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石原莞爾平和思想研究会の同志が台北で、蒋介石の二男である蒋緯国に会ったと言います。1991年春のことです。取材の意図は、一口に日中戦争というが、実際に日本軍と戦った国民党側の軍事指導者たちはどのような戦略を考えていたか、を確かめたかったという。
蒋緯国はこの頃は三軍大学の学長というポストにあった。国民党の有力な家系の一員の紹介を受けていたので、蒋緯国はきわめて丁寧に、そして誠実に取材に応じてくれた。日中戦争8年の間に日本軍と中国軍とが正面から軍事衝突した回数は2800に及びます。
そのうちの8回程度は確かに共産党主導の戦闘であったが、残りはすべて国民党軍の指揮による戦闘だったというのである。したがって一口に「抗日戦争」といっても、それは国民党軍と日本軍との戦闘といったほうがあたっているのです。
同志が蒋緯国に会ったのは、台北市中央にある、かつて日本の台湾軍司令部の建物でした。今は三軍大学の事務室や学長室、教授室などに使われている。ここで蒋緯国から軍事的な内容を数多く聞かされたのだが、あえて領土問題を考える証言のみを思い起こすと次のような言があったというのです。
蒋緯国は、自らの部屋にある黒板をもちだしてそこに白墨を用いながら説明してくれた。「侵略する軍隊、つまり他国の主権に及んでいる地域に入ってくる軍隊というのは、その指揮官、兵士も含めて実は皆非常に脅えているのです。」
「そのためにこのような軍隊はひとつの場所にじっとしていることはできずに、とにかくやみくもに他国の領土を進んでいくのです。そして最後にどうなるでしょうか。その軍隊はやがて自分たちで崖から落ちて、自己崩壊するのです」
これはアレキサンダーだろうが、チンギス・ハーンであろうが、いやナポレオンの軍隊として同じだという。ドイツの陸軍大学で学んでいたときに、日独伊による防共協定が成立したために、しばらくしてドイツ側から申しわけなさそうに、「日本からあれこれ言ってくるのでドイツから出てほしい」といわれ、そこで蒋緯国は蒋介石の命令によりアメリカに渡り、そこで陸軍大学校を卒業したという。
.. 2018年05月07日 11:39 No.1394001
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