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我が家は玄米を食べていました。石原莞爾平和思想研究会の会員は玄米を食べている方が多かった。最初は父が食べていて、一時は家族全員が玄米を食べていました。玄米だけでは食べにくいので白米を混ぜて食べていました。 玄米には繊維、酵素、アミノ酸、カロチノイド、ビタミン、ミネラル、ポリフェノールなどなどがいろいろなものが含まれています。身体への効果としては、便秘やダイエット、癌の予防などです。 無農薬の玄米でないと、白米よりは農薬が多く残っているのでよくといでください。米国の病院ではHIV患者やがん患者にも利用されているそうです。 仕事から帰って来ると呑んで帰ってくるせいもあるのですが、消耗状態でしたが、疲れ知らずでした。疲労感が全然違います。石原莞爾平和思想研究会の会報誌にも紹介されていましたが、玄米を推進している会員の方が本を出版しています。その本を読むと石原莞爾将軍と誰もが知っている岩手の生んだ文学者、宮澤賢治も食べていたという。 この2人が同じ宗教団体である国柱会で同門の間柄です。毎年、石原莞爾の法要は国柱会で行っていました。宮沢賢治のお墓もございます。国柱会とは、法華経を元にした思想団体でした。教主であった田中智学の教えの中の「八絋一宇」という言葉は、日本書紀からの造語で、「世界が一つの屋根の下で仲良く平和に暮らしましょう」という意味です。 戦後の言論人の言うような侵略を意味する言葉では決してはありません。宮沢賢治の農民論には、「世界全体が幸せにならなければ個人の幸福はありえない」とか、「雨にも負けず・・・」の詩、そして数々の博愛的な童話の中には、この田中の教えと法華経につながるところが多くあるのではないかと言われています。 石原莞爾と宮澤賢二の大きな共通点が、玄米を主食にしていたということです。宮澤賢治が玄米を食べていたことは、「雨にも負けず」の詩の中に、「1日に玄米4合・・・」とあることが明らかです。1日玄米4合はいくら何でも多すぎると思いますが、私の父は石原莞爾と一緒に暮らしていたので石原莞爾も早くから玄米を主食にしていた事を知っています。 昭和25年、郷里山形遊佐町の開拓小屋で、多くの人々に見守られながら没しましたが、無くなる前にこれからの日本の進むべき道として、戦争放棄はもちろんのこと、農工一体、都市解体、簡素生活の平和三原則を遺しました。
.. 2018年10月10日 12:05 No.1502001
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