返信


■--最終戦争と仏教の予言
++ 伝六 (大学生)…77回          

最終戦争という考えは、石原莞爾の軍事科学の研究からでてきた思想であるが、日蓮聖人の「前代未聞の大闘じょう一閻浮提に起こるべし」の御文が、意識に大きく作用していたらしい。そして最終戦争論には仏教の予言の一節がある。仏教の予言とはいっても、経典には世界の大戦争がおこるという予言はない。大乗仏教の予言は、仏教は、正法、像法、末法というように推移し、宗教道徳的には、だんだん低下して、教えの効力がなくなっていくという予言である。科学は進歩するが、道徳面では退歩すると。大集経というお経には、五百年ごとに、時代の傾向をあらわして、お釈迦様の滅度の後、最初の五百年は解脱堅固である。つまり教法のとおり修行して解脱する、次の五百年には禅定(ぜんじょう)堅固といって、解脱まではいかないが、座禅瞑想でいい線?までいく。その次の五百年には、読誦多聞堅固といって、学問的研究が盛んになる。第四の五百年には、多造塔寺堅固といって、信仰的情熱を建築美術の方面にあらわす。第五の五百年には闘じょう堅固といって争いがさかんになる。和合をとうとぶ宗教が争いの波のなかで、宗教の本来の姿を失ってしまう。宗教的感化の無力化を予言している。経典を調べたわけではないが、予言はすべて法滅を予言している(二三そうでないのもあるようだが)。法滅尽経などという題のお経もある。ただひとつ法華経のみは、後の五百歳に広宣流布するという予言がある。恐怖悪世に弘通するという約束がある。後の五百歳とはいつのことか。それは大集経の第五の五百歳のことであろうと、シナの妙楽大師は見当をつけた。天台大師ははっきりとはいわなかったが、「後の五百歳遠く妙道にうるおわん」と言って、その未来への憧憬?のことばをのこしている。日蓮聖人は二十年にわたる研究から、仏教の全体真髄を把握し、後の五百歳は当世の時節であることを確信した。(つづく)
.. 2008年11月24日 21:30   No.163001

++ タク (社長)…252回       
石原莞爾と日蓮教に関する論述を展開するためには、解説として残された書籍は少ないと思います。だが石原莞爾の総見ともいえる「五五百歳二重」説をとりあげ、日蓮図顕の大本尊讃文との関連において、その謎めいた断案の解明を試みることが出来ます。石原莞爾の、「最終戦争論」と表裏一体をなすともいえる「五五百歳二重」。

石原莞爾の努力も充分なる説得力をもち得ず、むしろ「神通力」によって末法が二重に使い分けられたという説明の方に共鳴するものを感じ、そして、『石原莞爾選集』(全10巻)を刊行するに至るわけです。石原莞爾の信仰と理解がより明確になる書物です。

日蓮宗にしても宗定本尊はいまだ定まらず、一方、日蓮出世の本懐の本尊ありと豪語していた日蓮正宗は、その最大の信徒団体である創価学会との抗争に明け暮れ、その本尊義は打ち捨てられています。予言は、今まさに日蓮門下において的中しているという状況のなかで、「五五百歳二重」ないしは「多重」説を裏付ける拓本の大本尊の出現は、何を意味するものだろうか。

石原莞爾の信仰の軌跡を見ると、師の田中智学の域を乗りこえられず、国家主義者的横顔をみせるときは、田中智学の影響下にあったでしょう。しかし、満州建国の理想と挫折という苦い経験のなかから、日蓮教の世界史意義に目覚めていたときに「五五百歳二重」説は、田中智学門下から反発を買ったのでしょう。

