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(上) 3 マルクスのお墓に触れ、人間平等、民主主義を説く
――石原将軍への面談で、ほかに何か印象に残っていることがありますか? 武田 初対面の時に、石原将軍は池本博士と独ソ戦争の展望をやっていたのですが、ひょっと私のほうを向いて、突然マルクスの話をされたのです。ロンドン郊外にあるマルクスの墓には、夫婦の墓と、彼らと一緒に生活した姉さんの墓が三つ並んでいる。今はちょっと変わっているらしいのですが、「マルクスというパーソナリティが、いかに人間平等、民主主義的な人間だったかが判りますよ。あなたも行ってみなさい」と。僕は、まさか軍人からそういうことを聞くとは思わなかった。全く、目の覚めるようなお坊さんのように清潔な方なんですね。 それで僕はハッと思ったんです。その後、いろいろな話をしている時に、どこからか電話がかかってきた。そしたら、「そんなこと、軍服を脱いでからやるよ」と言っておられました。つまり、日中戦争は早くやめろ、ということで、軍人を辞めて早く農村運動、平和運動をやりたかったんでしょうね。 ――そういう気持ちは、あったでしょうね。
「理想農村社会の実験場」に勤務、帰国時には将軍のお伴に
――その後の親交は、どうなったのでしょう? 武田 ご承知のように、石原将軍は師団長を辞められてから、東亜連盟運動に挺身されました。戦争末期の昭和20年(1945年)には支部組織が74、会員はおよそ20万人おりましたが、僕がたまに日本に出張で帰ってくると、将軍にお供して歩いていました。鐘紡は将軍にお伴して旅行すると、出張扱いにしてくれました。
.. 2018年07月04日 11:44 No.1440001
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