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■--防犯対策について
++ タク (社長)…615回          



最近の犯罪は重機を使用して扉や壁を壊して侵入するなど、手口が粗暴化しています。こうした侵入犯罪に遭うと、金銭的な被害はもちろんですが、最悪の場合は、顧客や従業員の生命に危害が及ぶ恐れがあります。防犯対策として企業がまずやるべきことは、防犯担当者を設置することです。

防犯担当者を専任で置くことが理想ですが、中小企業の場合は警備員や総務部などが兼任となるのが一般的だと思います。防犯担当者は次のような要領で防犯対策を考えたらよいと思います。@自社にとっての脅威を特定する。A自社の弱点を把握する。B施策・方針を社内に周知徹底する。C適切なハード・ソフトを活用する。

防犯効果を高めるのに役立つ機器といえば、防犯カメラでしょう。映像の撮影と録画が可能な防犯カメラの設置は、特に夜間に不審者の侵入を防ぐ有力な対策となっています。外部からの侵入を防ぐために、建物の出入り口はもちろん、各室への出入り口にも設置すると防犯効果が高まります。

内部からの個人情報の流出などを防ぐ必要性が高い場合には、室内の重要なところに監視カメラを設置することは有効です。会社に侵入する空き巣が、建物内に侵入する手段として、ガラス破りがあります。警視庁の方に伺ったことですが、空き巣にとって最大の難関は、ガラスを割る際の破壊音と割るのに要する時間だそうです。

ガラスに防犯フィルムを貼ってあると、破壊されて解錠されるまでの時間を引き延ばすことができます。空き巣はガラス破りに5分以上かかれば犯行をあきらめるというデータもありますので、時間の引き延ばしは効果があります。しかも、防犯はもちろんのこと、地震などの防災効果も高まります。

大事なものは防犯のための金庫が必要です。金庫にも様々な種類がありますが、防犯効果が高いのが防盗金庫です。防盗金庫は、扉の厚みや構造などが耐火金庫とはまったく異なり、ドリルやハンマーなどの工具による破壊行為や、バーナーによるガス溶断に耐えるよう設計されています。

.. 2018年10月17日 10:30   No.1508001

++ タク (社長)…616回       

もちろん一定の耐火性能も備えていますし、鍵も頑丈なので、解錠にかかる時間もかかり、通常の耐火金庫より長くなります。なお、金庫自体にも相当な重量がありますが、さらにボルトで床に固定するなど、持ち去りにくいようにする対策をしておくと更に効果があります。

.. 2018年10月17日 10:42   No.1508002
++ 仲條拓躬 (部長)…191回       
県民性岩手県

岩手県を一言で言うと冬が長く厳しい風土だと言います。岩手は、北上高知で内陸部と三陸海岸に分かれています。一関あたりを分岐点にして、北が南部藩、南が伊達藩で、それぞれが団結しあって対立し、仲が悪かったのです。南部の国は「山百里、川百里」といわれ、北上高知を貫いて三陸海岸と内陸地方を結びつける交易は牛以外になかった。

牛の背には三陸の海産物や塩・大豆が積まれ、帰り牛には米、野菜、衣料品などが積まれた。陸中海岸は岩手県下にありながら盛岡との接触がなく、異国を向いて生きてきた。宮古は、関東地方を通り越して京都や堺と直接交流していた。

岩手県全体としては夏が短く、冬が長い。その厳しい風土から、粘り強い、たくましい性格の県民性が生まれた。雪に覆われた冬にはじたばたせず、じっくりとものを考えて知恵を生み、冷害に見舞われながらも、毎年種をまいては実りの秋を待つ忍耐力を植えつけた。この県ほど地形が風土に影響をおよぼした例はないでしょう。

とりわけ江戸時代の天明の飢饉では、想像を絶する記録が残されています。もともと米作に不向きな土地にありながら、年貢制により開墾を強いられました。度重なる冷害に対して、藩主は実態を知ろうとせず、中央は吸い取れるだけ吸い取るという無謀な政策のため、悲劇は続いたのです。

