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■--講和条約第11条
++ 六 (大学生)…84回          

サンフランシスコ講和条約第十一条に「日本国は極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し・・・」とあります。これは裁判が行われたことを正当とみとめるというのではなく、判決を認めること、具体的には刑の執行を認めたということだという識者の意見がありますが、それはそうだと思います。今や法律問題としてでなく、歴史問題として連合国の戦争裁判は何だったのかという問題を考えなくてはならない。連合国戦争犯罪法廷では判決の理由を述べずに死刑判決がなされたものがほとんどである。起訴の事由はのべられているが、判決理由はのべられていない。私は法律の素人であるが、このようなものは、裁判とよぶに値しない。こんなもので戦争犯罪人だときめつけるのは失礼きわまりない。賠償を請求していい問題だろうと思うが、講和条約11条があるから、法律的には請求できない。勿論訴える法廷もない。そういう訴えを理解する人もきわめて少数であろう。そういう状況であるが、政府は連合国戦争犯罪法廷の判決を受諾したのであるから、その裁判がどのようなものであったかを、国民ならびに世界に知らしめなければなるまい。また連合国ももはや、歴史の問題であるから、裁判の内容を公開すべきである。
.. 2008年10月05日 11:25   No.157001

++ タク (部長)…245回       
昭和26年9月8日は、敗戦日本が独立国として、世界の仲間入りができた輝ける日です。全面講和か多数講和かをめぐって議論がありましたが、日本政府はアメリカの方針にそって、多数国との講和でよしとしてサンフランシスコでこの日、講和条約に調印したのです。それと同時に日米安保条約が調印され、日本はアメリカの極東戦略体制下の一国に組み入れられてしまったのです。なぜ同時だったのかといえば講和条約が成立した時点でアメリカ軍が日本を占拠する大義名分はなくなったからです。しかし、アメリカにとってアメリカ軍の日本駐留は、共産主義勢力との世界的戦略の観点から必要でした。つまりアメリカ軍はこの時に、日本占領軍から在日駐留軍に変貌したのです。

.. 2008年10月07日 06:27   No.157002
++ 六 (大学生)…85回       
東京裁判ではa平和に対する罪、b通常の戦争犯罪 c人道に対する罪 で裁かれたと少し教養のある?人は考えている。それはそうなのだが、実際の訴因としては3つに分類されている。第一類平和に対する罪 第二類 殺人 第三類 通例の戦争犯罪および人道に対する罪 のの3つである。殺人というのは、どういう意味かというと、戦争で人を殺すのは犯罪にならないが、侵略戦争であるから、敵国将兵を殺しても不法殺害として殺人の罪になるという論理である。一般人民を殺せばもちろん不法殺害である。それで真珠湾の攻撃とか英領コタバルの攻撃は不法殺害として起訴された。南京攻撃の際も一般住民と武装解除兵員の殺害と起訴されていても、敵国将兵との区別はあいまいである。裁判の大枠である東京裁判がこういう論理だから、所謂BC級戦犯では、満足な弁護士がついていないのだから、そりゃあないぜの裁判が行われたことは当然だろう。だから講和に際して戦争裁判の判決をうけいれるということに関しては涙をのんでうけいれるのがあたりまえである。裁判されたものの身になってみろと思うが、はたして涙をのんでであったであろうかという疑問がある。日本軍が戦争犯罪をおかさなかったというのではない、犯罪をおかした当人が裁かれなかったということと裁判の基準そのものがおかしかったということである。そして日本軍の戦争犯罪は比較的少なかったと私は考えている。
.. 2008年10月08日 20:08   No.157003
++ タク (部長)…246回       
第二次世界大戦の終戦後、東京裁判が行われ日本人は裁かれました。日本が実際に「人類に対する罪」を犯したとしても、白人が日本国民を懲罰するのは果たして正義なのだろうか。また、将来起きるかもしれない同様の犯罪の抑止力になりうるだろうか。答えはノーです。

西洋列強が極東で行ってきたことをふり返り、戦争中の白人の行動を認識し、白人社会の政策と連合国の戦争政策を日々の新聞紙上で追うならば、日本を有罪にしても民主主義諸国の罪はぬぐえないことがわかるでしょう。日本が犯した罪は実際には何であったか、白人が何で日本を罰しているのか、白人はどういう根拠で罰せられるより罰する立場にいるのか、将来現れる侵略者にはたぶん、理解できないでしょう。

日本の罪と罰を再吟味して思うのは、国際法の原理原則はもっと厳密に定義する必要があるということです。日本の犯罪を人道的見地からいうなら、「国益」という自己利益を人権の上に置き、「国家の存亡にかかわる利益」を武力に訴えて守ろうとしたことです。しかし、すべての国がそういう行動を合法的権利と考えている限り、強者による弱者の懲罰は、自らの支配体制を維持しようとする大国の我欲でしかない見せしめの処刑でしかありません。

