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■--世界の共通課題
++ タク (社長)…724回          



アメリカはテロとの戦いこそが最優先です。だが、世界共通の課題は、人口・環境・食料・エネルギー・水の五つでしょう。5つの課題のうち日本で、最も危機にあるのは食料です。世界中から食料を輸入している輸入大国だからです。

毎日、食べるものを購入する時、安全かどうかを疑うことが普通になってしまいました。こんなこと、昔は無かったでしょう。食べるものが安全なのは当たり前だったからです。それが原発事故からさらにおかしくなっているのです。

遺伝子組み換えでは、深まる健康と環境に対する影響の懸念、アメリカを中心に遺伝子組み換え作物の栽培が急激に拡大しています。食の安全性だけでなく、農薬などの土壌などの環境生態系への影響まで含めた総合的な対策が急務であります。

狂牛病危機をどう乗り越えるか?牛肉輸入自由化に続き、日本の肉牛産業はどうなってしまうのだろう? さらに原発事故から放射能がダダ漏れしている現在、食べ物はどこまで放射能が浸透しているのであろうか?果たして子ども達の影響はどうなのであろうか?

環境で観れば、地球の温暖化で真っ先に海中に沈むのは干拓で国土を作り上げたオランダだから、炭酸ガスの排出には神経質です。自動車をやめて自転車にしようと国中自転車専用道路を張り巡らせています。その自転車も実用的な荷物車で、日本のようなスポーツ車は殆どないそうです。

自転車は健康にも良いし、地球の温暖化を防ぐのに役立つとオランダ人は信じています。400年前に小さい船を操って日本に商売のチャンスを求めてやってきた命知らずの商売人の魂は今も生き続けているのです。農業の分野でのオランダの存在感は大きい、空港すぐそばに世界一の生花市場をつくり世界中に輸出しています。

生花,野菜類は貴重な輸出品であるし、酪農製品のチーズは有名です。国内自給のみを考えず最初から輸出指向の農業を組み立てています。資源の無いオランダがヨーロッパ諸国との競争に勝ち残ってきたその智恵は今の日本にこそ必要とするものでしょう。
.. 2019年02月05日 11:33   No.1585001

++ 中村泰子 (中学生)…39回       
どうして?原発再稼働と武器輸出
 |  憲法の観点から考える1/29学習会に参加して
 |  命と暮らしを破壊する国策産業がはびこっていいのか
 |  地球を健全な形で未来に渡すことは私たち世代の責任
 └──── (たんぽぽ舎会員)

◎ 1月29日、練馬区立区民・産業プラザで開催された新春学習会「なぜ
急ぐ?原発再稼働、どうしてやるの?武器輸出」(主催:憲法骨抜きNO!
ねりま)に参加した。原発と武器をセットにした学習会は意外と珍しい。
 武器問題については、杉原浩司さん(武器輸出反対ネットワーク:
NAJAT)が話した。

 政府は、国策として日本版「軍産学複合体」をつくろうとしていると
指摘し、武器輸出解禁の歴史とモラル崩壊した現状、武器輸出拡大を画策
する政財界の動向を、具体的な例をあげて解説した。
 たとえば、日本政府は、自衛隊が保有する古い戦闘機(旧型F15)約100機
を米国に下取りしてもらい、米国から最新鋭ステルス戦闘機F35を爆買い
する原資に充てる(147機、総額6.2兆円)、米国は購入した旧型F15を
東南アジアへ転売することを検討中とのこと。

 暗澹とさせられた。いずれ日本も中古武器市場へ参入し、紛争拡大に
加担するのではと危惧される。
 杉原さんは、企業や大学は評判やブランド価値を気にするので、「武器
商人」になりたいのか!と非難を集中させることが武器輸出や軍学共同を
断念させるのに有効と述べ、また、拡大する武器輸入(大軍拡)に対抗
して「武器より暮らしを!」の運動をつくっていこうと訴えた。

◎ 原発問題については、片岡遼平さん(原子力資料情報室)が、自らの
取材に基づく福島の現状や被ばく労働などの話から入り、原発再稼働・
廃炉の状況、エネルギー基本計画、原発輸出、核燃料サイクルとプルト
ニウムの軍事転用などについて、その要点を簡潔にわかりやすく話した。
 破綻は明らかなのに、不合理極まりない理屈がまかり通り、原子力産業は
今も健在という矛盾、福島第一原発事故で露呈したさまざまな人権侵害など
から、原子力は明らかに憲法違反と指摘し、原発も核兵器もない社会を
作っていこうと呼びかけた。

