返信


■--覇道から王道へ
++ 仲條拓躬 (社長)…329回          

上野にある国立科学博物館で生き物の誕生から恐竜時代、人間が過去から未来へどのように生活していくのか360度のスクリーンで説明されています。原始時代の人間は野草や木の実・貝・魚を食べていました。次に石器時代となり石を武器にして大きな生き物を食べるようになりました。その後、武器も青銅器、そして鉄器に進化して行きます。

小麦や穀物類を育て、牛や羊・馬・豚・鶏を家畜として、それを食べました。石器時代・鉄器時代のような時代は長く続き、イギリスで産業革命が起こり石炭で走る蒸気機関車、その後、石油の時代になって現在に至っています。だが、この石油文明の時代はこれからも続くのであろうか。次の時代は電気時代や水素エネルギー時代でもあります。

電気は自然エネルギーから作られることになるでしょう。材料も石油製品が現在主流でありますが、そのほとんどが植物由来に向かうと思われます。石油文明から自然エネルギーと植物文明と舵を切る事になるとすれば、材料が時代区分を示すことが多いので、植生文明と呼ばれるかもしれません。地産地消経済の植生文明の時代となるのでしょうか。

現在は地球温暖化が進み二酸化炭素問題がクローズアップされていますが、植物育成には非常に良い時代でもあります。ヨーロッパもアメリカ・ロシア・中国共産党も戦争をして自分の経済を活性化させることを考えています。資源やエネルギーを安く買い、加工製品を高く売ることで、経済を豊かした時代でもあります。

その為、自国の支配領土を広げて、自国の市場を確保する戦いをしてきました。このような先進国の行動は戦争で相手国を屈服させる事で、覇道を突き進んで来ました。このような経済が資本主義と結びついて、経済戦争をも引き起こしているのです。だが、植生文明で地産地消経済となれば、このような白人主導の経済ではなくなることでしょう。

エネルギーも食料も材料も自国で多くを自給できるので、資源を略奪する必要がなくなります。製品の輸出も輸入もないので、外貨獲得をする必要がありません。輸出や輸入するのは、お互いの技術であり、製品ではないので、資金を必要としないでしょう。技術がある企業に工場を建てて貰えばよいのです。そして、工場の雇用も生まれます。
.. 2019年05月13日 13:40   No.1657001

++ 仲條拓躬 (社長)…330回       
エネルギーも最初に投資を行えば、燃料はいらないから経費はかかりません。2030年で、NEDOは太陽光発電7円/KWになるとして研究開発をしています。実現すれば、天然ガス・石油や石炭は売れなくなります。石油価格が上昇することはなくなり、今後ますます安くなることでしょう。自動車は2030年で、EV系が主流になってきます。

このため、先進国が途上国から資源・食料・エネルギーを奪う必要はなくなります。戦争による自国の国土を広げることが経済を助けることにならず、経済戦争も完全に無駄なことになります。技術を世界に広めていくことで、平等な世界になることを推し進めることが必要となります。これを石原莞爾将軍が語っていた王道といいます。

世界の皆が争いなく幸せになる行いをして、尊敬される道なのです。日本は、覇道ではなく王道を行くべきだと石原莞爾は常に願っていました。資本主義がなくなることではなく、食糧でも果物や紅茶などの嗜好品や金・銀・銅など貴金属・プラチナ・ダイヤモンドの装飾品などは、貿易されることになるでしょう。

その時、地球上の多様な気候や風土などで様々な植物ができ、そこの特産品が現れます。これは今の生活でも同じです。この為、様々な気候風土で違う植物となり、各地で自生することになります。その世界の地域で栽培できます。全国一律の経済システムではなくなることでしょう。

.. 2019年05月13日 13:48   No.1657002
++ 千葉和夫 (大学生)…74回       
K9護岸で抗議&阻止行動、拘束され
 |  1時間15分という長時間の苦痛を強いられた
 |       5/7辺野古レポート
 └──── (たんぽぽ舎ボランティア、在沖縄)

 5月7日(火) 天候:曇り、時々日がさす。気温高め日中25度Cくらい、
朝から風が強い。大浦湾では6mから8m/秒。

久しぶりで海に出た。5月の連休10日ほど工事は休みであった。何はと
もあれ工事が無いのはいいことだ。
朝一番で抗議船“不屈”に乗りK9護岸に向かった。現場につく10分ほ
ど前からランプウェイ台船が動き出しK9護岸に向かっている。私たちと
の勝負である。

