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■--笑わせる人
++ 伝六 (大学生)…83回          

笑わせる人というのは題がよくない。考える人というとロダンの彫刻を思い浮かべるが、笑わせる人というのは彫刻はむつかしいだろう。笑わせるなという場合は、笑止なという意味もあるので連想がよくない。それで、石原莞爾の笑わせる人の一面というと、誤解をまねきそうだが、単に人を笑わせるのが好きだったらしいという一面である。石原六郎によると、「バカ話は実にうまかった。参謀本部勤めのころは私も知っているが、出勤で玄関を出るときは必ずと言ってよいほど女房や女中に向かって、おどけて見せて笑わせるのだった。来客が多くて姉の手が回りかねて派出婦を頼むことがあった。食事のとき兄がダジャレを始めても家族は、いつものことだから大して感じないが、派出婦は吹き出してしまっていっしょに食事ができず、自分のものだけ持って別の部屋に逃げ出すことがあった。兄が冗談や皮肉を言ったあとで、にこっと笑う顔には一種の特色があって、それに親しみを感じた人も多かったのではあるまいか。」
.. 2008年12月06日 10:51   No.166001

++ タク (社長)…259回       
石原莞爾は、鳥海山麓の飽海郡遊佐町西山開拓地に私の父を含め同志の方々と移り住みました。そこへアメリカ軍将校が日本では珍しいチョコレートなどを持ってよくやってきたそうです。石原莞爾は笑いながら言う。「君たちは見舞いと称して、本当はマッカーサー司令官の命令で、監視しているのだろう」将校はそれを否定した。「いいえ。監視なんてとんでもない。本当にお見舞いです」石原莞爾がざっくばらんに、ユーモアを交えて意表のつく話をするものだから、将校らはすっかり石原莞爾に好感を持ち、何でも質問をするようになったいいます。

さらに、ジョークといえば、昭和22年4月25日の極東国際軍事裁判所から証言聴取命令を受けて、酒田商工会議所での酒田出張法廷に私の父が石原莞爾将軍をリヤカーに乗せて出廷することになりました。その時の逸話があります。その裁判はニュージーランド代表のノースクロフト判事の宣言で始まりました。検事「証人ジェネラル石原は英語を話せるか」石原「日本語なら、ちょっぴり話せる」石原莞爾は山形弁丸出しで言ったので法定内に笑いが起き、急に和やかな雰囲気になったそうです。ドイツ語も英語も堪能だった石原莞爾が自信を持って母国語で証言する瞬間なのです。


.. 2008年12月08日 16:08   No.166002


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