.. 2019年02月06日 08:24   No.1585002
++ 中村泰子 (中学生)…40回       
◎ この学習会に参加して次のような感想をもった。
 軍事産業も原子力産業も国策ということで、税金が惜しげもなくつぎ込
まれ、擁護されている。
 どちらも命と暮らしを脅かす「悪魔の産業」というべきものであるにも
かかわらず。人が平和に生きるために有害な、反社会的産業は不要であり、
社会から追放すべきではないか。
 死の商人がもうかる方向ではなく、本当に命と暮らしに役立つ産業とは
何かを考え直し、そういう産業を興し育てる方向に進まなければ、地球が
もたないと思う。
 地球を健全な形で未来に渡すことは、現状を作ってきた私たち世代の
責任だと思う。

.. 2019年02月06日 08:31   No.1585003
++ タク (社長)…725回       
過去のワールドカップを振り返る

ワールドカップ予選、日本VSオマーン、ロスタイムでようやく1点を入れて勝てた。 この興奮は、過去のワールドカップが脳裏に蘇ってきます。負けたトルコ戦の後、赤いトサカ頭の戸田が泣いていました。 若い市川はしゃくりあげ、トルシエから肩を抱かれていた。

中田は、敗戦後、先頭に立ってグラウンドを回り、声援を送ってくれたサポーターに、優しい表情で感謝の意を表していました。共同体の内部は、甘えに通じる赦し合いがあり価値観や喜びを共有します。 ワールドカップで、多くの日本人が同じ喜びを体験しました。

トルコ戦に負けた後の日本人が共有した空しさは、サッカーの日本の戦いを見て、同じ喜びをする機会が消え、日常の世界に戻ることの欠落感からくるのではないのであろうか?ワールドカップ、日本人の同じ喜びを分かち合う繋がりの仮想共同体は、淡く消えました。

あの感動は心底凄かったと思います。柏、新宿、渋谷、では、「ニッポン!!ニッポン!!」の合唱が起こりました。多くが若いフリータ世代だった。この国は何でも揃っている、希望を除けば、学校でも家庭でも職場でも、恐らく、心底から同じ喜びの経験はなかったのだと思う。それがまだ、自分の心に消えていないことが、解ったのではないでしょうか?

私もその一人でした。サッカーを初めて見るという一人暮らしの老人がテレビで語っていました。 サッカーのルールは解らないけど、一緒の喜びを分かち合えることが素晴らしいと。その前のワールドカップ・フランス大会では、日本は勝ち点ゼロでした。

敗れ去る時、日本人サポーターがスタジアムのゴミを拾って綺麗にして帰りました。自国が負ければ荒れ狂うサポーターに慣れている西欧のマスコミは驚いた。普段は部屋の掃除すら出来ないであろう若い世代が海外で自主的にスタジアムのゴミを拾って帰った。

素晴らしい行動です。こうした若い世代が何時の間にか育っているのです。それに比べ、今の親父どもは歩き煙草をしてポイステをするモラル・マナーが欠けている人間です。若者に道徳を教えなくてはならない親父たちが逆に見習うべきだと思います。

.. 2019年02月06日 09:31   No.1585004
++ タク (社長)…726回       
私は日本選手に、深く感謝します。人間的な誇り、これこそ我々が出会う価値で、至上的なものではないでしょうか。 日本人が忘れていたもの、それは排他的ではない、自尊と誇りではないでしょうか。平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し、同時に日本人としての誇りを持つことも大切だと感じたドラマでした。

.. 2019年02月06日 09:41   No.1585005
++ タク (社長)…727回       
痛ましい悲しい事件

千葉県野田市の小学4年、栗原心愛さん(10)が自宅で死亡し、両親が傷害容疑で逮捕された事件で、母親のなぎさ容疑者(31)が「夫に外に出すなと言われ、娘を1カ月ぐらい外出させていなかった」などと供述している事が、捜査関係者の取材で分かりました。

2人の逮捕容疑は、共謀して午前から深夜の間、自宅で心愛さんの髪を引っ張り、冷水のシャワーをかけ、首付近を両手でわしづかみするなどして死亡させてしまった。捜査関係者によると、なぎさ容疑者は事実関係を認め、「仕方なかった」などと供述しています。