東京23区の面積に等しい岩泉町や牧場の田野畑村では百姓一揆が続発したが、弾圧でことごとく封じられ、農民の生活は悲惨の連続でした。米作に不向きな土地柄なのに米作を強いられ、米がなくなれば、労働の主役であった馬も死に絶え、その結果、伝染病が村中に広がり、人口が激減した。

岩手北部の「チャグチャグ馬コ」は、馬を大事にする風土から生まれた祭りです。盛岡冷麺には、簡単に噛みきれないほどコシの強い黄白色の麺が使われています。冷麺はもともと朝鮮半島の庶民が好んで食べたものだといいます。

雫石の原野に日本一の大農経営が誕生した。それが小岩井農場です。11月に見学してきましたが藤原氏が奥羽の地に覇を唱え、平泉に黄金文化を打ち立てました。イーハトーヴは、宮沢賢治ゆかりの地です。37歳という若さでこの世を去りました。

.. 2018年10月17日 10:53   No.1508003
++ 仲條拓躬 (部長)…192回       
岩手では、「岩手人で最も好きな人物」として宮沢賢治をあげる人が多いです。石原莞爾とも関係が深く、東京都一之江にある「国柱会」にはお二人の骨が分骨されています。石原莞爾平和思想研究会では毎年、式典を行なっております。

また、山口、東京に続いて第3位の総裁輩出県です。原敬、斎藤実、米内光政、東條英機、鈴木善幸の5人が総理大臣となっています。さらに1997年の国内の木炭生産量は2万8791トンです。このうち約25%にあたる7302トンが岩手産で、1950年から第一位を続けています。

木炭が貴重なエネルギー源だったピーク時には約20万トンを生産したが、その後は激減しました。岩手は建材として高く売れる杉などの植林が少なく、ナラなどの広葉樹が豊富なので、最近はそれらの資源を生かして入浴剤や消毒液などに使われる木酢液の生産に力を入れています。

.. 2018年10月17日 11:04   No.1508004
++ タク (社長)…617回       
日本が沈没する

時が経つにつれて天災が起きる頻度が増えているように思える。これから地球規模での異常な天変地異に人類は生き残ることが出来るのであろうか。東日本大震災が起こる10年前に業界紙のトップページに私の文章が掲載された。

私が予想していた通りに東電の事故を言い当てその後の対応についても掲載した通りに事が進みました。東日本大震災が起きた直後にインターネットにも掲載したので建設的な意見も出さずに中傷するようなことしか書き込めない自己中心的な方に悩まされた。

政府も東電も天災だけでなく人災を認めているのに「これは天災だ!」と何度も書きこんできた輩がいた。その方からの謝罪は一言も書き込まない。放射能で苦しむ被災地の方に天災だから我慢しろと言えるのか。

メールでも配信してくれれば済むところをわざわざ掲示板に書き込みヒーロー気取りでひとりよがりな方は自分のホームページで書き込んでいればいいのだと思う。もしかして経済産業省か東京電力の回し者だったのであろうか。

話は変わり随分前の話ですが「日本沈没」と言うドラマが世の中を騒がしたことがあった。富士山を中心にして日本列島が二つに割れて沈んでしまい、最後は東京の三鷹だけが残り、三鷹の家にいた私は笑ってしまったのを覚えている。

このストーリーは映画化もされました。だが、もしかしたらこの話が本当になるのではないか、という予感もある。地震学者の説によれば富士川あたりに大きな断層があり、東海大地震の時にはこの断層が動くと言われている。

この断層が瞬時に何メートルも動き、その上を走る東海道新幹線、東名高速など日本の幹線が完全に切断されてしまう。過去世界最大の地震と言われる、チリ地震では長さ1000キロメートルに渡って幅10メートルもの移動があったという記録もある。

マグニチュード8を越えると予想されている南海トラフ地震が起これば地面が何メートルも動くわけだ。そこに、原子炉があったらどうなってしまうのだろう。まさに日本沈没になるかも知れない。

.. 2018年10月18日 09:03   No.1508005
++ タク (社長)…618回       
大量破壊兵器の証拠はない

過去に米国のオニール前財務長官は長官在任中に「イラクの大量破壊兵器に関する証拠を一度も見たことはない」と米誌TIMEに対し述べました。オニール前長官はCBSのテレビ番組でも「ブッシュ政権は政権発足時からイラク攻撃をすでに決定していた」と批判しました。

