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■--戦争で国民は何を得たのでしょうか?
++ 柳田 真 (社長)…300回          


   戦前、戦中世代の清水信次氏の文章がヒントに
   債券、貯金証書はすべて紙くず 国民は全て奪われた
 └──── (たんぽぽ舎)

◎「日本が滅ぶ」としたら、戦争か原発事故か、そのどちらかだ(自然災害を除
いて)。
 戦争の時は、相手から原発が狙われるから、戦争プラス原発惨事のダブルとな
り、目もあてられないひどさとなると予測される。

 私たちが原発をやめようを最重点として、たんぽぽ舎をつくって訴えてきた
(29年間)のはこれが主因だ。
 ところで、たんぽぽ舎をつくった頃の29年前は、「戦争の危機」はそれほど感
じなかったが、今の安倍1強の自公政権になってからは「戦争の危機のにおい」
をしばしば感ずる。

 安保法制(2016年)しかり、軍事費(防衛費)の5兆円突破=急増しかり(こ
こ何年も急増つづき)、共謀罪しかり…である。

 戦前、戦中を生きてきて、売上税(消費税の前身)でも活躍された清水信次氏
の文を紹介する。
 「戦争で国民は何を得たのでしょうか。生命も財産も犠牲にしたのに、何の恩
恵もないばかりか、全てを奪われたのです」と具体的に述べています。

以下引用

◎ 先の大戦は侵略戦争ではなく「欧米列強から国土を守る防衛戦争」で、かつ
「アジアの諸民族を植民地統治から解放する為の戦争」であったという説の方も
多くいらっしゃいます。
 ですが、それではその戦争で国民は何を得たのでしょう?
 国土を守る為に、アジア諸民族を解放する為に、国民は生活の大部分を犠牲に
しました。
 成年男子は徴兵に行き、年端もいかない少年少女は勤労奉仕で工場に行かされ
ました。学徒動員として、戦場に向かった学生もいました。

 大東亜戦争で日本政府が費やした国費は約1,900億円(現在の通貨価値で約4,
000兆円)。
 その殆どは戦時国債で賄われました。「国民にも協力してもらい、戦争を乗り
切ろう」と国民に国債購入を促しました。
.. 2018年04月11日 11:15   No.1376001

++ 柳田 真 (社長)…301回       
 国家財政における軍事費の割合は、満州事変勃発時には30%。日中戦争(志那
事変)勃発時には70%。大東亜戦争開戦以降は85%まで膨れ上がります。
 国家財政が破綻してまで、何故際限なき戦争を継続するのでしょうか?
 たとえ戦争に勝利したとしても、国家は国民に国債を償還できるはずがありま
せん。

 明治期の日露戦争では、約17億円(現在の通貨価値で約120兆円)の戦費となり
14億円を国内外の国債で賄いました。米英の援助があってどうにか勝利しますが、
賠償金もなく、新領土も南樺太だけ。国家は大国入りをしましたが、国民は何も
得るところがありません。ついに国民の怒りは暴動に発展し、日比谷焼き討ち事
件が発生します。
 勝利した日露戦争においてでさえそうなのですから、敗北した大東亜戦争がど
れだけ悲惨なものだったかは推して知るべしです。

 私の家では、兄が昭和12年から中国大陸に出征していましたが、兵役の見返り
として受け取ったのが「志那事変行賞・賜金国庫債券」でした。
 当時の額で200円(現在の通貨価値で約60〜70万円)ですが、償還は分割されて
おり、7円30銭ずつ毎年1回(4月1日)実行されます。昭和35年に全額償還さ
れる予定でした。
 わが家が受け取ったのは最初の1回だけで、残りは敗戦で全て紙屑となりまし
た。その他の債券、貯金証書も同じです。生命保険や火災保険も支払われており
ません。
 国家の戦勝を信じて国民は生命も財産も犠牲にしたのに、何の恩恵もないばか
りか全て奪われたのです。
  (出典:月刊「レコンキスタ」No465、2018/2/1より抜粋)

.. 2018年04月11日 11:34   No.1376002
++ タク (社長)…411回       
刺身の盛刺身の盛りつけ方

江戸と上方では、盛りつけが違ったと言います。江戸時代の上方の刺身は鯛だけで、「作り身」といって適当に切って乱れ盛りにするだけでした。酢味噌かワサビ醤油をつけるのは、いまとあまりかわらないでしょう。

一方、江戸の刺身は、斬目正しく、きれいに切って、正列に盛るのをよしとしていました。洗練されたイメージがある京都・大阪ですが、江戸時代は商人の町だったから、見てくれより、手軽に食べるほうを優先したのでしょう。

江戸は武士の町で、体面を重んじるから、見た目もきっちりしたものが好まれたのではなかろうか。江戸では、マグロとタイの刺身を交互にならべて、紅白に盛りつけるのを「作り合わせ」と呼んでいました。

