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■--グアテマラ、雲仙普賢岳…火砕流の恐怖
++ 島村英紀 (社長)…344回          


   温度200度超え、速ければジェット機並みの速度に
 | 警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識 その252
 └──── (地球物理学者)

○ また火山の火砕流(かさいりゅう)による惨事が起きてしまった。中米グア
テマラのフエゴ山(標高3763メートル)が噴火して、死者行方不明者が300人を超
えた。死者のほとんどは焼死という。
 火砕流は火山の災害の中でも、もっとも怖いものだ。

○ ちょうど27年前の1991年6月に起きた長崎・雲仙普賢岳の火砕流は一瞬にし
て43人の命を奪った。2014年の御嶽噴火までは日本で戦後最大の火山災害だった。
 火砕流は火口から出るものもあるし、高く吹き上がった噴煙が崩れて落ちてく
ることで起きるものもある。

○ いずれにせよ、火砕流は火山ガスや火山灰が混合したもので、高温のうえ軽
くて遠くまで届く。海も越えてしまう。温度は軽く200度Cを超え、走る速度は遅
くても自動車なみ、速ければジェット機なみだ。襲われたら、とても逃げられな
い。??
 今回のフエゴ山の噴火では、英国など火山災害のない国のニュースで「溶岩が
出て」多くの死者が出たと伝えられた。だが溶岩流ならば、谷筋に沿って流れる
し、走って逃げれば、逃げ切ることも可能だ。しかし火砕流では逃げようがない。
 いまだに噴火が続いているハワイ島の噴火では、溶岩中の二酸化珪素が少ない
ので粘り気が少ない。

○ だが、グアテマラや雲仙普賢岳は二酸化珪素が多いので粘り気がずっと大き
く、火口から溶岩が流れ出さずに「溶岩ドーム」を作る。これが次の噴火で崩れ
ると火砕流になる。
 27年前の雲仙普賢岳では火口に溶岩ドームが作られて、小規模の火砕流が起き
ていた。
 やがて、もっと大きな火砕流が出ることが予想されていて、「いい画」を撮る
ための場所に集まったメディアが、大きな火砕流の犠牲になった。悲惨だったの
は、メディアにつき合わされたタクシー運転手と消防団も犠牲になったことだっ
た。.短

.. 2018年06月22日 09:17   No.1430001

++ 島村英紀 (社長)…345回       
○ 20世紀で世界最大の火山被害も火砕流だった。1902年に起きたカリブ海・仏
領マルティニーク島の北部にある活火山プレー山(標高約1400メートル)の噴火
が火砕流を起こした。県庁所在地だった人口約3万人のサン・ピエールを瞬時に
全滅させてしまったのである。助かったのは地下牢に収容されていた囚人ら3人
だけだった。
 火砕流はいつ出るか、分からないことが多い。グアテマラの火砕流も、なんの
前兆もなかった。いきなりだったのだ。
 雲仙岳では山体崩壊で1792年に大災害が起きたが、その後200年以上もなにもな
く、1990年に火砕流のない小噴火があっただけだった。

○ だが、山頂に溶岩ドームがすでにできていて、やがて火砕流を起こすのでは、
と思われている火山もある。
 たとえば北海道・樽前山は、遠くからでもシルクハットの形をした大きな溶岩
ドームが見える。これが崩れたら大きな火砕流になるに違いない。
 この流れ下るところには、昔は原野が広がっていた。しかし苫小牧の市街地が
西へ西へと拡大してきていて、いまは大学も新興住宅地もここに広がって来てい
る。

.. 2018年06月22日 09:39   No.1430002
++ 柳田 真 (社長)…326回       
北関東(埼玉、群馬、栃木の3県)の労働組合の講師に招かれました
 |  地震が多い、原発が危ない、東海第二原発を止めようと訴え
|  地道に粘り強く、努力を続ける労働者たちの存在
 └──── (たんぽぽ舎)

