返信


■--占領政策
++ 伝 (大学生)…85回          

2001年秋のAPECサミットの際、小泉首相は、ブッシュ大統領とパウエル国務長官に、「真珠湾」後、米国が対日占領政策の検討を開始したことを話し、第二次大戦期に米国がよい仕事をしたことを称えつつ、今アフガニスタン戦争が始まったが、このたびは日米共同でアフガンの戦後復興に速やかに着手することを提案したという。占領政策にも光?と影の部分があるであろうが、その影がハッキリするのが戦犯裁判である。連合国はこんな裁判をやって反省がないようでは絶対に平和は来たらない。論より証拠平和ではない。将来はもっとひどい状態にまたなるかもしれない。面とむかってはお世辞も必要であろうが、占領政策のひどいところはきちっと日本人は認識しておくべきだ。占領期にはひどい目にあった人がいるのだ。日本人が占領政策をきちんと評価しないと、占領成功モデルとして同じようなことをやるようになる。イラクはどうもそのようだ。冬の兵士の話では終戦直後の頃を連想した。
.. 2008年09月11日 21:05   No.152001

++ タク (部長)…241回       
パウエル国務長官は強硬派やネオコンの影響力が強いブッシュ政権の中で、国際協調派の中心的存在でした。他国との調和を重視して、イラク戦争では最後まで慎重でした。だが、強硬派の意見が強くアメリカは戦争に突入しました。その時、パウエル国務長官は残念ながら、「イラクが大量破壊兵器を保有している証拠がある」と発表する役割を演じてしまったのです。

アメリカの外交政策は、今後、ますます強硬派に傾いてしまうように思えます。代わりのライス新国務長官はブッシュ大統領の信任厚いことは確かのようです。ブッシュ大統領が再選され、チェイニーなどの強硬路線がアメリカ国民に支持されたのだから、もはやパウエル国務長官の居場所はなくなってしまいました。

.. 2008年09月14日 13:16   No.152002
++ 伝 (大学生)…86回       
上の小泉首相の話がでているのは、「日米戦争と戦後日本」(五百旗頭真著)の講談社学術文庫版のあとがきです。ブッシュ大統領がイラク戦争について、日本と戦争したが今では同盟国だと言っていたのが記憶にあるので、小泉首相がそんな話をしたというのを読んで半分ビックリしました。占領政策が成功?したのは、終戦が昭和天皇により導かれたことと、新日本のためにはたらいた(戦友の死を胸の底に思いつつ)多くの国民があったことによるので、占領政策がよかったためではない。戦犯裁判では究極の人の悪さを示しているし、精神面道徳面では日本人の哲学を破壊した。これについては研究の上キッチリとアメリカ人に言うべきであるが、世渡り学者が多くて(ばかり?)学者にはいないのではないか、それと不勉強な愛国者は憤ることはするが、研究をする人は少ない。もっとも容易なことではない。
.. 2008年09月15日 22:34   No.152003
++ タク (部長)…242回       
イラク戦争が終わると、ブレア首相はアメリカから相手にされず、アメリカは同盟国など不要で、同盟国になりたいのなら、今より従属的な立場になれという態度をとっているのです。当時ブレア首相はワシントンを訪問した後、東京にきて、小泉首相との会談を終え記者会見に臨んだが、疲れ切って青ざめた様子で、イギリスの同行記者団から厳しい質問を投げかけられて、返答ができずに立ちすくんでしまいました。異変を感じた小泉首相が機転を利かせて、その場で記者会見を打ち切り、ブレア首相を押し出すような感じで会見場から出て行きました。

翌朝の小泉首相との箱根での朝食会がテレビに映ったが、視点が定まっていない感じでした。小泉首相がブレア首相を励ます光景もテレビに映ったが、何だか小泉首相はにやけた表情だったのが印象的だった。小泉首相は、イギリスもようやく日本と同じ犬になりましたね。日本は60年前からアメリカの犬ですが、世界各国からは嫌われてしまいますが、なかなか良いものですと言っているように見えたのです(笑)

.. 2008年09月16日 18:16   No.152004
++ 伝 (大学生)…87回       
「日米戦争と戦後日本」によると、日本を占領してどうするかについて、6つの案が議論された。一番極端なのが、国家壊滅民族奴隷化論で、アメリカ国民の三四割が支持したそうである。アメリカは民主国だから、民意のこれだけの数があれば、日本は無条件降伏できないわけである。これの対極が日本帝国温存論で、これを支持する人は少なかったと思われる。将来の中国やソ連に対する対抗力として温存しておこうということなので、公然たる意見ではない。それから隔離放置論があった。ふたたび鎖国の状態にもどそうというのであるが、これも無理。それから介入慎重論で慎重に介入しようということらしい。それから積極誘導論。そして介入変革論で、基本的には介入変革論の線でいった。しかし占領初期には軍事力を壊滅するという目的でやったから、恐怖による政治があった。占領したての頃は占領軍の車を追い越すと銃撃するというきまりをつくったりしている。マンガの世界か凶暴なやつのすることが戦後には行われがちである。本来の日本人は「昨日の敵は今日の友」だ。しかし(精神的)病気の日本人は凶暴なところもある。
.. 2008年09月24日 20:06   No.152005
++ タク (部長)…243回       
占領役者ロシア。(笑)