.. 2008年10月09日 08:04   No.157004
++ 伝 (大学生)…89回       
「日本の論点2008」で、高橋哲哉は「昭和天皇は東京裁判に感謝していた」という小見出しをつけた文を書いている。その根拠として「昭和天皇は、マッカーサー元帥が連合国軍最高司令官を解任されて離日する直前、1951年4月15日に行われた最後の会見で、「戦争裁判に対して貴司令官が執られた態度につき、この機会に謝意を表したい」と述べた。これに対してマッカーサーも「ワシントンから天皇裁判について意見を求められましたが、もちろん反対いたしました」などと述べ、自らの主張によって天皇の訴追を阻んだ経緯を明らかにした(天皇の通訳を務めた外交官、松井明氏の手記、朝日新聞2002年8月5日付)」これだけのことから、「昭和天皇は東京裁判に感謝していた」ことを示すことができると考えたのなら、読者の思想レベルはひどいものと考えたと言わざるを得ない。戦争裁判には東京裁判のほかに連合国各国裁判がある。これらの裁判に感謝する日本人があったら、当の連合国人は目をまるくするであろう。まして昭和天皇が感謝される筈がない。マッカーサーにしても、東京裁判のような裁判をすることは反対であった。彼は真珠湾攻撃とかで東条等の責任者を裁判処罰すればいいと考えていた。だから昭和天皇が東京裁判に感謝していた証拠には全然ならない。連合国の裁判は、かなり無法なものであったが、中には善処したものもあったであろう。昭和天皇が謝意を口にされたとしたら、その善処の部分について、昭和天皇が感謝されたと解釈できる。マッカーサーは昭和天皇の謝意を、かん違いしたか、おそらくは、わざと主題をかえて話をしたものではないかと愚考する。
.. 2008年10月25日 10:38   No.157005
++ タク (部長)…248回       
天皇制廃止はソ連(極東委員会理事国)が最も強く主張しました。アメリカの世論調査でも71%が廃止に賛成でした。中国(国民政府)は天皇制の存否は国民の投票によるべきだとしていました。「天皇の象徴と戦争放棄」の新憲法は総司令部の民生局案で、これでないとソ連は説得できないとマッカーサーは幣原喜重郎首相に突きつけたのです。それまで日本側では松本烝治案などいろいろあったが、いずれも明治憲法に近いもので民生局に一蹴されたので、幣原はこれを呑んだのです。

天皇制は、このようにして残されました。よって「国体は維持された」と政府は国民に説いたのだが、主権が天皇にあってこそ国体である、と国民は首をかしげました。そこで吉田茂首相は、現実には国体は変らぬのだとのたてまえをとり、新憲法を旧憲法的感覚で解釈し運用しようとしたのです。

.. 2008年10月26日 07:09   No.157006
++ 伝 (大学生)…90回       
天皇を戦争裁判にかけることを主張したのは、オーストラリアで、スターリンは天皇制廃止の主義であったろうけれど、昭和天皇を積極的に戦犯としようとはしませんでした。私が思うに、和平を申し入れたのは昭和天皇で、当時の連合国の世論からすると、天皇は戦争責任者として処刑されることが十分想定されるところであった。自らの命を犠牲にしても国民の命を助けよう、おまけに連合国の国民の命をも心配するようなことを言っている、天皇という存在はスターリンにとっては、ありえない存在でなかったろうか。理解の枠をこえているのだが、犠牲的決断であるとしないと、つじつまがあわない。スターリンは暴力団の抗争顔負けのような闘争の中をのしあがって?きた人物で悪人ではあったろうが、大物であることはまちがいない。こういう男が何を考えたかは、推測できないが、とにかく昭和天皇を裁判にかけようとはしなかった。裁判でほんとうのことをしゃべられるのは、まずかったであろうから、そういうことを考えたかもしれない。
.. 2008年10月26日 15:32   No.157007
++ タク (部長)…249回       
終戦をむかえた段階で、日本の陸軍は250万人もの兵隊をそのまま本土決戦用に温存していました。これは、半端な数字ではありません。もしこの250万が占領軍に抵抗したら、イラクのゲリラどころじゃありません。治安は安定しなかったでしょう。日本をスムーズに占領すること、つまり治安が安定するということと、憲法を早くつくることはリンクされていたことなのです。

11カ国で構成する極東委員会には、天皇の戦争責任を追及するという動きがありました。マッカーサーは極東委員会が動く前に日本国憲法を機能させたかった。それは、占領をスムーズに行なうためだったのです。もし、極東委員会の言うように、天皇の戦争責任が追求されたら、国内に温存していた旧日本軍が武装蜂起をしたことでしょう。もしマッカーサーが天皇制を残した憲法の草案を作成しなかったら、天皇制を廃止する考えもあった極東委員会が、天皇を戦争犯罪人として裁くことになって、日本国内で天皇を助けようと内乱が起きる可能性があったのです。

天皇に万一のことがあれば、旧日本軍の温存兵力だけではなくて、当時の日本政府のほとんどがマッカーサーと反対の側に回って、占領は行き詰ったでしょう。なので、敵国が短い時間で憲法を作成したというのも、仕方なかったのかもしれません。いずれにしても当時の政府はそれを受け入れたのです。

.. 2008年10月26日 17:43   No.157008


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