 ランプウェイ台船は接岸する時に50mぐらい手前で一時ストップする。
そして両側に太いロープをつなぎ、それを徐々に巻いて接岸する。その作
業が始まったのと、私たちが到着したのとほぼ同時であった。
 すぐにカヌーに乗り抗議&阻止行動にはいる。フロートを越え台船に迫
るも間にいる海保のGB(ゴムボート)に阻まれ結局作業を遅らすことはで
きなかった。悔しいが抗議の姿勢は十分に示したと思う。このような行動
は無意味ではない。
 その後、拘束され瀬嵩の浜まで送られた。1時間15分という長時間の苦
痛を強いられた。そのため昼も近くなり早めに松田ぬ浜に戻り、辺野古漁
港の清掃を地元海人(うみんちゅ)とおこなった。
長期休養後の行動としてはちょっと物足りない気もするが、工事の方も
それほどビシビシやってる感じは無い。
連休明けで、始まってすぐですが、私は用事があり10日ほど休みます。

.. 2019年05月13日 14:02   No.1657003
++ 仲條拓躬 (社長)…331回       
天下分け目の関ヶ原

1600年9月15日は天下分け目の関ヶ原の戦いが行われた。私の祖先も細川方について参戦していたので負けていればこの世には存在しなかったでしょう。結果は東軍の徳川家康の勝利に終わりましたが、西軍・石田三成方が勝利しても、安定した世の中にはならなかったであろう。石田三成は、豊臣家のために立ち上がった。

二代目の秀頼はまだ子供であり、官僚主義の石田三成を嫌っていた武将も多く、不安定要素はたくさんあった。恐らく三成の技量では、戦国時代はまだまだ終わらなかったでしょう。現在の世界も、同じ事がいえるのでは?アメリカ幕府による、安定した平和、強大な軍事力に抑えられた、不自由な平和ではある。

現在の日本国の運命を変えたと言っても過言でないない1600年の関が原の戦いでは、各国の武将たちの様々なドラマがあった。その戦、命のやり取りの中、決定的な勝敗に決着をつけてしまったシーンといえば、西軍に陣をはっていた小早川秀秋の裏切りでしょう。

小早川秀秋は、西軍の石田三成、大谷吉継らを焦らせ、また一方では東軍の大将、徳川家康も焦らせた。松尾山に位置づけられた小早川秀秋は、天下の戦局を握るキャスティングボード的な存在だった。小早川秀秋はたいした事はない人物だが、この瞬間では、徳川家康、石田三成などの大物および、東西両軍の武将を手玉にとっていたのである。

人間には、しばしばこのような運命的なシチュエーションが訪れて、その人を実力以上にさせる瞬間がある。あらゆる時の中で、運命はいかにも奇妙な気まぐれから、行き当たりばったり、いかにも平凡な人間に身をまかせる事が往々にしてある。そしてこれは世界歴史のもっとも驚くべき瞬間であるが、重大な運命を左右する糸が、一瞬だけまったくつまらない人間の手に握られる事があるのだ。

小早川秀秋がその機会をつかんでしまい、同時に自分自身をも高めてしまったのである。 偉大さが、つまらない者に身を委ねるのはほんの束の間だけであり、それを取り逃がすと、そんな機会には二度とめぐまれないだろう。関ヶ原では、裏切りがあり、西軍の負けが色濃くなってきた時、島津軍の陣は一歩も動かなかった

.. 2019年05月13日 15:11   No.1657004
++ 仲條拓躬 (社長)…332回       
島津が西軍についたのは豊臣家への忠義だ。石田三成の官僚的支配には我慢がならなかった。歴史にifという言葉はないが、島津義弘が西軍を率いていたら負けなかったであろう。島津義弘は西軍全滅の後、ついに東軍がいっきに押し寄せる中、後退するのではなく、自分の陣に襲い掛かる東軍に向けて中央突破を試みた。

何とその勢いは東軍の大将・徳川家康の本陣をかすめたのだ。徳川家康も本陣まで迫った時には死を覚悟したと言う。家臣は島津義久を守りながらシンガリを務めて、堺から船に乗り薩摩まで戻った。城に辿り着いた時は、30人足らずだった。島津義久は時世の句で関ヶ原の合戦を思い出しています。文章の最後に披露する。

関ヶ原の戦いでは各地で戦闘が繰り広げられていた。その中でも重要な合戦は徳川秀忠を釘づけにして関ヶ原に行かせなかったことが大きい。石原莞爾が陸大を卒業した大正7年、長引いた第1次世界大戦が終わった。この戦争は、世界の誰もが長期戦になるとは思わなく、戦争は短期間に終わると思った。関ヶ原の戦いはその逆、短期決戦で終わった。

だが、第一大戦は反して長期戦となり戦争は5年間続いたのだ。この戦争を石原莞爾が見て世界の予想を裏切った長期戦争の原因は何かと研究した。ベルギーの中立国までも侵して短期決戦を挑んだドイツが、同じように短期戦争で敗けたかを研究の対象にした。