.. 2008年11月25日 08:04   No.163002
++ 伝 (大学生)…91回       
田中智学は国家主義者だったと思っている人が多いようですが、たいてい著書を読まずに、そう思っている人がほとんどですので、著書でないけれど、講義録の一節を紹介します。「・・・それをただの勤皇家と同一見て、「日蓮聖人の勤皇」などといふのは、大不敬のみならず、本化の頭に泥を塗るものである、単の国家などは、大聖の眼中には、一種の病的団結である、その権力は、よし、大聖のおん身を左右することができても、御心を如何ともすることはできぬ、されば「身は随ひ奉れども、心は随ひ奉るべからずと仰せられてある、心の方面にはただ真理あるのみ、国家だの王だのの権力は認められない、却って王や国家を導きて真生命真功徳を与へられるのである。・・・・」(日蓮主義教学大観三1926頁)日本は単の国家ではないという考えがあるのだけれど、当時における日本の国というものについては、仏典の「砕ける玉は宝にあらず」をひいて、砕玉非宝の日本国であるということの警鐘をならしつづけていたので国家を強調しても決して所謂国家主義ではなかったのです。
.. 2008年11月26日 16:03   No.163003
++ タク (社長)…253回       
信仰の世界には試行錯誤がつきものです。「最終戦争」が必ず起るという石原莞爾の予言も外れたかに見えますが、最終戦争論の裏づけともなった日蓮の予言も、検討すれば「最終戦争」が必然的不可避であるといっているわけではありません。『如説修行抄』にみるように、日蓮にはユートピア到来の予言もあり、明暗の二者択一の余地を残していることに留意しなければならない。

それをあたかも必然的不可避と断言した石原莞爾は、軍人として、また戦争史家としての己の立脚点に偏り過ぎたのでしょう。いわゆる日蓮主義者の偏った日蓮理解が、日本を戦争に追い込む背景の一つになったといえないこともないのですが、同時に石原莞爾が、身命を賭して、祖国が破壊への路線をひた走ることに反対した努力もまた評価されなければならないでしょう。

「日蓮を悪しく敬まわば国亡ぶ」の予言どおり、日本は一旦亡国の淵に沈みました。仏教因果説によれば、日蓮門下はその原因を日蓮に対する誤れる信仰の中に求めなければならない。石原莞爾やその日蓮教の母胎となった田中智学一門の信仰も、無論その例外ではないのですが、石原莞爾の信仰と理解のなかで今日も不滅の輝きを放っているのは「五五百歳二重」説であり、日蓮教そのものが存立しえない卓見といえます。