占領から、日本の貿易はアメリカの行政機関が運営管理している。この代理機関を通さないと貿易ができない。この機関が価格を設定し、円の価値を決め、集金し、占領軍会計あるいは食糧・綿花輸入会計に繰り入れている。ちなみに食糧と綿花の輸入は、飢餓とそれに付随する混乱を防ぐため、ようやく認められたものです。

戦争は日本経済を決定的に破壊しました。賠償金、日本国の改革計画に必要な膨大な経費、これに巨額の占領コストが加わって、インフレは急上昇しました。1946年度の国家予算は、平時の1930〜31年予算のほぼ50倍以上にふくれ上がった。アメリカ式に贅沢な占領は、1930年の年間軍事費を上回るお金を日本に使わせました。

以後、占領コストは急増し、1946年7月1日から9ヶ月間の占領軍経費は45億円にのぼっている。これからみると、日本陸海軍が、23億3千5百万円足らずの予算を獲得した1940年は「古きよき時代」です。1947年8月現在の政府予算は1845億円という天文学的数字にのぼったが、その43パーセント以上が占領軍経費に充てられているのです。

日本の将来に横たわる問題の深刻さを理解するには、たとえば、カリフォルニアをアメリカから切り離して海の真ん中へもっていき、人口を現在の8百万から7千800万に増やし、青々とした農地を半分に減らした姿を思い描けばいいでしょう。これに爆撃による荒廃と、外国占領軍の膨大な駐留コストをのしかからせたのが、日本列島の現状で、これが占領国による日本人の苦しみなのです。この状態が形を変えながら今も日本国土に根付いて国民の血税をヒルのように吸い上げているのです。

日本が戦争に負けてしまいましたが、アジアの島々は植民地から解放されました。米国は日本語を強制的に押し付けていたと流布しましたが、実際に語る島々人々は日本語教育を受けて道徳を学び・法律を学び日本が統治した国は発展しているのです。その現実をわからない日本人は残念でならないのです。戦後、日本国はアメリカに占領されいまだにマインドコントロールされています。果たしてここまで歴史を勉強している方がどれだけいるであろうか。多くの方が「日本人が悪い」と洗脳され呪縛が解けないのです。

.. 2008年09月25日 08:05   No.152006
++ 伝 (大学生)…88回       
占領時代については学者もあやしげなことを書いています。小林英夫著「日本軍政下のアジア」に「軍票」(占領地通貨)について、「世界的には、第一次世界大戦でドイツが大々的に使用し、第二次世界大戦では交戦国のほとんどが使用した。戦後、アメリカは日本占領において軍票(B円)を準備したが、本土では使用されず、沖縄のみしばらくB円が通用させられた」と書いてありますが、昭和二十年九月十六日、日本帝国大蔵省声明が新聞に発表され、日本国民は進んで受領すべしと言っています。同年十二月六日の朝日新聞に軍票二千五百万円が回収されたという記事があるから、すくなくとも二千五百万円は使われた。終戦の時点での貨幣価値からするとかなりの額でインフレをおこす要因になったと思われる。また九月十六日の声明では「日本政府及陸海軍の発行せる一切の軍票及占領地通貨は無効且無価値とし一切の取引に於いて之が授受を禁止す」と言っているが、これも占領軍の強制によるもので、日本政府が軍票の補償を自らしないことにしたのではない。
.. 2008年09月29日 21:01   No.152007
++ タク (部長)…244回       
大東亜戦争が終戦を向かえると、米軍が沖縄を占領した地域の中に、尖閣諸島は含まれています。米軍は尖閣諸島の一部の島を、砲撃演習場などとして使用していました。つまり、無人島だった島を日本人が開発していたのですが、日本が戦争に負けたから米軍が占領をしたのです。

南海の小さな島だし、米軍が占領をしているから、どの国も何も言い出しませんでした。だが、昭和43年の国連の調査で尖閣諸島の付近一帯に、石油が埋蔵されている事がわかったら、アメリカの石油会社はこれを狙い始めますが、アメリカ政府は、領有権をもっている日本との間で問題が起きる事を懸念して、アメリカによる石油開発は行なわれなかったのです。

この背景には、日本とアメリカの間で「沖縄返還」が行なわれる機運の高まりがあったからです。尖閣諸島が属する沖縄が日本に返還をされてしまえば石油開発を米国が今やっても、先々日本のものになってしまうと言う事で、アメリカは手を引いたのですが、今度は中国や台湾が領有を主張し始めたのです。

.. 2008年09月30日 08:10   No.152008


▼返信フォームです▼
Name
Email
ホームページ    
メッセージ
( タグの使用不可 )
Forecolor
アイコン   ICON list   Password 修正・削除に使用