 〇6月30日(土)−7月1日(日)の1泊2日、北関東地域労働運動交流会に縁あ
って講師に招かれ、原発の話(福島原発の現状と今後)をしてきました。
開催地は埼玉の国立女性教育会館(秩父市・小川町の近く)。
 北関東とは(埼玉、群馬、栃木、茨城)の4県を指し、このうち茨城を除く3県
の地区労、地域労働者40名が参加していました。
 私は、「止めよう東海第二原発首都圏連絡会」が5月に結成され、1都4県が
参加されていますが、あと首都圏の3つ(群馬、栃木、山梨)が「まだ」の中でそ
の群馬、栃木、埼玉の労働組合−労働者の集まりと聞いて、いい機会だと喜んで
出かけました。

 〇講師は3名で土曜日が、狭山裁判の石川一雄・早智子夫妻と解放同盟、反原
発の柳田の2人。日曜日は国鉄闘争「1047人の解雇撤回とその後」を国労千葉元
委員長。
 その合間に3県の各地区労の活動、組織の現状と苦労が語られました。
 主な参加者は
 ・埼玉県:越谷地区労、熊谷地区労、秩父地区労、寄居地区労
 ・栃木県:宇都宮地区労、佐野地区労、わたらせユニオン
 ・群馬県:太田地区労、碓氷地区労センター 高崎平和フォーラム、
      交通ユニオン

 〇柳田はレジュメと資料(週刊金曜ビラ、その他)に基づいて次のような話をし
てきました。
 ・東電福島第一原発事故は収束していない(続いている)、原発事故は「すべて
を奪う」(仕事も、自宅も、畑も)
 ・安倍政権が原発再稼働を進める理由−核兵器(原爆)を持ちたいという野望
が根底に。
 ・首都圏に一番近い原発−東海第二原発の20年延長(60年運転)を止めよう、首
都圏のみんなが力を合わせて!

 〇地区労とは昔の総評−社会党ブロックが健在だった頃に活躍した地域組織で
す。東京でも23区それぞれと三多摩の各市にありました。
 総評解散と共にほぼ消えましたが、地域のつながりを大切にしようと北関東で
は延べ11回(11年)もこうした活動が続いています。

.. 2018年07月03日 08:44   No.1430003
++ 柳田 真 (社長)…327回       
埼玉の自治労寄居町職のように、しっかりと東電福島第一原発事故の被害者支
援を細くとも長く支援しているのを知って、感銘しました。
 日本社会全体がキビシイ中で、北関東の3県では、地道な努力が継続しており、
(福島第一原発事故被害者へのカンパや保養、連帯行動など)それらが人と人をつ
ないでいる。平和憲法を実践していることを知り、励まされました。

 〇来年5月1日のメーデーが新天皇即位の日に当たり北関東の各地区が5月1
日にメーデーの行事を開けるかどうか心配の声がありましたが、発言した各地区
労とも、5月1日のメーデー集会(デモ)を続けようとしていると頼もしい発言
でした。
〇 止めよう東海第二原発の署名に協力をしてもらい、また、たんぽぽ舎のパン
フレット、ハガキも普及できて楽しく、かつ嬉しい「充実した2日間」でした。

.. 2018年07月03日 08:56   No.1430004
++ 島村英紀 (社長)…346回       
大阪北部地震は「見えない」活断層が起こした?
 |  「見えない」中央構造線が起こした?  その1(2回の連載)
 └────  (地球物理学者、武蔵野学院大学特任教授)

《事故情報編集部》より
 たんぽぽ舎が信頼する島村英紀氏の文章を掲載します。
 気象庁の見解と違い、今回の大阪北部地震は「中央構造線」が起こした?と
 提起しています。注目すべき文章です。
 今後の地震を考える上で参考になる文章です。

見出し4つの紹介
1.M7クラスが懸念されていた上町断層
2.「地表に見えているもの」が活断層の定義
3.「見えない」中央構造線が起こした?
4.東日本大震災が動かした岩盤の影響?


