|
最終戦争という考えは、石原莞爾の軍事科学の研究からでてきた思想であるが、日蓮聖人の「前代未聞の大闘じょう一閻浮提に起こるべし」の御文が、意識に大きく作用していたらしい。そして最終戦争論には仏教の予言の一節がある。仏教の予言とはいっても、経典には世界の大戦争がおこるという予言はない。大乗仏教の予言は、仏教は、正法、像法、末法というように推移し、宗教道徳的には、だんだん低下して、教えの効力がなくなっていくという予言である。科学は進歩するが、道徳面では退歩すると。大集経というお経には、五百年ごとに、時代の傾向をあらわして、お釈迦様の滅度の後、最初の五百年は解脱堅固である。つまり教法のとおり修行して解脱する、次の五百年には禅定(ぜんじょう)堅固といって、解脱まではいかないが、座禅瞑想でいい線?までいく。その次の五百年には、読誦多聞堅固といって、学問的研究が盛んになる。第四の五百年には、多造塔寺堅固といって、信仰的情熱を建築美術の方面にあらわす。第五の五百年には闘じょう堅固といって争いがさかんになる。和合をとうとぶ宗教が争いの波のなかで、宗教の本来の姿を失ってしまう。宗教的感化の無力化を予言している。経典を調べたわけではないが、予言はすべて法滅を予言している(二三そうでないのもあるようだが)。法滅尽経などという題のお経もある。ただひとつ法華経のみは、後の五百歳に広宣流布するという予言がある。恐怖悪世に弘通するという約束がある。後の五百歳とはいつのことか。それは大集経の第五の五百歳のことであろうと、シナの妙楽大師は見当をつけた。天台大師ははっきりとはいわなかったが、「後の五百歳遠く妙道にうるおわん」と言って、その未来への憧憬?のことばをのこしている。日蓮聖人は二十年にわたる研究から、仏教の全体真髄を把握し、後の五百歳は当世の時節であることを確信した。(つづく)
.. 2008年11月24日 21:30 No.163001
|