.. 2008年11月27日 06:24   No.163004
++ 伝六 (大学生)…78回       
法華経第七の巻に「我滅度の後後の五百歳の中において広宣流布して閻浮提において断絶せしむることなかれ」という経文があります。日蓮聖人はこの経文のこころは第五の五百歳のとき、悪鬼の身にいる大僧等が充満しているときに、一人の智人が出現すると、それら大僧等は時の政権と結託して智人を迫害するというようにかいているうちに、いつか話は未来のことを書いていることになっています。第五の五百歳に前代未聞の大闘じょうはおこらなかったし、全世界の人の帰依もなかった。日蓮聖人はあきらかに、その在世においてそれらのことがおこるとは考えていなかったのだけれど、文の上では第五の五百歳に、日蓮聖人の在世中にそれがおきるようなことになっている。しかし、その文章のこころは未来に全世界の信仰的統一にさきがけて、前代未聞の闘争が世界におきることを予言していると解釈できます。
.. 2008年11月27日 16:42   No.163005
++ 伝六 (大学生)…79回       
上記のことは、撰時抄に関してのべたものです。日蓮聖人出現の時が第五の五百歳であることは、いろいろな御書に書かれていますが、もっとも組織的に書かれたものは撰時抄です。石原莞爾は「「戦争史大観」の由来記」で、「私の最終戦争に対する考えはかくて、1、日蓮聖人によって示された世界統一のための大戦争 2、戦争性質の二傾向が交互作用をなすこと 3、戦闘隊形は点から線に、更に面に進んだ。次に体となること。 の三つが重要な因子となって進み、ベルリン留学中には全く確信を得たのであった。」と書いています。「1、」に関しては、撰時抄だけでなく、観心本尊抄の、本化の四菩薩は折伏を現ずるときは賢王となって愚王を誡責し、摂受を行ずる時は僧となって正法を弘持するという文による、上行菩薩の二度の出現という考えがあったと思われます。昔の宗門には、賢王の出現も第五の五百歳つまり日蓮聖人の在世の時だと考えて、賢王というのは蒙古王だと言った人もあります。おそらくは、日蓮聖人のいさめを用いない日本国の愚王(政権担当者)を責めたということなのでしょう。御遺文の解釈がむずかしいことがわかります。「最終戦争論」第5章仏教の予言のところで、「そして日蓮聖人は将来に対する重大な予言をしております。日本を中心として世界に未曾有の大戦争が必ず起こる。そのときに本化上行が再び世の中に出て来られ、本門の戒壇を日本国に建て、日本の国体を中心とする世界の統一が実現するのだ。こういう予言をしてなくなられたのであります」というように書いています。
.. 2008年11月28日 10:01   No.163006
++ 伝六 (大学生)…80回       
「最終戦争論に関する質疑回答」で、石原莞爾は次のように言っています。「・・・・しかし「最終戦争論」が決して宗教的説明を主とするものでないことは、少しく丁寧に読まれた人々には直ちに理解されることと信ずる。この論は私の軍事科学的考察を基礎とするもので、仏の予言は政治史の大勢、科学・産業の進歩とともに、私の軍事研究を傍証するために挙げた一例にすぎない」。「最終戦争論」における仏の予言は傍証としての意味しかもたないと言っている。石原莞爾は敬虔な信者であったことを考えると、ちょっと誤解を招きそうな言い方だが、「最終戦争論」からは、あくまで傍証ということである。昔関東大地震59年周期説というのがあった。59年前後の周期で関東地方に大地震が発生しているというものであったかと思う。それはひとつの学説であって、必ずおこるというものではない。だいたい天災は忘れた頃にやってくるという人もある。信仰談と学説とを石原は混じていないが、混じて論ずる人が多いのではないだろうか。
.. 2008年11月29日 10:45   No.163007
++ 伝六 (大学生)…81回       
しかし、ここに大きな問題がでてきたのは、日蓮聖人の時代の仏滅年代は根拠薄弱で、近代の研究では、昭和九年が佛誕二千五百年にあたるという説がでてきた。当時諸宗一般にこの説をとって、仏教各宗連合会では、釈尊降誕二千五百年記念事業を行うことになった。連合会から、日蓮宗にも参加を求めたところ、日蓮宗は祖師の本尊曼荼羅に二千二百二十余年と記せられた年代指定と異なるから、ということで参加をことわったという事件があった。日蓮宗では昭和九年は如来滅後二千八百八十余年である。石原莞爾はこの頃は軍事政事に関心を集中していたと思われる。宗教界のこいう動きは知らなかった。昭和十四年になって、「東洋史の大筋を一度復習してみたい気になり、中学校の教科書程度のものを読んでいる中に、突如一大電撃を食らった。・・・日蓮聖人が末法の最初の五百年に生まれられたものとして信じられているのであるが、実は末法以前の像法に生まれられたことが今日の歴史ではどうも正確らしい。・・・このことに悩んでいる間に私は、本化上行が二度出現せらるべき中の僧としての出現が、教法上のことであり観念のことであり、賢王としての出現は現実の問題であり、佛は末法の五百年を神通力を以って二種に使い分けられたとの見解に到達した。日蓮教学の先輩の御意見はどうもこれを肯定しないらしいが、私の直感、信仰からは、これが佛の思召にかなっていると信ずるに至ったのである。そして同時に世界の統一は佛滅後二千五百年までに完成するものとの推論に達した。そうすると軍事上の判断と甚だ近い結論となるのである。」(戦争史大観の由来記)軍事上の判断というのは当時から三十年後くらいに最終戦争の時代となるということであろう。当時から六十年以上たった今は、すでに最終戦争の時代である。これは石原軍事学の見通しである。
.. 2008年11月29日 20:38   No.163008
++ タク (社長)…255回       
田中智学の講演会に出席して、日蓮の教えに基づき日本の世界的使命を説く田中智学の理論に、石原莞爾は感銘を受けました。数年後に、石原莞爾は「日蓮聖人の国体観」が日蓮信仰に引き付けたと書いています。最終戦争こそ、日蓮が世界統一実現するために日米決戦がこれに他ならないと見たのです。これが石原莞爾の世界最終戦争論でした。この世界最終戦を経て世界の文明は統一されはずで、石原莞爾はこの世界最終戦としての日米戦争という着想を信仰上の師、国柱会の田中智学からヒントを得ていたのです。

.. 2008年12月02日 08:15   No.163009
++ タク (社長)…256回       
石原莞爾が語る最終戦争論

社会が全体主義へ革新するとき、軍隊大いに反省すべきものである。軍隊は反自由主義的な存在であるために自由主義の時代は全く社会と遊離した存在となる。殊に集団生活、社会生活の経験に乏しい日本国民のため、西洋流の兵営生活は驚くべき生活変化である。即ち全く生活様式の変わった慣習のうちに叩きこまれ、兵はその個性を失って軍隊の強烈な統制中の人となるのである。