ただし、刺身は当時はあまり人気がなく、刺身を瓦、ツマを雑草に見立てて、「まるであばら家のようだ」と敬遠する人もいたそうです。嘉永年間(1845〜53)になると、刺身人気は盛り上がります。安いし、滋養がつくと評判になったのです。

そうなると、商売にする者があらわれます。「刺身屋」といって、カツオやマグロの刺身を五十文から百文で売ったそうです。幕末はインフレが激しく鰻丼が三百文以上だったから、刺身はいまなら五百円から千円といったところでしょう。

料理茶屋に比べれば切り方は雑だったのですが、ともかく安いのが庶民にうけたと言います。魚屋ならさまざまな種類を売り歩くか、刺身屋はカツオとマグロ一辺倒でサバやコハダなど光り物はもちろん、イカやタコもありません。

それでも繁昌したというから、いかに庶民に浸透していたかがわかります。マグロ一本の値段は、大漁のときなら六百文ほどです。大工の手間賃がおよそ四百文から五百文で、裏長屋の一か月の店賃もそのくらいだったから、刺身屋は一本仕入れて売りきれば、結構な儲けになったわけです。

.. 2018年04月11日 12:00   No.1376003
++ タク (社長)…412回       
徳島ラジオ商殺人事件

1953年11月5日の早朝、徳島市内のラジオ商(電気店)に何者かが押し入り、店主・三枝亀三郎氏(当時50歳)を刺殺するという事件が発生した。一緒に寝ていた内縁の妻・冨士茂子氏(当時43歳)も犯人の凶器によって負傷したが命に別状はなく、同室にいた三女も難を逃れました。茂子氏の叫び声を聞いて犯人は逃走。

彼女は咄嗟に室内の電灯をつけようとしたがなぜかつかず、這うようにして電話のところまでたどりつき、警察に通報しようとしたものの、どういうわけか電話も通じなかった。しばらくして、騒ぎを聞きつけた近所の住人が警察に通報。駆けつけた警察の調査によって細かな犯行状況が明らかになっていきます。

犯人は、凶行におよぶ前に屋根に上り電話線と電灯線を切断していた。この為、電灯はつかず、電話も通じなかった。三枝氏は全身9カ所を刺されたことによる出血多量で即死状態だったが、金品が奪われた形跡はなかった。また、犯行現場の四畳半には犯人のものと思われる懐中電灯が残されており、茂子氏の布団には土足の靴跡が2つ残されていた。

ちなみに、ラジオ商というと、いまでは町の小さな電気屋を思い浮かべるかもしれませんが、当時ラジオは売れ行きの良い花形商品であり、さらに殺された三枝氏は2年ほど前から始まったテレビの民間放送に着目してテレビ徳島の設立を計画するなど、やり手の実業家でした。だが、その強引な手法ゆえに、恨みを買うことも多かったといいます。

犯行状況を見れば常識的に考えて、この事件が外部犯による強盗殺人であることは明らかでした。当然、警察のその線で捜査を進め、のちに徳島市内の暴力団関係者2名を別件で逮捕、次いで別の暴力団関係者を2名逮捕し、ラジオ商殺しの容疑で厳しく追及しました。

だが、逮捕したうち1名があいまいな形ながらも犯行を自供したものの、どうしても証拠が集まらず、全員不起訴処分となってしまう。当時の警察関係者は、「暴力団関係者を芋ずる式に当たっていく事で、もう少しで真犯人に辿りつくはずだった」とのちに語っている。

.. 2018年04月11日 12:08   No.1376004
++ タク (社長)…413回       
ところが、事件発生1年が経っても、いっこうに犯人が捕まらないことでマスコミや市民の非難が警察に集中します。そこで徳島地検が乗り出してきて、いつしか捜査の主導権は地検が握ることになりました。そして、これにより事件の様相は一変するのです。

徳島地検はそれまでの捜査方針を180度転換し、外部犯行説から内部犯行説に切り替えました。なぜ地検が内部犯行説を取ったのかは不明ですが、成果を挙げられなかった警察の捜査方針への蔑視があったことは確かでしょう。内部犯行説で捜査を始めた地検の動きは早かった。最初から、冨士茂子氏が夫を殺したという線で絵を描いた。

地検は、手始めに店に住み込みで働いていた未成年者2人を逮捕。連日の執拗な取り調べにより、茂子氏が夫を殺したという「証言」を引き出したのです。地検がこれほど強引に「内縁の妻犯人説」を推し進めた一因には、当時の徳島市の特殊な状況も働いていたのかもしれない。市では、女性の手による傷害・殺人事件が3件ほど連続していたのです。

