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1945年に石橋湛山氏(1956年に総理大臣・自由民主党)が 書いた「靖国神社の廃止」の提言記事です。 一般にはあまり知られていませんが貴重な文です。 今年も又、8月15日の「靖国」の季節を迎えている折りですので参考になればと思います。
■■引用開始■■
石橋湛山「靖国神社廃止の議 難きを忍んで敢て提言す」
甚だ申し難い事である。時勢に対しあまりに神経過敏なりとも、或は忘恩とも不義とも受取られるかもしれぬ。併し記者は深く諸般の事情を考え敢て此の提議を行うことを決意した。謹んで靖国神社を廃止し奉れと云うそれである。 靖国神社は,言うまでもなく明治維新以来軍国の事に従い戦没せる英霊を主なる祭神とし、その祭典には従来陛下親しく参拝の例を尽させ賜う程、我が国に取っては大切な神社であった。併し今や我が国は国民周知の如き状態に陥り、靖国神社の祭典も、果して将来これまでの如く儀礼を尽して営み得るや否や、疑わざるを得ざるに至った。殊に大東亜戦争の戦没将兵を永く護国の英雄として崇敬し、その武功を讃える事は我が国の国際的立場に於いて許されるべきや否や。のみならず大東亜戦争の戦没者中には,未だ靖国神社に祭られざる者が多数にある。之れを今後従来の如くに一々調査して鄭重に祭るには、二年或は三年は日子を要し、年何回かの盛んな祭典を行わねばなるまいが、果してそれは可能であろうか。啻に有形的のみでなく、亦精神的武装解除をなすべしと要求する連合国が、何と之れを見るであろうか。万一にも連合国から干渉を受け、祭礼を中止しなければならぬが如き事態を発生したら,都て戦没者に屈辱を与え,国家の蒙る不面目と不利益とは莫大であろう。 又右の如き国際的考慮は別にしても、靖国神社は存続すべきものなりや否や、前述の如く靖国神社の主なる祭神は明治維新以降の戦没者にて、殊に其の大多数は日清、日露両戦役及び今回の大東亜戦争の従軍者である。然るに今、其の大東亜戦争は万代に拭う能はざる汚辱の戦争として、国家を殆ど亡国の危機に導き、日清、日露両戦役の戦果も亦全く一物も残さず滅失したのである。遺憾ながら其等の戦争に身命を捧げた人々に対しても、之を祭って早速「靖国」とは称し難きに至った。とすれば、今後此の神社が存続する場合、後代のわが国民は如何なる感想を抱いて、其の前に立つであろう。ただ屈辱と怨恨との記念として永く陰惨の跡を留むるのではないか。若しそうだとすれば、之れはわが国家の将来の為に 計りて、断じて歓迎すべき事でない。
.. 2008年08月10日 10:08 No.146001
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