ワシントン・ポスト紙記者にも政権の内情について詳しく語り、ホワイトハウスの国家安全保障会議でも、イラク侵攻の必要性や正当性についての議論は皆無で、ただ、侵攻をどうやるのかという方法論の議論だけで、ブッシュ大統領は、やり方を見つけてくれというだけだったと批判しています。まるで昔の日本国を見ているようです。

結局、イラク国内で大量破壊兵器に関する証拠は何も見つかりませんでした。アメリカの情報網は素晴らしく、日本もその恩恵を授かっています。イラクが大量破壊兵器を持っているという確固たる証拠というのは世界最高の情報機関の間違いというのは考えられないので、嘘をついて戦争を仕掛けたと言うことがアメリカ内部から暴露されたのです。

被害者は、無辜のイラク国民です。独裁者は排除されましたが、それに至るまでに多くの人民が犠牲になったわけです。アメリカは第二次世界大戦後初めて公にして先制攻撃という手段をイラクに行った。イラクがアメリカに何かいけないことでもしたのかな?

ブッシュ大統領は、イラクに大量破壊兵器があるかもしれない、その兵器がテロリストに渡り、アメリカを攻撃するかもしれないとイラクに先制攻撃を行ったのです。こんな形で、先制攻撃をしていいのであれば、どこの国に対してだって気に入らない指導者に武力行使が可能になるわけです。

ブッシュ大統領は、大量破壊兵器の解除ではなく、フセイン政権の転覆を狙っていたのです。ある新聞の社説によると、「国際協調か同盟かと問われれば、日本の繁栄と安全を保障するのは日米同盟しかありえない」ということです。果たして国益とはアメリカを除いた、地球全土を手に入れるものなのだろうか。

.. 2018年10月19日 08:49   No.1508006
++ 仲條拓躬 (部長)…193回       
本の読み方

本を読んでいると、興味の山もあれば谷もあります。大変面白いと思っていると、やがて、それほどでもない部分が続きます。それが過ぎると、また、盛り上って面白くなってきます。疲れてくると、その谷のところで、中止したくなるものです。

あとは明日にしようなどと思って本を閉じるのですが、それが永久に縁の切れ目になってしまうことが少なくないのです。積み重なった本はそうして出来てしまいます。読むコツは、谷のところで読み、山のところ、あるいは、山へさしかかるところで休止する事です。

この先が面白そうだ、もう少し読み続けたいという気持を持ったところで、あえて切るのです。そうすると、あとで本を開くきっかけがつかみやすいのです。逆に興味のないところで切ると、本の引力は少ないから、本へ帰る事を忘れてしまい永遠の別れになるのです。

面白くない本を読まないのは自然です。面白くてたまらなくなりそうな本なら、放っておいても読まずにはいられなくなるはずです。それを読まずにいるのは相当な禁欲的意思を必要とするでしょう。ところが、石原莞爾関係の本や中原秀臣先生の本のように、面白すぎて、先が読めない気持になることもあります。

途中でやめるのは、面白くなった本と同じだが、こちらはたえず本を意識しています。いつの間にか本の存在を忘れるのとは大違いです。酷く面白そうだとなると、かえって、先を読み続けられないというのは自分の癖なのかもしれません。ロバートキヨサキや田原総一郎先生以来、何度かそういうことがありました。

いまでもこの癖は抜けないらしく、ときどき自他ともに迷惑します。同志が出版したので「読んでくれ」と引き受けて読み始めた本が、予想外に面白い。10ページくらいのところで、これは危ないと思い出す。20ページあたりで、もう読んではいられないような気がします。本を閉じてぼんやりしていると、あれこれ余響が浮かんできます。

それに身をまかせているのはこのうえなく楽しいです。いつの間にか自分の考えを触発されることもあります。これではしかし、書評して欲しい同志の質問には間には合わなくなります。せかされて、「早く、読んでくれよ。」などといわれて、書評ができないで、迷惑をかけてしまうことがあります。

