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なぜ原発をやめないのか?−日本核武装もねらい | 岸、佐藤、中曽根、安倍首相とつながる「潜在的核保有」論者による | 根強い原発維持政策 └──── 『石をうがつ』より抜粋
◎ 福島事故のあとになってから、ようやく新聞が書くようになったのですが、 1954年3月、はじめて「原子炉築造予算」案が衆議院本会議に提案されたときす でに、「原子兵器をも理解し、またこれを使用する能力を持つことが先決問題で ある」(改進党・小山倉之助)と主張されていました。 岸信介首相が、「自衛のための核兵器保有は許される」と外務省記者クラブで 発言したのは、1957年5月でした。 日米安保条約の改定によって、日本を米国の「核の傘」に入れた岸首相の実弟、 佐藤栄作首相が就任したのは、1964年11月でしたが、佐藤は「核の傘」にいるだ けでなく、「潜在的な核保有国」を目指す、というようになりました。 1966年には、茨城県の東海原発一号炉が稼働して、「日本もプルトニウムの原 爆を少数製造することが可能」と佐藤政権のブレーンたちが報告しています。
◎ 岸、佐藤、中曽根、安倍首相とつながる「潜在的核保有」論者による、根強 い原発維持政策がつづいてきました。 安倍首相は、2002年、官房副長官のとき、早大の講演会で、「日本も小型であ れば、原子爆弾の保有も問題ない」と発言しています。岸、佐藤、安倍の血脈は、 まるで「核家族」です。 日本はすでに45トンものプルトニウムを貯めている、プルトニウム大国です。 英仏両国に使用済み核燃料の再処理を委託していたのが、日本に返還され、青森 六ヶ所村に運び込まれた分だけでも10トン、これは計算上、原爆1,000発を作れる 量に相当します。
◎ 六ヶ所村の再処理工場と増殖炉「もんじゅ」が破綻していても、政府がいっ こうに断念しないのは、採算を度外視した軍事利用の可能性に賭けているから、 としか考えられません。再処理からの撤退は、核武装の完全放棄を世界にむかっ て宣言することでもあります。 ドイツ、イタリアが原発からの撤退を決定したことは、この両国はもはや核の 野望をもっていないのを表明した、と考えられます。
.. 2018年05月23日 08:40 No.1408004
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