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■--歴史を勉強してほしい
++ 仲條拓躬 (大学院生)…106回          



2011年3月の東日本大震災の後、アメリカで自動車の製造が滞るという事態が発生しました。仙台周辺にあった自動車工場の部品が、アメリカに届かなくなったからです。そこで初めて、アメリカの車は日本の部品がないとつくれないことを世界が知りました。韓国は財閥系の大企業が独占していて、中小企業はほとんどありません。

日本の下町には小さな町工場がたくさんあります。韓国のヒュンダイ、サムスンも、日本から部品を輸入して成り立っています。世界の最先端技術は日本の中小企業が支えているのです。中国の漁船が日本の海上保安庁の船に衝突した後、中国は日本へのレアアースの輸出を止めました。それによって日本の企業は大打撃を受けました。

以降、日本企業は中国のレアアースに頼らない技術を開発しました。その結果、中国はいま、レアアースを輸出したくても輸出先が激減して困っています。何も韓国や中国に、「目にモノを見せてやれ」ということではなく、日本があるから世界が回っている。そう思わせることが、本当の意味での安全保障につながるのではないかと思うのです。

「歴史の授業が嫌い」という日本人は少なくないです。年号を覚えさせられたからでしょうか。歴史は決して暗記科目ではありません。歴史の前後には常に因果関係があり、いくつもの出来事が積み重なって今があります。つまり、総合的な学問なのです。その因果関係には人間が大きく関わっています。

「なぜ、こんなに愚かだったのか」と思うこともあれば、「どうしてこれほどの英雄を下ろさせたのか」と考えさせられることもあります。それによって人間の強さ、弱さも見えてきます。ぜひ、歴史を勉強してほしいと思います。アメリカ陣営と旧ソ連陣営が対峙する東西冷戦の構図が崩れたことで、戦後世界の枠組みは大きく変わりました。

.. 2018年06月15日 10:35   No.1425001

++ 仲條拓躬 (大学院生)…107回       
その結果、現在、中東や東アジアをめぐる緊張が高まっているともいえます。2014年2月のウクライナ政権崩壊は、新たな世界の火種となっています。また北朝鮮問題も複雑化しておりもしかしたら「新しい冷戦の始まり」という見方もできるでしょう。

我々は歴史の中で生きています。いま、我々が目にしていることは、確実に未来の歴史の教科書に載ります。我々が生きる世界は、今後どこへ向かおうとしているのか。どう向かっていってほしいのか。石原莞爾は最終戦争論で語っています。日本という枠組みにとどまるのではなく、自分自身で考えてほしいのです。

.. 2018年06月15日 10:41   No.1425002
++ 仲條拓躬 (大学院生)…108回       
東條英機暗殺計画と力道山の死
1944年東條内閣の倒閣前に、東條英機を暗殺する計画がありました。石原莞爾もその計画に絡んでいたという疑いをかけられました。その理由のひとつとして東亜連盟協会には武道家が多い。極真会館創始者大山倍達氏や戸辺栄一郎氏も日夜空手の稽古をしていました。

そのひとりが東条英機暗殺計画の実行役を担った柔道家の牛島辰熊であるという。計画の中心は大本営参謀の津野田知重で、1943年(昭和18年)津野田が大本営に移動する直前、上海で今田新太郎、浅原健三と東條打開の策を相談しています。

陸軍軍人の今田新太郎は満州事変以来の石原莞爾の側近で、浅原健三は石原莞爾のいわば政務秘書として動いた男であり、東亜連盟協会の主要な会員である上海の密議には牛島辰熊も参加していた。東條打倒計画には、やむを得ない場合は東條を暗殺する、という一項が含まれていた。

1944年(昭和19年)東京に戻った津野田知重は、反東條派の将校らと接触して計画を練り上げ、『大東亜戦争現戦局に関する観察』というリーフレットをわずかな部数だけ制作する。意見を聞くため、津野田知重は鶴岡の石原莞爾を訪ねた。やむを得ない場合は東條を暗殺、という部分に石原莞爾は何も意見を言わなかったとされています。

暗殺の手段は毒ガスである。通称「習志野学校」、陸軍の毒ガス戦研究の機関で試作した茶瓶≠ニ名付けられた毒ガス弾を、東條英機の乗ったオープンカーに投げつける計画です。投げつけるのは牛島辰熊だった。投げつければ、もちろん東條英機は死ぬが、投げた牛島辰熊もガスを浴びて死ぬ。生き残っても死刑はまぬがれない決死の計画です。