陸軍の先輩は非常にこの点に頭を悩まし、明治41年12月軍隊内務書改定の折、その綱領に「服従は下級者の忠実なる義務心と崇高なる徳義心により、軍紀の必要を覚知したる観念に基づき、上官の正当なる命令、周到なる監督、およびその感化力と相俟ってよくその目的を達し、衷心より出で形体に現れ、遂に弾丸雨飛の間において甘んじて身体を上官に致し、一意その指揮に従うものとす」と示したのである。

全体主義社会統制の重要道徳たる服従の真義を捉えたのである。しかし軍隊は依然として旧態を脱し切れないで今日に及んでいる。今や社会は超スピードをもって全体主義へ目醒めつつある。青年学校特に青少年義勇軍の生活は軍隊生活に先行せんとしつつある。社会は軍隊と接近しつつある。軍隊はこの時代において軍隊生活の意義を正確に把握して「国民生活訓練の道場」たる実を挙げねばならぬ。

殊に隊内に私的制裁の行なわれているのは遺憾に堪えない。しかも単に形式的防圧ではならぬ。時代の精神に目覚め全体主義のために如何に弱者をいたわることの重大なるかを痛感する新鮮なる道義心に依らねばならぬ。東亜連盟結成の根本は民族問題にあり。民族共和は人を尊敬し弱者をいたわる道義心によって成立する。朝鮮、満州国、支那における日本の困難は皆この道義心微かなる結果である。軍隊が正しき理解の下に私的制裁を消滅せしむる事は日本民族昭和維新の新道徳確立の基礎作業ともなるのである。

.. 2008年12月02日 08:24   No.163010
++ 伝六 (大学生)…82回       
五五百歳二重の信仰は、信仰の問題であるから、簡単には書けないが、「こういうことがほんとうに大聖人の思召に叶うことかどうか皆さんで充分研究して下さい」と言っていたそうだから、研究なしで信じるのは正しくないと思う。私が思うには、五五百歳二重には石原莞爾のパラダイムがはいっている。世界の統一は佛滅後二千五百年までに完成するというのは、経文にないし、御遺文にもない。思うに、石原莞爾は直感的信仰の人で、日蓮主義を教学的には充分には研究していなかった。それに専門の研究もあった。そこで信仰の世界と時代のパラダイムが調和しないことがでてきた時、それを処分するだけの教学理解はなかったことによるのではないかと私は考えている。石原莞爾が佛滅年代に関する大きな衝撃を受けた昭和十四年には、田中智学は病床にあって、その年の11月には帰寂するから、質問をする師がいなくなっていたことも、関係していると思われる。石原莞爾は田中智学以外の国柱会の教職は信仰の先輩であって、信仰上の師とは考えていなかったらしい。もちろん傲慢にふるまったということではない。南伝の佛滅年代と北伝の佛滅年代のちがいについて、満足のいく説明がなかったので、手製の領解をつくったということであろう。だから、その信仰内容については、はっきりしないというのが私の感想である。ただ、現実世界との関連において、南伝の佛滅後二千五百年までに世界が統一されるというのは、想像以外に根拠がないと言わねばならない。しかし、日蓮聖人の佛滅年代の断定が、今日の時代からは正しくないとすべきかどうかは問題として残っている。日蓮聖人の時代には、当時の時代知識として、正しかったので、科学未発達であったからであると考えるのがふつうのようであるが、これには私は疑問をもっている。横道にそれた。石原莞爾という人の発言は全く真意のつかみにくいところがあるのだが、死の二年半前に、ある人に送ったハガキには
「老兵はただひたむきに大聖人のお示しを直接承って今日まで身心を君国に捧げて参りました。老兵の仕事は大体、敗戦のときに終わったので、顧みてまことに感謝に耐えない一生でした。全く大聖人の無限のお慈悲によるものです。二十年余の難病も老兵の仕事を少しも妨げることはできませんでした。任務終わって今はこの持病で生命の静かに終わる日を待っています。大聖人のお側に馳せ参じ得る日が楽しみでございます。」これは石原六郎等が引用しているから、たしかな資料であろう。これを読むと信仰の人だったのだなあと思う。

.. 2008年12月02日 10:28   No.163011
++ タク (社長)…257回       
現時の国策即ち昭和維新の中核問題である東亜連盟の結成には、根本に於いて東亜諸民族特に我が皇道即ち王道、東方道義に立ち帰る事が最大の問題である。国家主義の時代から国家連合の時代を迎えた今日、民族問題は世界の大問題であり、日本民族も明治以来朝鮮、台湾、満州国に於いて他民族との協同に於いて殆ど例外なく失敗して来たった事を深く考え、皇道に基づき正しき道義観を確立せねばならぬ。満州建国の民族協和はこの問題の解決点を示したのである。