それで石原莞爾は連合国の中でこの戦争を長期戦争と判断したものを探し求めて、イギリスのキッチナー元帥を発見した。南阿戦争で有名を馳せたキッチナー元帥だけは戦争は長期戦になると忠告していたのだ。戦争には長期戦争と短期戦争の2通りの型があると石原莞爾は第1次大戦を見つめながら陸大を卒業したのです。

関ヶ原の戦いの直前、徳川打倒の旗を会津若松に掲げて、挙兵した上杉景勝の家臣・直江兼続の配陣を日光等の関東北部から奥羽口の白河にたずねて、石原莞爾は驚嘆した。直江兼続は主戦場を白河の南にある革籠原として、軽兵を越堀と芦野に出して戦いを挑んで、敗れながら退却して、敵を主戦場に導いて主力を若松、宇都宮街道の高原に伏せて、徳川の大軍を袋の鼠にして懺滅を計ったその雄大な作戦には多大の興味をもった。

.. 2019年05月13日 15:24   No.1657005
++ 仲條拓躬 (社長)…333回       
上杉討伐で江戸城から宇都宮に出陣して、上杉勢に戦いを挑まなかった徳川家康も流石であると思った。短期戦の名人は織田信長で、長期戦の名人は徳川家康である。織田信長は数多くの戦いに勝利して天下を取れなかったが、徳川家康は数多くの戦いに敗れながら最後に勝利して天下を取った。

源頼朝は自ら戦わないで天下を握ったが、源義経は短期戦で数多くの武勲を残しながら、奥州藤原家に落ちぶれて衣川にて消えた。戦いには武力戦と政治戦がある。国を守るものは、国防の大役に任ずるものは武力戦だけを心得て、政治戦を知らなければ国防の大役は果たし得ないとして政治戦もまた勉強しなければならないと石原莞爾は考え東亜連盟創始者、木村武雄に語ったのだ。

それでは最後に「春秋の花も紅葉もとどまらず 人もむなしき関路なりけり」これは、島津義弘の辞世の句です。春の桜や秋の紅葉が散ってしまうように人の一生もはかないものだ。関路という言葉には関ヶ原からの道のりという意味が込められています。自分ひとりを戦場から逃すために命を落としていった家臣たち。死の間際、義弘の心に去来したのは彼等忠義の家臣たちへの思いだったのかも知れません。

ちなみに宮本武蔵は17歳の時(1600年)に関ヶ原の戦いにおいては西軍に加わるが敗退しています。

.. 2019年05月13日 15:38   No.1657006
++ 仲條拓躬 (社長)…334回       
イラクでの劣化ウラン

イラク第2の都市バスラに、湾岸戦争時、米軍は劣化ウラン弾を使用しました。劣化ウランは原子力発電所などから出る核廃棄物です。米軍は湾岸戦争やコソボ戦争などで劣化ウラン弾を使用しました。イラク国内には無辜の民がいるのです。

イラク領内で米軍が発射した大量の劣化ウラン弾からの放射性物質は、砂漠の砂塵に混じって周辺の村々に到達して、湾岸戦争が終わった数カ月後から、放射能の影響と思われる白血病ガン、奇形児の出産が増加しました。

患者数は湾岸戦争からかなりの時が経過した現在も減少していません。患者はバスラだけでなく、バスラから500キロ離れた首都バクダッドなどでも、劣化ウラン弾が原因と思われる白血病ガンなどの患者が増加しました。

子供や胎児に被害が大きいため、バスラとバクダッドに、白血病ガンを専門とする小児科・産婦人科病院が建設されています。湾岸戦争に参戦した米軍や多国籍軍の兵士にも、劣化ウラン弾が原因と思われる症状が出ています。

最近ではアフガニスタンで同様の患者が現われて米軍の劣化ウラン弾が指摘されています。劣化ウランの患者にアラブの伝統的なハーブ系の薬草を使った治療なども試みています。アメリカは、劣化ウラン弾をばらまいて子供たちを病気にしたのです。

収容する病院はバクダッドにあり、頭や体のあちこちが膨れ上がったガンの末期症状の子供だらけで、傍らにいる母親は目もうつろで、深く悲しんでいるそうです。病院の横にはたくさんの子供お墓があるそうです。

その、お墓の上に乗って遊ぼうとする子供たちを親は怒っているのですが、今日は土の上で元気に遊んでいる子供たちも、いつ冷たくなって土の下に埋まる状態になるかもしれないと悲しんでいます。命の重さは同じはずなのですが。