決行場所は皇居の坂下門を出てしばらく走った路上です。だが、宮中、軍、政界を巻き込んだすさまじい暗闇の果てに東條英機は辞職した。サイパン陥落の責任をとったというのが表向きの理由だが、クーデターとも呼べる政変劇でもあった。東條辞職は、津野田らの暗殺計画決行予定日のわずか1週間前です。

かくして東條暗殺計画は未遂で終わったが、計画は発覚しました。津野田知重が計画を相談した三笠宮から漏れたのです。津野田知重、牛島辰熊は憲兵隊に逮捕され、浅原健三も上海から呼び戻されて逮捕された。裁判は日本の敗戦を挟んで続いたが、判決は有罪。

.. 2018年06月18日 11:07   No.1425003
++ 仲條拓躬 (大学院生)…109回       
ただし執行猶予がついた。牛島辰熊は戦後、国際プロ柔道協会を結成する。これに参加して、のちにプロレスラーになり、力道山とタッグを組んだのが、牛島辰熊の愛弟子、木村政彦である。力道山は木村政彦にいかさまの試合に誘い途中で裏切り木村政彦を廃人にしてしまった。

それを見て怒ったのが大の親友の大山倍達である。大山倍達は力道山に果たし状叩き付けたがボディガードなどをつけて逃げ回った末にハワイでチンピラにナイフで刺されてあっけなく死んだのでした。

.. 2018年06月18日 11:14   No.1425004
++ 仲條拓躬 (大学院生)…110回       
武田邦太郎先生を偲んで
武田邦太郎先生との一番最初の出会いといわれると父に連れられ様々な方とお会いしていたので定かではありませんが、武田先生が石原莞爾平和思想研究会でバリバリやっている頃に私に直接、命令を下したものといいますと「東亜連盟」誌の復刻版をインターネット上に掲載することと「ビオトープ水田」及び「無農薬野菜」を作ることです。

平成8年、石原莞爾先生の指導された東亜連盟運動の機関紙「東亜連盟」誌の創刊号から最終刊号まで全68冊が17巻の書物として柏書房から復刻、公刊された。解説者は駒澤大学教授、小林英夫氏である。東亜連盟運動は太平洋戦争期に石原先生がその全身をもって歴史に刻まれた事蹟である。それは単なる過去の歴史的事実でなく、混乱を極める現代および近未来における東亜諸国のあり方、ひいて世界のあり方に高き歴史的指標を提示するものと思われる。

ここに特に乞うて掲載していただく小文は、「東亜連盟」誌が復刻、公刊されたとき、私が刊行会代表として第17巻の末尾に付した文章である。いま石原平和思想運動が主として若い世代に引き継がれて新展開を志向するに当たり、石原先生の思想とその歴史的事蹟に対し、特段の理解の深められるよう熱願してやまないものである。 と『東亜連盟』誌の復刻、公刊に寄せてを武田先生の命を受けて作成したのである。

また、武田先生は山形県にある西山農場の話をよくされた。石原莞爾将軍と東亜連盟同志たちが、共同生活をしていた話です。その中には曹先生や鈴木和子さん「あんたのお父さんもいた」。ここで同じ釜の飯を食べた。農場の生活は、簡素生活というよりも、人間の堪え得る最低の生活に近く、理想に燃えて参加しながらも、脱落する者が後を絶たなかった。

この農場で、石原莞爾将軍は六畳の土間と四畳半の部屋しかない、文字通りのあばら屋に起居していました。小屋には塀などの遮断物はなく、冬に風が吹くと、石原莞爾将軍が病臥していた畳が持ち上がることもあったといいます。私も石原六郎氏存命の頃は何度も足を運びました。そのときに一緒にいらした方が武田邦太郎先生だった。

.. 2018年06月18日 11:32   No.1425005
++ 仲條拓躬 (大学院生)…111回       
石原莞爾将軍が長年農業顧問として師事してきた池本喜三夫氏の敏子氏が、石原莞爾将軍の媒酌で桐谷誠氏に縁づき、西山での生活に加わりました。石原六郎氏の死後、土地は武田邦太郎先生ら残った参加者に分割され、大半が役場に買い取られ、住宅地として造成をされました。石原莞爾のお墓の土地は石原莞爾顕彰会で買いきれなかった分は父が生命保険を解約して購入しました。