ともあれ、こうして冨士茂子氏は殺人の罪で逮捕されることになりました。彼女に対する検察の取り調べは連日続き、その中身は脅迫じみた過酷なものでした。挙句の果てには、未成年の少年店員2人と面会させ、少年たちの口から「奥さんが自白してくれなければ、自分たちが刑務所に送られる」などと泣き落としをさせた。

また「お前が殺さないのであれば、だれが殺したのか。それがわからぬならお前だ」と理屈にならない理屈で攻め立てたといいます。結局、茂子氏はそんな取り調べに参ってしまい、いったんは「自白」をしてしまいます。

その後、裁判となってから彼女は犯行を否認したが、徳島地方裁判所は1956年被告に懲役13年の有罪判決を言い渡し、二審の高松高等裁判所も控訴を棄却。それでも茂子氏は上告しようしたが、長引く裁判費用に困るようになり、上告を取り下げざるを得なくなります。れにより、被告の実刑判決が確定したのです。

.. 2018年04月11日 12:13   No.1376005
++ タク (社長)…414回       
裁判において布団についていた土足の靴跡などの証拠品が軽視されてしまった理由は、いまとなっては不明です。ただ1つはっきりと言えるのは、それだけ当時は自白に重きを置いていたということです。それがわかっていたからこそ、検察も無理やり彼女に自白を迫ったのでしょう。しかし、茂子氏の有罪が確定した途端に、事態はまた動き出しました。

なんと、ラジオ商殺しの真犯人を名乗る男が自首してきたのです。静岡県沼津薯に自首してきた男の話は、事件に関して極めて詳細であり、信憑性の高いものでした。ところが、この男は証拠不十分で不起訴になってしまうのです。これには、今さら真犯人などが現れては面子が丸つぶれになってしまう検察の意向が強く働いたといわれています。

だが、検察の無理も次第に綻び始めていました。今度は茂子氏の親族の賢明な努力もあり、元ラジオ商店員の少年2人が、検察に脅迫されて嘘の証言をしたことを告白しました。この時も、検察は2人に露骨な圧力をかけて告白を取り消させようとした。一方、茂子氏は、服役中から何度も再審請求を出していましたが、そのたびに地方は棄却しました。

しかし、彼女は1968年に刑期を満了してから再審請求を出し続けました。そのうちに、少年店員たちが偽証を行っていたことなどが知れ渡り、世論の風向きも変わり始めました。そして、市民グループや女性議員の市川房枝、作家の瀬戸内寂聴なども茂子氏の支援に立ち上がることとなります。

その後、長い裁判闘争に結果、ついに1980年12月13日、再審請求が認められることとなったのですが、その前年に茂子氏は亡くなっていたのです。彼女の無実が裁判所で確定するのは、その死から6年後のことであり、事件発生から32年後のことでした。冨士茂子氏の無実は明らかにされました。しかし、真犯人は徳島市の暴力団関係者だったのか、それとも沼津薯に自首してきた男だったのか、真相はいまもすべて闇のなかです。

.. 2018年04月11日 12:24   No.1376006
++ タク (社長)…415回       
関東はそばで関西はうどんなのか?

関東は蕎麦好きで、関西はうどん文化圏といわれています。よく、関西人が関東のかけうどんの汁をみて、「こんな真っ黒いもん」などと驚いたりします。関東人は「たこ焼きだのお好み焼きなど、ソースばっかり食っているくせに」と言い返したりするが、そんな不毛なやり取りの原点は、江戸時代にあるのかもしれません。

江戸で「うどん食らい」といえば、「仕事ができない愚か者」という意味でばかにされていました。「醒酔笑」は安楽庵策伝という茶人が京都所司代・板倉重宗の前で披露した笑い話を集めた江戸時代初期の本で、落語のルーツといわれているのですが、そのなかに、うどん好きの男の話が出てきます。

うどんは好きだが、自分で金を出して食うものはもったいない。そこで、坊主に「おれの頭を剃って傷つけたら、うどんをおごれ。傷つけなかったら、おれがおごってやる」ともちかけた。坊主が無事に剃り終えようとしたので、男は少しだけ傷つけさせようと立ち上がったところ、耳を切り落とされてしまった。

それでも「うどんが食える」と喜んだというから、「珍しき痴漢なるかな」とあざ笑って話は終わります。またうどんは「役立たず」ともいわれました。「そば湯」は栄養もあってうまいが、うどんを茹でた湯は、うどんの塩分が移るので捨てるしかない。

「うどんのぬき湯」は、役にも立たず捨てるしかないもののたとえにつかわれました。江戸っ子は気が短いです。茹でる時間も短く、手早く食べられるそばは、江戸っ子好みだったのです。一方のうどんは、茹でるのに時間がかかり、そばのように五、六口たぐっておしまいというわけにもいかない。