満州国内における民族協和運動は今日まで遺憾ながらまだ成功してはいない。明治以来の日本人の惰性の然らしむるところ、1度は陥るべきものであろう。しかし一面建国の精神は一部人士により堅持せられ、かつ実践せられつつあるが故に、一度最大方針が国民に理解せられたならばたちまち数十年の弊風を一掃して、東亜諸民族と心からなる協同の大道に驀進するに至るべきを信ずる。

この新時代の道義観の下に、世界最終戦争を目標とする東亜大道の諸政策が立案実行せられる。しかしそれがためには我が東亜の地域に加わるべき欧米覇道主義者の暴力を排除し得る事が絶対条件である。即ち東亜(我が)国防全からずして、東亜連盟の結成は1つの夢にすぎない。東亜連盟の結成が我が国防の目的であり、同時に諸政策は最も困難なる国防を全からしむる点に集中せらるる事とならねばならぬ。国策と国防はかくて全く一体となるのである。いわゆる国防国家とはこの意味に外ならない。

東亜連盟の結成を妨げる外力は、1、ソ連の陸上武力。2、米の海軍力、これには英、ソの海軍が共同すると考えねばならぬ。であるからそれに対し、1、ソ連が極東に使用し得る兵力に相当するものを備え、かつ少なくもソ連のバイカル以東に位置するものと同等の兵力を満州、朝鮮に位置せしむ。2、西太平洋に出現し得べき米、英、ソの海軍力に対し、少なくも同等の海軍力を保持せねばならぬ。

.. 2008年12月02日 19:45   No.163012
++ 伝六 (大学生)…84回       
「日蓮を悪しく敬はば、国亡ぶ」というのは、そういうことを言っている人があるのだろうけれど、日蓮聖人の言葉は「・・・かかる日蓮を用いぬるとも悪しく敬はば国亡ぶべし」(種々御振舞御書)です。そういう言葉がでてくる前提は「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」という主張です。日蓮聖人の首をきろうとして、とらえようとした平左衛門尉にむかっては、日蓮は日本国の柱である、予を失うのは日本国の柱を倒すのであると言われています。これは怒って言ったのではなく、諫めたのです。日蓮聖人とは狂人か、そうでないとしたら、一体何故そういうことがいえるのか、よほど考えなければなりません。話はかわりますが、日蓮聖人が旱魃に悩む人々のために
降雨を祈った田辺が池のあとに日蓮聖人の銅像があります。私は一度行った記憶で書いているのですが、銅像の首から下は戦時中金属が不足していたため、きってつぶして(武器にして)しまったというようなことが説明書きにありました。ウームこんなことをやっているのでは、日本は負けるわけだと、日蓮聖人の信者の私は思いました。もっとも当時の日本が戦争をはじめたら、物質において劣っているのだから、ふつうだったら負ける。蒙古がせめてきたとき、日蓮聖人の祈りで神風がおこって大勝利になったと伝えられているけれど、当時でも私のところが祈ったから神風が吹いたと主張したところがあったらしい。日蓮聖人が祈ったのは、聖人の三大誓願から当然のことだと愚考するが、聖人はワシが祈ったから神風が吹いたとは言われていない。

.. 2008年12月11日 20:05   No.163013
++ 伝六 (大学生)…85回       
田中智学先生によれば、「・・・正法の宗旨未だ顕れざる前において起こる天変地夭はその罪を権門邪教に帰すべし、正宗一たび顕はれての後は、鎮護国家の法この国に建立しながらなほ天変地夭あらば、これその正宗を相続するものの過失誤謬に依れり、彼は「立邪乱国」、此れは「立正安国」の宗、その責任われに在りて重きを荷う事知るべし。されば今日の天変地夭は偏に正法の徒が負うべき責任なり」。まして敗戦亡国となれば、正法の徒が負うべき責任であろう。しかし、これはこの掲示板に書くべき事ではないから、ひとまずこれにて終了します。
.. 2008年12月12日 11:59   No.163014


▼返信フォームです▼
Name
Email
ホームページ    
メッセージ
( タグの使用不可 )
Forecolor
アイコン   ICON list   Password 修正・削除に使用