.. 2019年05月13日 15:56   No.1657007
++ タク (社長)…841回       
もう過去の話になりつつありますが、アメリカでBSE感染牛が発見され、日本への牛肉輸入が禁止され、輸入再開をめぐって、「全頭検査」を行なうのが最大の争点になっていたことがありました。米農務省では「全頭検査」については、実施する正当な根拠がないし、現在行なっている日本の「全頭検査」は、過剰であり、非科学的と批判しました。

BSEや鳥インフルエンザの原因は、いままでに考えられなかった物質にウイルスです。病気が突発的に発生して、被害は甚大で、人の命にもかかわりました。アメリカの検査方法は、平均的な量を扱う統計処理的な発想に基づいて行うので、個々の特性を表わすことはできず、処理の隙間をすり抜けていく危険な突発事故を防ぐことはできませんでした。

この危険に対して、高い安全性が得られるのは「全頭検査」しかないのです。アメリカはテロという目に見えない敵の撲滅に戦争の大義を見出そうとしています。そのための先制攻撃は正義の戦いになると言い、米国への入国には、一人一人に厳重なチェックが行なわれているのですが、牛も同じことが出来るでしょう。

食べ物には、安心という要素が加わって評価される時代です。長い時間かけて徐々に作られる一種のブランドで、牛肉輸入には法的なことは別として、食の安全という心理的な問題も含んでくるのです。いくら科学的と言っても安心できないのです。大国のご都合主義に屈することなく、わが国はもっと自信を持って「全頭検査」の正当性を主張すべきです。

日本が要求している米国産牛肉のBSE全頭検査を米国は、非科学的として、完全に拒否しているのですが、アメリカの民間業者は自主的に日本向けの牛肉に関して全頭検査をすると発表したのに、米国政府はこれを許さず、全頭検査でなければ認めないとする日本政府の条件に合致せず、事実上、不可能となったのでした。

何故、こんな米国民間企業にまで意地悪をしているのか。米国の全頭検査拒否の理由は、日本の全頭検査に係る費用が莫大であるから、業界からの圧力で日本々要求を呑まないというのですが、実は、全頭検査が全米で実施されるとBSE感染牛が米国のいたるところで発見される可能性が非常に高いのです。

.. 2019年05月16日 05:36   No.1657008
++ タク (社長)…842回       
米国には大勢のヤコブ病が罹患しているといいます。それは、当時の大統領選でのブッシュ陣営の不利を招き、致命傷となるかもしれないとの懸念でした。当時のチェイニー副大統領が来日したのは、イラクの人質事件が発生しなければ、全頭検査が最優先課題となるはずであったのです。
.. 2019年05月16日 05:43   No.1657009
++ タク (社長)…843回       
桜エビは、釜揚げの冷凍品が出回っているので、お好み焼きやかき揚げの材料としてお馴染みです。でも今頃なら「生」が手に入ります。直ぐに鮮度が悪くなるため、地域によっては「生」は食べたことがないという人が多いかも知れません。

透き通った桜色の美しい姿、口にしたときの歯触り、ほんのりとした甘味が、美味いのです。桜エビは、甲殻類十脚目サクラエビ科に分類されます。体長はわずか5cmほどの小エビです。

深海性で昼間は200mほどの深さの所にいて、夜間にはエサを食べに表層20mまで浮上し、明け方には再び深みへ戻ります。寿命は短く、15ヶ月です。桜エビの住みかはごく限られ、日本での漁獲のほとんどは駿河湾です。

他に遠州灘や相模湾、東京湾でも漁獲されますが、量は駿河湾が圧倒的です。外国では台湾、中国に分布するくらいで、世界的にも稀少生物として知られています。英名もそのものズバリ<sakura shrimp>です。

桜エビの漁獲量は増減の変動が大きいのが特徴です。春漁が3月末から6月上旬、秋漁が10月末から12月末の期間を限定して「生」が食べられるのはこの期間だけです。食べ方は、おろし和えやレモン汁、生姜醤油、わさび醤油などお好みで。

釜揚げ、塩ゆでしたものは、潮の香りが増して風味が豊かですので、サラダやちらし寿司にも最適です。生を天日干ししたものは、旨味が濃く香りが高いので、かき揚げ、お好み焼き、焼きそばなどにほんの少し入れるだけで風味が良くなります。

生桜エビを食べるときのヒゲが気になるという人は、水をはったボールに桜エビを入れ、割り箸数本でかき回してみてください。結構ヒゲが取れます。丸ごと食べる桜エビは、カルシウムやリンなどの無機質が比較にならないほど多く、コレステロール値を下げるEPA・DHA、タウリンなども効率よく摂取できるのです。

.. 2019年05月16日 05:53   No.1657010


▼返信フォームです▼
Name
Email
ホームページ    
メッセージ
( タグの使用不可 )
Forecolor
アイコン   ICON list   Password 修正・削除に使用