.. 2018年10月22日 12:54   No.1508007
++ 仲條拓躬 (部長)…194回       
面白そうな本の書評は鬼門です。そうかといって面白くない本の書評も苦しいです。いずれにしても書評には向かない人間だとあきらめて、このごろは長く時間がかかるけど期待しないで待っていてねと最初に言っておきます(笑)
.. 2018年10月22日 13:00   No.1508008
++ 仲條拓躬 (部長)…195回       
クラウゼヴィッツに学んだ知将モルトケ

ドイツ統一成功の陰に『戦争論』あり。対照的な2人がコンビを組めた謎。ビスマルクは朝寝坊で大食漢でおしゃべりだといいます。モルトケは早起きで小食で寡黙です。およそ対照的なふたりで、決してうまの合う仲ではなかったのですが、がっちりスクラムを組んで、ドイツ統一の偉業を達成し得たのはなぜだろうか。

まず、最初にあげられるのはドイツ統一という大目的を共有していたことです。この大きな旗印がなかったら、とてもコンビは組めなかったでしょう。下馬評ではオーストリア有利といわれた普墺戦争ですが、いざふたを開けてみると、参謀総長・モルトケの作戦が見事に当たり、わずか7週間でオーストリア軍を粉砕し、首都ウィーンに迫ったのです。

モルトケはじめプロイセン軍首脳は、ここで一気にウィーンを陥れようと主張しました。勝ち戦に意気上がる軍隊とすれば、当然です。ところが宰相ビスマルクはこれに断固反対でした。ビスマルクはもうひとつ先を読んでいました。ドイツ統一を果たすためには、いずれフランスと一戦を交えなくてはならない。

その時に備えて、ここは自重してオーストリアに恩を売っておくにしくはない、というのがビスマルクの深謀遠慮です。モルトケは、後になってこのビスマルクの慧眼に納得したらしいが、そのときは大いに不満でした。しかし外交は政治家に任せ、軍人は口を挟むな、というクラウゼヴィッツの教えを守って、あえてモルトケは逆らわなかったのです。

これがよかった。4年後の普仏戦争でオーストリアは中立を守り、モルトケは後顧の憂いなくフランスに兵を進めることが出来たのです。その意味では、ドイツ統一のクラウゼヴィッツありといえないこともないのです。普墺戦争の時、モルトケは軍事が議題に上る時には閣議に列しています。

これは「戦争論」でクラウゼヴィッツが提案していたところです。さらにモルトケは作戦に関しては国王に直接上奏する帷幄上奏権(いあくじょうそうけん)を与えられたが、ことが外交にからむ場合は軍の意見を述べるにとどまり、昭和の日本軍部のように、上奏権を行使して、ごり押しするようなことはなかったといわれています。

.. 2018年10月22日 13:27   No.1508009
++ 仲條拓躬 (部長)…196回       
7週間で大国オーストリアを破り、6か月でもうひとつの大国フランスを降伏させ、ナポレオン3世を捕虜にするという、信じがたい戦果をあげたモルトケの辣腕に、世界中が驚倒しました。座右の書として聖書とホメロスをあげ、「もっとも影響を受けたのはクラウゼヴィッツ先生の『戦争論』」と言い切ったモルトケの言葉に、世界は2度びっくりした。

なぜならその頃はまだ『戦争論』はプロイセンでしか読まれていなかったからです。以来、『戦争論』は世界中でもてはやされるようになります。日本で『戦争論』を最初に約したのはのちのちの文豪、森鴎外です。

鴎外はドイツ留学中に『戦争論』を読み、帰国後、陸軍将校たちに偕行社(陸軍の将校クラブ・石原莞爾平和思想研究会で使用)で講演したりしています。『戦争論』の思想は軍人勅論にも受け継がれ、明治の将軍たちの行動規範になりました。けれどもどうやら将軍たちは『戦争論』を熟読玩味したりはしなかったようです。

軍務繁多な将軍たちはやむをえないとしても、軍事学のメッカのはずの陸軍大学でさえ、本格的には研究しませんでした。軍事学の研究自体、欧米やソ連に比べてはるかに遅れていたと、「最終戦総論」を書いた石原莞爾は慨嘆しています。

.. 2018年10月22日 13:37   No.1508010


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