その住宅地の一角に、桐谷さんが住んでいました。桐谷さんの自宅に行くときには武田邦太郎先生もわざわざ来ていただきました。先生は週に一度は桐谷さんのご自宅まで来てお話していた。石原莞爾将軍は、まさしく菩薩のような人物で決して声を荒げることがなく、優しい声音で話す。病勢が落ち着くと、冗談をたやさないでいると。

8月15日午前5時5分、父の自らの血を何度も輸血したのにもかかわらず石原莞爾将軍は最後の息を引きとった。石原莞爾将軍は亡くなりましたがその教えは現在も石原莞爾平和思想研究会として受け継がれているのです。

私は武田先生に励まされビオトープ水田の代表などを行いお米や無農薬野菜を作っていた。手賀沼をのぞむ通りに、ビオトープ水田と無農薬野菜を作っており、野菜に関しては自給自足を続けてきた。米の栄養に最適な手賀沼の水に加えて、谷津の深い縁がとても子どもの情緒教育に適していた。

だが、原発事故が起こった。東葛地区150万人が住む地域では、原発から200キロも離れているというのに相馬市より4倍も高い。チェルノブイリのときも280キロ離れた村の子ども大勢亡くなったのは知っていましたが、風向きや地形などに左右され、我々からすれば、予測を立てることも出来ず、常に線量の数値を気にしなければならない。

現在、子どもを放射能の脅威から守ろうと日夜努力を続けている。果たして放射能を封じ込め収束することが出来るのであろうか。「復興」を胸に刻むとともに、科学はいかにあるべきかを原点から見直すべきである。希望を持てる日本にするためには、今後、ひとりひとりの生活スタイルを変え、持続可能な環境に安全なエネルギーなどを積極的に取り入れなくてはならないであろう。

.. 2018年06月18日 11:37   No.1425006
++ 仲條拓躬 (大学院生)…112回       
放射能災害が深刻化する今、安全で安心の食料生産の大切さについて考えて頂きたい。日本の農業や酪農・漁業の早期復興を願わざるを得ない。被害に遭われた方々、またホットスポットの地域に住む方はさらに恐怖を感じていることだろう。自然の持つ不条理や無常という言葉で表すには余りにも言葉足らずだ。

我々は、もう一度自らを自然の一部として自覚し、もう一度自然を畏怖し感謝する心を持たなければならないのではないだろうか。海には放射性物質が流れ出している。天災に輪をかけて人災が発生した。環境問題でも、原子力は自然を大切して守るのではなく、むしろ破壊した。自然に関する科学的な知識の増大と人間中心主義の高まりと理解すれば、単なる一民間企業の事故では済まされないだろう。

進歩が加速した現代は、人間の叡智、倫理が追いついていない。科学技術の進歩は人類を豊かにしているが、一方では、地球の命を蝕んでいる。科学は命を大切にするものあって欲しい。一つ一つの生命とともに、命の繋がりを過去から現在、そして未来へとすべての時空を大切にする精神がなくてはならないだろう。

それでも我々は日本で生きていかなくてはなりません。政治家は国民の負担を増やし、税金の無駄遣いは止められず、官僚の給料、ボーナスも年金も削減しません。また大混乱の中、総選挙が終わった。政治家だった武田邦太郎先生はどう思ったことだろうか。

今の世界では争い事が絶えず、日本経済は、デフレ不況脱出の兆しが見えず、厳しい状況が続いておりますが、このような時期だからこそ希望を持ち、前向きに邁進しなければと日々考えております。幸多き時代となりますことをご祈念申し上げるとともに、皆様のご健康とご健勝を祈念いたします。

亡くなられた、武田邦太郎最高顧問・佐藤秀一郎前副会長、長年に亘るご指導とご鞭撻に対し、心から感謝いたしますと共に、悲痛な想いをもって哀悼の誠を捧げます。

石原莞爾平和思想研究会 会長 仲條拓躬

.. 2018年06月18日 11:50   No.1425007
++ タク (社長)…479回       
のど飴とポテトチップ

「喉によさそうなのでなめている」という人も多いと思います。たしかに、カリンエキスや濃縮カリン果汁などが含まれ、喉によさそうです。ただし、残念ながら香料やカラメル色素などが含まれているので、そのよさを打ち消しています。

カラメル色素は茶色い色素なので、アメの微妙な色合いを出すために使用しているのでしょう。しかし、それほど必要性があるのでしょうか?カリンエキスなどで自然な色がついているでしょうし、口の中に入れてしまえば色はあまり関係ないと思うのですが。

カラメル色素は天然着色料の一種で、カラメルT、カラメルU、カラメルV、カラメルWの4種類があります。カラメルVとカラメルWはいずれもアンモニウム化合物が原料に使われているものです。