勇一郎容疑者の暴力でできた痣を隠す為に、心愛さんを外出させない事がよくあったと話し、「事件が起きた日も外出しないように厳しく言った。夫の指示ではない」という趣旨の説明をしているという。少女の発したSOSを誰か受け止めることは出来なかったのか。

長期にわたって虐待の兆候が確認されていた。しかし学校も行政も地域も踏み込まず、命を守れなかった。心愛さんと日常的に接していた学校は、アンケートなどで虐待を把握していたが、救えなかった。暴力を訴えた翌日、担任が聞き取りをしていた。

市が公開したアンケートのコピーには担任の字で「昨日の叩かれた 頭、背中、首を蹴られて、今も痛い」「口を塞いで、床に押し付ける、自分の体、大丈夫かな?」などと書き加えられていた。

アンケートには「秘密は守りますから正直に書いてください」と書いてあるので必死の思いで書いたのでしょう。だが、野田市教育委員会は心愛さんが父親からの暴力を訴えたアンケートのコピーを、父親に渡した事は、虐待のリスクを高める極めて不適切な対応です。

子どもの命を守らなければならない教育委員会が自分を守ったのか。虐待を被るのは子どもであり、子ども第一に考えるべきでしょう。野田市教育委員会がアンケートの回答を渡してしまった直後、心愛さんは転校した。だが、その後も、虐待に気づく機会はあった。

心愛さんが新たに通っていた小学校は、父親から長期欠席の連絡を受けながらも自宅訪問などをせず、心愛さんが遺体で見つかった。この間の対応について、命を救えた可能性があったのではないだろうか。学校は子どもの様子を毎日確認できる場です。

.. 2019年02月07日 10:54   No.1585006
++ タク (社長)…728回       
虐待対応の最前線であるとの意識を持って欲しい。暴力を受け、誰にも相談できず、警察にも行けなかった。「お父さんに叩かれたのは嘘です」という内容の書面を心愛さんに書かせ、県柏児童相談所に見せていた事もわかっています。

柏児童相談所は書面を不審に思っていたが心愛さんに確認することなく、両親宅への帰宅を認める決定を下しました。野田市立山崎小学校のアンケートで「父親からの暴力」を訴え、柏児童相談所は、虐待の疑いがあるとして心愛さんを一時保護していたというのに。

県虐待防止対策室によると、「小学校の先生に聞かれて思わず言ってしまいました」「ずっと前から早く両親、妹と4人で暮らしたいと思っていました」「児童相談所の人にはもう会いたくないので、来ないでください。会うと嫌な気分になるので、今日でやめてください」

などと書かれていました。この時、勇一郎容疑者は「今日にも連れて帰りたい」と言い、柏児童相談所は、両親の家へ帰ることを了承しました。職員が書面を見せられた際、父親と親族がいたが、心愛さんには確認しなかった。

また、柏児童相談所は父親からの暴力を訴えたアンケートのコピーを市教委が父親に渡したことを関係者の会議で把握していました。心愛さんが本心で書いたのか不審に思った職員は、小学校で心愛さんに面会して確認した。

父親から母親にメールで届いた文面を「見ながら書き写した」と打ち明けたというのです。我が家にも小4の六女がいます。どうにかならなかったのであろうか。とてもショックです。残念でならない。

.. 2019年02月07日 11:12   No.1585007
++ タク (社長)…729回       
生き様

恵まれない環境の中で生き抜くのと言うことは大変なことです。それでも、必死で生きようとする姿勢は、同じ境遇にある人にとっては、とても励みになることでしょう。出世して偉くなったかどうかは関係ありません。今を生き抜こうとしているその様が、人様を励まして、勇気や希望を与えて、誰かを助けるのです。

人知れず掃除をしている人がいますが、感謝の言葉を求めていません。ただ、その道を通る人々が気持ちよく歩けるようにと考えています。とても美しい姿だと思います。あなたは死ぬ時、何と言ってこの世を去りますか。父は私に「ありがとう」と言って亡くなりました。自分が願う最後に素晴らしい言葉が言えるよう、今を精いっぱい生きましょう。

やりたい事をやらなかった時、私は後悔します。私はやりたい事をやって失敗しても、後悔はあまりしません。失敗したけれど、あの時やってよかったと言えます。失敗しても成功しても前進するのです。やらなかった人は、失敗も成功もしません。後悔だけが残ると思います。今の日本は、自ら命を絶つ人が交通事故死より多いです。

