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円高がええんだか悪いんだか。負ーケティング。動向をどうこう言う。成果リレー。(笑)
戦後40年の節目では、1985年、先進五カ国の蔵相・中央銀行総裁会議(通称G5)が、ニューヨークのプラザホテルで行われました。いわゆるプラザ合意とは、日本の輸出を抑えるため、輸出に不利な円高・ドル安に金利を誘導するという決定です。いわば、為替レートによる貿易赤字の調整なのです。
このような日本に不利な合意がなされたことは、裏を返して言えば、それだけ日本の経済力が世界の脅威になっていたということです。まさに、日露戦争後の日本のように、世界の強国として羽ばたこうとした時期でした。事実、日本経済は、この決定によって痛手を破らなかったのです。急激な円高のため、輸出産業は大きな打撃を受けたが、それは一時的なことでした。円高不況対策として、日銀は内需拡大策を採り、低金利政策を実施したのです。
.. 2008年10月30日 19:43 No.161002
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