 日本各地で地震が頻発する中、大阪府北部で今月18日に震度6弱を観測する地
震が発生しました。これは大阪にあるいくつかの活断層の近くで起きました。日
本列島には「中央構造線」という長い断層帯が横断していますが、こうした断層
との関連性はあるのか。別の地震を誘発する可能性はあるのか。
 地球物理学者で武蔵野学院大学特任教授の島村英紀氏に寄稿してもらいました。

1.M7クラスが懸念されていた上町断層

 大阪府北部でマグニチュード(M)6.1の地震が起きました。震源の深さは13キ
ロと浅かった直下型地震です。このため、最大震度6弱を観測しました。
 大阪府で震度6以上の地震が起きたのは、気象庁が地震観測を始めてから80年
余りで最初です。神戸や淡路島で被害が大きかった阪神淡路大震災(1995年)の
前と同じように「関西には地震がない」と思い込んでいた地元には、驚天動地の
出来事だったにちがいありません。

 日本の都市部の中でも、近畿地方は例外的に活断層が「よく見えている」地域
です。今回も大阪平野の北縁にある「有馬-高槻断層帯」として知られていた活断
層の東端近くで起きました。またここは、大阪の東部を南北に走る「生駒(いこ
ま)断層」というよく知られていた活断層の北方の延長上でもあります。

.. 2018年07月04日 08:26   No.1430005
++ 島村英紀 (社長)…347回       
 実は、大阪市の中心部には「上町(うえまち)断層」が南北に走り、生駒断層
と並行しています。この活断層は大阪駅(梅田駅)をはじめ、大阪の中心部を南
北に縦断しているので、もしこれが地震を起こせば、阪神淡路大震災並みか、そ
れ以上の被害を生むのではないかと、かねてより恐れられてきていました。大阪
の防災計画で一番の要注意事項は、この上町断層が起こすM7クラスの直下型地
震だったのです。
 しかし、今回の地震は上町断層ではないところで起きました。上町断層が「近
畿地方で一番直近の地震」を起こす断層ではなかったことになるのです。

2.「地表に見えているもの」が活断層の定義

 そして、どの活断層が起こした地震なのか、いまだに分かっていません。活断
層が地震を起こしたときに見られる地表面の大きな変形が見られなかったからで
す。ue
 これはM6クラスという、直下型地震としては最大級ではない規模の地震だっ
たためだと考えられています。日本に近年起きてきた直下型地震のうちで、活断
層の存在が十分に知られていない場所だったり、あるいは地震が起きて、はじめ
て活断層が知られたりした例も多いのです。今回も、すでに知られていた活断層
が起こしたのではない可能性が強いのです。

 地震は「地震断層」が起こします。ですが活断層には明確な定義があり、「地
震断層が浅くて地表に見えているもの」です。だから日本の都会のほとんどの地
下には活断層が「ない」ことになってしまいます。
 しかし、実際は活断層が引き起こすのと同じような直下型地震が起きています。
 つまり、活断層が「見えない」だけで「ない」わけではないのです。

 1855年に江戸(現在の東京)で起きた「安政江戸地震」は、阪神淡路大震災
(地震名としては兵庫県南部地震)以上の、犠牲者1万人以上という日本史上最
大の被害を生んだ直下型地震でした。
 震源は隅田川の河口付近だと考えられています。ですが、ここには厚い堆積物
があって、地下の岩の割れ目である活断層が見えません。
 つまり、活断層がないところで起きた、活断層が起こすのと同じ直下型地震が
起きたのです。 (その2)に続く

.. 2018年07月04日 08:34   No.1430006
++ 島村英紀 (社長)…348回       
大阪北部地震は「見えない」活断層が起こした?
 |  「見えない」中央構造線が起こした?  その2
 └────  (地球物理学者、武蔵野学院大学特任教授)

《事故情報編集部》より
 たんぽぽ舎が信頼する島村英紀氏の文章を掲載します。
 気象庁の見解と違い、今回の大阪北部地震は「中央構造線」が起こした?と
 提起しています。注目すべき文章です。
 今後の地震を考える上で参考になる文章です。
    「その1」は7月3日発信の【TMM:No3406】に掲載しました。


 三大都市の一つ、名古屋を形作った濃尾平野など、日本の都会のほとんどは厚
くて平らな堆積物の上に展開されています。それゆえ、活断層は「ない」ことに
なっているのです。
 ところで、すでに知られているある活断層が大地震を起こすのは、長ければ数
万年以上に一度に過ぎません。それゆえ、注目されている活断層が、注視されて
いる間に地震を起こす可能性はごく低いのです。
 例えば高槻市が政府の「地震調査研究推進本部」の資料から作成した防災資料
「ゆれやすさマップ」では、有馬−高槻断層帯による30年以内の地震発生確率は
「ほぼ0〜0.02%」でした。それだけではありません。2016年に熊本を襲った震
度7の2回の地震の前には布田川断層帯で30年以内に地震が起こる確率は「ほぼ
0〜0.9%」だったのです。