今の時代、平凡に生きられるだけでも立派です。平凡に生きる事すら難しい世の中なのです。私には何でも話して相談できる大切な友達が2人いました。子どもの頃から毎日一緒に遊び、青春を過ごしました。だが、もういない。私は亡き親友ができなかった辛い経験をして、あの世へ行った時の土産話にしようと思い生きています。

生きた証を残すというのは、名誉や財産を残すことだけではありません。社会に役立ち、人の生活を豊かにする、それが生きた証を残すことではないかと思います。人の為と書いて「偽り」と読みます。人の為と言う人は、結局は自分の為に動いているという意味です。人の為とは言わずに、はじめから、自分の為であると言って動けばいいのです。

「春秋の花も紅葉もとどまらず、人もむなしき関路なりけり」これは、島津義弘の辞世の句です。意味は春の桜や秋の紅葉が散ってしまうように人の一生もはかないものだ。関路という言葉には関ヶ原からの道のりという意味が込められています。

.. 2019年02月08日 10:52   No.1585008
++ タク (社長)…730回       
自分ひとりを戦場から逃すために命を落としていった家臣たち。死の間際、義弘の心に去来したのは、彼等忠義の家臣たちへの思いだったのかも知れません。いきざまの精神とはこのようにありたい。

.. 2019年02月08日 11:18   No.1585009
++ 仲條拓躬 (社長)…270回       
東亜連盟への接近

同志・工藤司氏は、昭和19年に小学校を卒業すると、中学校へはいけず、小学校の高等科に進んだ(高等科はまもなく廃止されたが2学年だった)。高等科で1人の先生に出会う。この人との出会いが、その後の人生の方向を決めたといえるかもしれないと語っています。

この原子昭三という若い代用教員は、それまで知っていた、どの先生とも違う型破りな人で、その授業も常軌を逸するものだったと言います。すべて自分の主観にもとづくままの、感情をむきだしにした直情的な授業で、生徒にとっては、何とも言えない自由な空気を与えられた思いがした。

まだ日本の敗戦が決まる前なのに、この先生は教科書に記された日本歴史はまちがっている、明治維新については異論があると言い、この戦争は近く負けるというのです。当時とすれば、言うまでもなく危険思想で、理解不能なものだったが、なにか愉快でもあった。

先生はまもなくその思想・行動ゆえに危険視されて学校を追われますが、その思想こそは満州事変の立て役者、石原莞爾の指導する東亜連盟同志会そのものだったのです。東亜連盟同志会は敗戦後マッカーサーによって超国家主義団体として解散させられました。

しかし、あるときは公然と打倒東条内閣を掲げ、世が鬼畜米英を喧伝しているときでも米英も文明国だといい、敗戦を予告して上手な負け方を国民に説くなどもするような、ウルトラナショナリズムに一括するわけにはいかない団体だったのです。

それゆえ戦時下の厳しい思想統制下にあって、反骨の青年らにとって唯一の拠りどころであり、酵素肥料の普及運動もしていたので篤農家の会員も多かった。またこの団体は地方重点であり、ムラの班活動を組織運動の原点としてもいた。津軽地方は石原の郷里の山形県庄内地方に次いで多くの会員を擁しており、「庶民の質的向上の基本」を説いていた。

原子先生の影響を受けた数人が、工藤司同志の家の屋根裏部屋を集会所にして東亜連盟思想の研究会をはじめるが、思いたったらとまらない性格である。暇を作っては村々の知り合いを訪ねて組織運動をやった。さらに組織拡大の足掛かりとすべく、青年団運動にも加わり、寸暇を惜しんで歩き回った。

.. 2019年02月12日 11:25   No.1585010
++ 仲條拓躬 (社長)…271回       
都市解体、農工一体、簡素生活といった言葉には、当時の工藤司同志にとって異様なまでに快い響きがあった。そして、物・金が全てという世の中を何とかしたいという気持ちが工藤司同志のなかに強く根を張った。

その一方で、なぜ農村の者だけが自分の小遣いもままならず、いつも追い立てられるように、切羽詰まった生活をしなければならないのか、という思いがいつも脳裏を去らなかった。(この頃から、世の人からは一種無謀といわれる志向が工藤司同志の中に根を下ろしたのだろう)

.. 2019年02月12日 11:53   No.1585011


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