2011年2月、アメリカの消費者団体が、「米政府による動物実験で、アンモニウム化合物を加えて製造されるカラメル色素に発がん性が報告されている」として、米食品医薬品局(FⅮA)に使用禁止を求める請願書を提出しました。今後は日本でもその安全性をめぐって論議が交わされるでしょう。

乳化剤と香料は、具体的に何が使われているのかわかりません。調味料(アミノ酸)は、【味の素】の主成分のL-グルタミン酸ナトリウムに間違いないでしょう。L-グルタミン酸ナトリウムは、アミノ酸系の調味料の代表格で、数多くの食品の味つけに使われています。

「おやつにもつまみにも最適」ということで人気のあるポテトチップス。湖池屋とカルビーの製品が代表格です。【のり塩】【コンソメ】【ガーリック】などたくさんの種類が出ています。ポテトチップスは主に三つの注意すべき点があります。まず、添加物が多いこと。
次に油で揚げてあるので過酸化脂質ができていること。

そしてカロリーと塩分が多いことです。ただし、添加物の数は種類によって違いがあります。湖池屋の【のり塩】は、「調味料(アミノ酸等)」だけですが、同社の【リッチコンソメ】は「調味料(アミノ酸等)、香料、酸味料、パプリカ色素、甘味料(ステビア、カンゾウ)、香辛料抽出物」と多いのです。

.. 2018年06月18日 11:57   No.1425008
++ タク (社長)…480回       
添加物が多い製品を食べると、口内や胃の粘膜が刺激されて、人によっては気持ちが悪くなったり、胃が痛んだり、重苦しくなったり、張った感じになります。いわゆる胃部不快感です。また、下腹に鈍痛を感じることがあります。心配な人は【のり塩】など添加物の少ない製品を選んでください。

ポテトチップスは必ず油で揚げてあるので、どうしても脂肪が酸化して、過酸化脂質ができてしまいます。これは油の宿命です。過酸化脂質は有害で、動物に大量に食べさせると死んでしまいます。人間でも胃部不快感や下痢をひきおこすことがあります。

したがって、胃腸がデリケートの人は、注意してください。油を使っているのでカロリーが高く、塩分も多いため、1袋を1日で食べると、カロリーと塩分のとりすぎになる可能性があります。この点も注意が必要でしょう。

.. 2018年06月18日 13:32   No.1425009
++ 木原壯林 (大学院生)…119回       
南北朝鮮会談⇒米朝会談を経て、東アジアの緊張緩和へ大前進した
 |  地道な大衆運動・反原発の種火を絶やさず続けることが大切
 └──── (若狭の原発を考える会)

原発再稼働阻止、原発全廃のためにご奮闘の皆様

◎ 民衆蜂起⇒ろうそく革命⇒ムンジェイン政権の成立⇒南北朝鮮会談⇒米朝会
談を経て、南北朝鮮の停戦、東アジアの緊張の緩和へと、ほとんどの人々が予想
だにしなかった変革が大車輪で進んでいます。
 地道な大衆運動の種火を絶やさずにいて、きっかけが訪れれば、世の中は大き
く動くことを実感できる、ここ1週間でした。

◎ 原発全廃運動でも、7年前から今までに、同様な経験をしました。
 2011年の福島第一原発事故以前の反原発運動は細々としたものでしたが、それ
でも、反原発運動の種火は消えていませんでした。
 その火が、福島第一原発事故をきっかけに燃え上がって、大きな大衆運動、裁
判闘争に発展しました。
 また、これらの運動が、原発の安全対策の強化を要求し、安全対策費を高騰さ
せました。 そのため、電力会社は、福島第一原発を除いても9機の老朽原発の
廃炉を決意せざるを得なくなりました。

 また、6月14日には、東京電力が福島第二原発の全機廃炉を発表しました(こ
れには、汚染水の垂れ流しを容易にする等の魂胆もありそうですが)。
 一方、脱原発を求める運動は世界各国でも高揚し、国際的にも安全対策費の高
騰を招き、脱原発を決意する国、原発輸出から手を引く企業も続出しています。

◎ このような流れは、原発(とくに高浜1,2号機、美浜3号機のような老朽
原発)の廃炉も、闘い方次第によっては、勝ち取れるのではないかと予感させる
に十分なものです。ますます大きな脱原発・反原発運動を展開しなければなりま
せん。

.. 2018年06月20日 08:02   No.1425010


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