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アメリカでは、1930年代後半までに石油が石炭を抜いて最大のエネルギー源となりましたが、ドイツでは、第2次世界大戦直前でも、石炭が国内で使われるエネルギーの9割を占めていました。20世紀初め、ドイツの科学者は石炭から抽出した液体で合成燃料をつくることに成功しましたが、その工程は費用がかかり過ぎました。
世界市場で安い石油と張り合うことは出来なかったのです。ヒトラーは、1936年にドイツの巨大化産業IGファルベンの助けを得て、国内に合成燃料の産業を確立するという野心的計画を実行に移してこう宣言しました。
「この課題には、戦争の遂行と同じ断固たる決意を持って取り組み、是が非でもそれを成功させなければならない。なぜなら今後の戦争の遂行がその解決にかかっているからだ。」1940年、ドイツの精油所は1日に72000バレルの合成石油を生産しました。これはドイツの石油供給量全体の半分近くにあたるのです。
1944年には、合成石油産業は軍事用エネルギーの半分以上をまかなうまでになりました。軍用機の燃料は92%が合成石油だったのです。しかし、その不十分を補う石油の確保は困難で高くついたのです。石油を渇望するドイツは、1941年6月22日にソビエトに侵攻したのです。 ヒトラーは、ソビエトに対して迅速に勝利を収めたかった。
コーカサス地方のバクー油田へのアクセスを確保して十分な石油を手に入れ、戦争に勝つことが出来ると見込んでいたのです。ドイツの軍需相アルベルト・シュペーアは、1945年、連合国側の尋問に答えて、ドイツがソビエト侵攻を決意したのは「石油の必要性が最大の動機であることにまちがいない」と認めていいます。
しかし、ソビエト軍の抵抗でドイツの攻撃は勢いが鈍った。1942年8月、ドイツ陸軍はコーカサス地方のマイコープ油田に到達したが、油田と精油施設はすでにソビエト軍に爆破されたあとでした。燃料が乏しく、母国からも遠くはなれたドイツ軍に敵を打ち負かしてコーカサス地方の中心的油田地帯であるグロズヌイを確保する力はなかったのです。
.. 2018年11月27日 06:18 No.1535001
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