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第二次世界大戦前、石油が石炭に代わって戦略物資となっていきました。そのことを示す象徴的な言葉は、「石油の一滴は血の一滴」というものでした。この言葉を新聞で読んだ日本人は、今や石油が一国の命運を握るほどの存在となっているのを確信しました。欧州戦争で連合国側と中央同盟国側の双方が使った石油の8割がアメリカの石油です。
つまりこの戦争はアメリカの石油によって戦った戦争と言えます。そしてアメリカは石油の輸出によって急速に経済力をつけたのです。世界一の産油国であるアメリカはさらなる強国となっていきました。アメリカ合衆国の侵略を防ぐには満州合衆国が不可欠となっていきます。だが、満州国は生まれ、消え去りました。
四千年にも及ぶ中国の治乱興亡の歴史からすれば、13年5ヶ月余の歳月などほんの一瞬の光芒に過ぎないでしょうが、しかし、歴史の重さは時の長さによって測ることは出来ないと思います。歴史の重さとして感じること、それは、そこに生きた人々の愛憎の総量としてしか測れないような気がします。
今は高齢である当時の同志は、満州の地に民族協和する理想国家を建設しようと情熱を燃やして満州国に馳せ参じ、国づくりに精魂を傾けたのは事実です。「民族協和」これをなくしては、世界の恒久平和は有りえないと信じます。その意味でも、満州建国の理想は永く生き続けていくのだと思います。
満州国が掲げた民族協和をもって今後の世界平和を達成するための基礎となりうるものと主張する論者は少なくありません。我々が活動している石原莞爾平和思想研究会同志もその一団です。今なお世界各地で民族紛争が絶えず、日々流血の事態のニュースに接するにつれ、民族が協和する事の必要性はいっそう痛感させられます。
なぜ、民族が違う事がそれほどまでに憎しみの感情を生むのでしょうか。ベルサイユ講和会議で日本国は白人世界に向けて人種差別反対と叫びました。だが、日本が提案した人種平等宣言が受け入れられる余地がなかったのです。人種問題というのは、あの時代の日本にとって国際秩序の重要問題です。
.. 2019年06月03日 10:57 No.1674001
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