡大主義といった。満州事変当時は、当局が英米の圧迫を恐れて、恐ろしいものであるから、これは大変だというので不拡大主義といったので、そ

.. 2019年06月08日 08:26   No.1676008
++ 仲條拓躬 (社長)…348回       
その本質において大きな差があると思います。

満州事変後は、日本には確たる方針なく、日支両国は紛争を重ね、満州建国数年にしてとうとう支那事変になったのであります。支那事変というものは完全に満州事変の延長であり ます。日本人は満州事変は終ったと思っている。それは大間違いで、満州事変は断じて終っていないのであります。日本人が自身だけ勝手に終えていた。

支那では満州独立を絶対に認めない。世界はほとんどどの国も認めない。そうして、日本が支那ととにかく平和の状態にあったのは、上海の停戦協定、塘沽の停戦協定、いいかえてみれば休戦状態になっていただけであります。昭和十二年七月、蘆溝橋の銃声によって、その停戦が破れただけのことであります。

聖戦という言葉は、満州事変の時にも使われましたけれども、国民的なスローガンになったのは全く今度の支那事変の特徴であります。聖戦というのは満州国の王道の大精神であります。儲けるためや、ある物を奪るためではないのであります。道のための戦いであります。東亜大同のための戦いであります。どうも日本人は素晴らしい。

寝呆けていながらとに角、この事変の本質をつかむだけはつかんだ。ところが悲しいかな意識がはっきりしておりませんから、頭では聖戦と考えたが、手足は西洋模倣の帝国主義を抜け切れない。未だ今日でも清算できない実況であります。が、口で聖戦といっても、実行は必らずしも直ぐ聖戦であり得るということは困難であります。以上は1940年3月、京都師団長時代。(満州建国と支那事変)

.. 2019年06月08日 08:33   No.1676009
++ 千葉和夫 (大学生)…83回       
K8護岸により辺野古−大浦湾の潮の流れが大きく変わる
 |  サンゴへの影響は大きいのではないか
 |  6/7辺野古レポート
 └──── 千葉和夫(たんぽぽ舎ボランティア、在沖縄)

 6月7日(金) 天候:晴れ、朝から27度Cむし暑い。海上は風があり(朝
8時松田ぬ浜で約8m/秒)波が高い。

<K9護岸>
カヌーチームは抗議船に乗り現場に急行したが、現場に到着した時はす
でに満載のランプウェイ台船が接岸していた。従って、阻止活動はできな
かった。15分位の差であったと思う。

<K8護岸>
報道によれば、来週月曜日(6月10日)よりK8護岸から赤土を搬入する。
本日はその準備を進めていた。
・ランプウェイ台船が護岸近くまで来て着岸の準備をしている。
・護岸の内側(台船が着岸する側=辺野古側から見て瀬嵩側)に被覆ブロック
を投下していた。
*カヌーチームは風が強いので阻止行動を断念した。

*沖縄防衛局、環境監視等委員会は「サンゴへの影響はない」と言ってい
るが、K8護岸250m(最終予定500mの半分)は辺野古〜大浦湾の潮の流れ
が大きく変わることによる影響は大きいのではないかと思う。
報道によれば
 「防衛局は環境監視委で、K8に土砂を積んだ台船を接岸する際、水深
の浅い海域で砂を巻き上げないよう、船と護岸をワイヤロープでつなぎ巻
き上げて接岸すると説明。委員から異論や反対はなく、水中の濁りのモニ
タリングを求める意見があった。」
環境監視委は単なる防衛局に追認する組織としか思えない。辺野古ぶるー
…安和(あわ)で1日に2度の粘り強い阻止行動
  8護

.. 2019年06月09日 08:08   No.1676010


▼返信フォームです▼
Name
Email
ホームページ    
メッセージ
( タグの使用不可 )
Forecolor
アイコン   ICON list   Password 修正・削除に使用