 天気予報で20%の降水確率ならば、数字としては低いのですが、傘を持って家
を出る人はいるかもしれません。
 ですが、活断層でもっと低い確率を発表されても、それは気休め程度にしかな
らないのです。この種の確率の発表は、世間を誤解させるだけなのだと思います。
 内陸直下型地震が日本のどこを襲うのか、科学的には分からない現状では、こ
の種の発表は人を惑わせるだけです。
 つまり、太平洋プレートやフィリピン海プレートに押されている日本列島がね
じれたりゆがんだりして、内陸直下型地震が日本のどこにでも起きる可能性があ
るのです。
 そのうちのいくつかは、すでに知られている活断層が起こすものかも知れませ
んが、多くは、知られている活断層ではないところで起きる地震なのです。

.. 2018年07月06日 08:09   No.1430007
++ 島村英紀 (社長)…349回       
3.「見えない」中央構造線が起こした?

 「中央構造線」という日本最長の活断層帯があります。鹿児島県から熊本県を
通り、大分県から瀬戸内海を抜けて、長野県まで達している長大な断層です。
 熊本の地震は明らかにこの活断層帯で起きて、それゆえ、いまだに震度4や3
の地震が続いています。ちなみに阪神淡路大震災は同じM7.3でしたが、余震は2
か月ほどで収まりました。

 日本人が日本列島に住み着く前には多くの地震を起こしてきたことが地質学的
には分かっている中央構造線です。
 しかし、日本人が日本列島に住み着いたのは日本の地震の歴史に比べれば長く
はない1万年あまりですから、日本人が見て記録した地震は限られています。そ
れでも「慶長3連動地震」は、日本人の目の前で起きた大地震として多くの記録
に残っています。

 この「慶長伏見地震」が起きたのは16世紀末のことで、京都で大きな被害が出
ました。地震による死者数は京都や大阪・堺で1000人以上だったと伝えられてい
て、この地震は今回の大阪の地震より被害が大きかったと考えられています。
 被害を記録した古文書の様子から、今回と同じような場所で起きたのではない
かと考えられています。
 しかし、当時は地震計などもちろんなく、今回の大阪北部の地震の震源近くよ
り京都の方がずっと人も多く、古文書もたくさん残っていたのですが、当時の震
源の場所は厳密には分からないのです。
 今回の地震で被害が多かった高槻市や茨木市などとその周辺の地域は、大阪と
京都の中間にあって戦後に開発された新興住宅地が多く、昔は人がほとんどいな
かった場所でした。

 慶長伏見地震の4日前には現在の愛媛で「慶長伊予地震」が、また前日には現
在の大分・別府湾口付近で「慶長豊後地震」が起きました。
 いずれも、それぞれの地域で大きな被害を生んで、そのために、縁起をかつい
で、同年中に文禄から慶長へ改元が行われたほどです。いずれも、日本で起きる
内陸直下型地震としては最大級のM7クラスだったと思われています。

.. 2018年07月06日 08:17   No.1430008
++ 島村英紀 (社長)…350回       
 中央構造線は、紀伊半島の北部を東西に横断していて、今回の地震の震源から
はある程度南に離れていますが、今回の地震も中央構造線絡みで、その構造線の
近辺で起きる内陸直下型地震の一つであった可能性があります。
 この中央構造線が長野県に至っていることは分かっていますが、その先、太平
洋岸まで続いているかどうかは、学説が分かれています。つまり、堆積物が厚く
て長野県より東は断層が見えないので確定した学説がないのです。
 ですから、例えば6月17日に起きた群馬県渋川市の直下型地震は、この「見え
ない」中央構造線が起こした可能性も否定できないということになります。

4.東日本大震災が動かした岩盤の影響?

