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大東亜戦争の終戦から4年後の1949年。この年の夏に、国鉄(現・JR)に関係する謎めいた未解決事件が3件連続で発生しました。1つめを「下山事件」、2つめを「三鷹事件」、3つめを「松川事件」といい、あわせて「国鉄三大事件」と呼ばれています。それではまず「下山事件」のあらすじをご紹介いたします。
7月6日、常磐線の北千住駅−綾瀬駅間の路線上に、国鉄総裁・下山定則氏(当時49歳)の無惨な轢死体が発見されます。下山氏は前日の朝、迎えに来た公用車に乗り込んで自宅から出勤。その途中、日本橋三越に寄ると、運転手に「5分くらいだから待っていてくれ」と言い残し、それ以来、行方不明となっていました。
捜査の当初から一番問題となっていたのが、下山氏が自殺なのか他殺なのかということだった。司法解剖をした東大法医学教室の古畑種基教授は、列車に轢かれた下山氏の遺体の傷痕に「生活反応」が認められないとし、死後礫断(死んでから轢かれた)と判断しました。つまり、下山氏は誰かに殺されてから、線路に遺棄されたということです。
しかし、現場検証をした監察医の八十島信之助は、遺体の状態から自殺と判断し、また別の法医学教授も生体轢断(生きている状態で轢かれた)を主張しました。そして、この論争に決着はつかず、現在に至るまでも「下山事件」は自殺か他殺かもわからないまま未解決に終わっているのです。だが、下山氏に自殺する動機があったことは事実です。
死の直前、下山氏はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)と日本政府から大量の国鉄職員解雇を迫られて苦悩していたと周辺関係者の多くが証言しています。板ばさみにあって自殺したというのは、十分に考えられることでしょう。一方、他殺説に関しては、まったく異なる2つの犯人像が浮かんで来ています。
1つは、大量解雇に反対する国鉄労働組合の手による犯行という推測。もう一つは大量解雇を認めない下山氏に業を煮やしたGHQが殺したのだという推測です。他殺説のなかでは当初、国鉄労働組合犯行説が大量に占めていたが、現在ではGHQ犯行説を信じている人のほうが多いのです。これは、時代を経るにつれ、当初のGHQの強引な占領政策の数々が明らかになっていったためです。
.. 2018年05月14日 11:20 No.1398001
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