 2011年に起きた東日本大震災(地震名は東北地方太平洋沖地震)はM9.0という、
いままで地震計が記録した日本最大の地震でした。
 この地震は日本列島の地下全体にある基盤岩を一挙に動かしてしまいました。
 その量は、震源に近い宮城・牡鹿半島で5.4メートル、遠くに行くにしたがって
小さくなりますが、それでも首都圏で30〜40センチメートルにもなりました。

 プレートが年間4〜8センチメートルというゆっくりした速さで動いて日本列
島のひずみを増していくのと比べて、一挙に数十年分以上を動かしてしまったこ
とになるのです。
 この影響が、じわじわ数年から数十年かけて出てくるに違いありません。地震
も火山も、いままでよりは多く発生するでしょう。

 もしかしたら、最近、日本各地で頻発している地震、たとえば最大震度5強を
記録した5月25日の長野県栄村の地震(M5.2)、最大震度5弱だった6月17日の
群馬・渋川市の地震(M4.6)、そして6月18日の大阪府北部の地震も、その一環
かもしれないのです。(了) (6月30日17:00配信「THE PAGE」より)

.. 2018年07月06日 08:24   No.1430009
++ 島村英紀 (社長)…351回       
半島ごと“海に消えた”日本の村 淡路島の南端に近いところ…
 | 地震や噴火は人々の平和な生活をいきなり破壊することがある
 | 警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識 その253
 └──── (地球物理学者)

◎ 大阪府の北部で地震があって大きな被害を生んだ。近畿圏では地震がほとん
どないという「迷信」が消えた。
 過去には、地震があって集落がまるごと消えてしまったことがある。
 淡路島の南端に近いところで、いまの兵庫・南あわじ市の灘地区と沼島の間に
あった半島ごと、村がひとつ海に呑まれてしまった。
 この地震が起きたのは16世紀のはじめだった。それより古い地図には、この半
島も、その上にあった「白石村」も描かれている。
 海上保安庁が戦後に行った水深調査では、海底地形が浅くなっていて、半島ら
しきものが沈んでいるとも解釈できる。
 地震があったのは、ある古地図によれば1500年だった。だが、その年に大地震
が起きた記録はほかの古文書にはない。

◎ ひとつの可能性としては1498(明応7)年に起きた明応地震だ。この地震は、
とてつもない津波を生んで、いまの三重県にあった日本三大港のひとつだった港
町、安濃津(あんのつ)を襲って町全体の数千軒の家が跡形もなくさらわれた。
以後200年間も復興しなかったことが知られている。
 この明応地震は恐れられている南海トラフ地震の先祖のひとつで、震源は静岡
沖から四国沖まで広がっていた。三重県で大被害を生んだ津波は、淡路島でも大
きな被害を生んだ可能性がある。
 もうひとつの可能性は1605(慶長9)年に起きた南海トラフ地震の「次の先祖」
だ。ただ、いくらなんでも古文書が100年以上も間違えまい。

◎ じつは13回知られている「先祖」でも、一回ごとにちがう。たとえば一番最
近に起きた東南海地震(1944年)と南海地震(1946年)は、二つあわせても「先
祖」のなかでは小ぶりのものだった。
 他方1707年に起きた宝永地震は、東日本大震災(地震名としては東北地方太平
洋沖地震)なみの巨大な地震だったことが分かっている。
 明応地震は、とくに津波が大きかった「先祖」として知られている。

.. 2018年07月10日 14:51   No.1430010
++ 島村英紀 (社長)…352回       
◎ もうひとつの可能性もある。それは、淡路島南部には、中央構造線がちょう
ど通っていて、それがらみの直下型地震が起きたのではないかということだ。
 中央構造線はいまの長野県から瀬戸内海を通って鹿児島県に至る日本最長の活
断層で、いままでたびたび直下型地震を起こしてきたことが知られている。いま
から2年前に熊本で震度7を二回記録して、いまだに地震活動が続いている地震
も、この中央構造線の真上にある。
 16世紀はじめの地震については古文書がちゃんと残っているわけではない。大
きな直下型地震が中央構造線の淡路島の近くで起きて、この村が消えてしまった
可能性も排除できないのだ。
 日本以外ではギリシャのサントリーニ島がかつての文明が盛んだった集落が紀
元前17世紀に発生したミノア噴火で沈んだ。
 いまはかけらのような小さな島々だけになったことが知られている。
 地震や噴火は人々の平和な生活をいきなり破壊することがあるのだ。

.. 2018年07月10日 14:58   No.1430011


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