うどんをのんびり食べているような職人は、「どうせ仕事も遅いやつ」と考えられたのでしょう。江戸っ子はうどんをばかにしていたが、京都・大阪の人々が、そばをばかにしたという形跡はないのです。

.. 2018年04月12日 09:54   No.1376007
++ 山田和秋 (中学生)…30回       
映画「ペンタゴン・ペーパーズ 最高秘密文書」
 |  いま、日本人に訴えている!
 | 半世紀も前のアメリカの話なのに今の日本にあまりにも酷似する
 |  アメリカ合衆国大統領という巨大な権力を相手に
 | 「ワシントンポスト紙」が正義を貫こうとする戦い
 └──── (たんぽぽ舎ボランティア)

○ スピルバーグ監督が「いま、撮るべき作品」として制作に踏み切ったのは、
なんとトランプ大統領就任45日後であった。
 アメリカという国の凄さを実感。同時に、いま、この映画は日本および、日本
人にこそ訴えていると痛感。
 なぜなら、政権の?や隠ぺいがまさに頂点にあるからです。
 アメリカの歴代大統領がひた隠ししていたベトナム戦争、軍事行動の事実。
 敗戦を認識しながら虚偽の報告が行われていた。

○ 半世紀も前のアメリカの話なのに、今の日本人にあまりにも酷似する要素が
詰まっている。
 アメリカ合衆国大統領という巨大な権力を相手に「ワシントンポスト紙」が正
義を貫こうとする戦いを描く、事実に基づく作品。
 「ペンタゴン・ペーパー」とはベトナム戦争に関してアメリカ政府がどのよう
に政策決定を行ってきたかを第二次世界大戦直後からの歴史をたどった国防総省
の7000ページに及ぶ機密文書。
 この機密文書を長期投獄覚悟の上リークしたダニエル・エルズバーク。彼は
「文書」の執筆に参加していた。

○ 1971年ボストン連邦検察局に出頭した彼の言葉「ベトナム人数100万、アメリ
カの青年数万人の死傷者のことを考えたら、私の10年は容易いこと」
 「自由と民主主義」を守るために奔走する新聞記者、マスメディア対権力者の
信念の戦い。(最近の日本でも閉鎖的記者クラブの枠を乗り越えて追及する東京
新聞望月衣塑子さんのような人もいる)

○ ところが、アメリカの凄いところは、最高裁が多数決で「ワシントンポスト」
の掲載支持決定を下したこと。
 残念ながら日本の司法はほとんど安倍政権追従。
 私たちの反原発活動もいかに良心的なマスメディアと協力して、映画のような
報道の自由を勝ち取る喜びを味わいたい。

.. 2018年04月13日 09:24   No.1376008
++ タク (社長)…416回       
ファミレスのハンバーグ
基本的に、ひき肉というのは精肉にならないランクの下の部分だということを認識しておいてくださいませ。肉屋では、ロース肉など、きれいに形が取れる肉をあえてひき肉にはしませんから。きちんと綺麗に取れたところ以外の残りの部分をひき肉にして売るのです。

ですから、同じグラム数でも普通の精肉よりひき肉ははるかに安いはずです。質の落ちる部位を使っているからなのです。もちろん肉屋によっては、本当にいい肉の部分をあえてひき肉にしているというところも例外的にはあります。

そういう店が近所にあったら、かなり幸運だと思って下さい。昔は、ロース肉などを買って「これをミンチにして」と頼むと、どの肉屋でも目の前でガーッと挽いてくれたものです。けれどもそれは、もとの精肉より高くつくはずです。

というのも、挽く技術料が加わるわけですから当たり前です。手間のかかる物は、基本的には高いのです。それが安く売られている理由をよく考えてみてもらいたいのです。安手の飲食店ではひき肉のメニューがたくさんあります。

ファミリーレストランなどでは、ひき肉で作ったハンバーグが料理の主流になっていたりします。そこには、ひき肉を使えば材料費が抑えられるという理由があったのです。しかも、ハンバーグをさらにまた加工して、煮込みハンバーグだの、チーズハンバーグだの、いろいろなごまかし作戦が展開されています。

ごまかすためにひき肉を使っているとしか思えないような物を、わざわざ食べる価値はないように思ってしまいます。家族でも、こういう料理を作りたいからということでひき肉を使うのは大いに結構です。ただ、安いからという理由でひき肉を買っているなら、それは精肉にならなかった品質の落ちる部分で、脂肪分が多いという事は知っておきましょう。

.. 2018年04月13日 13:57   No.1376009
++ 小山芳樹 (小学校中学年)…10回       
.「津波なんて絶対に来ない!もし来たら俺がなんとかする!」って
 |  勝俣恒久社長(当時、東電社長)は言いました。(会場爆笑)(2004年)
|  NONUKES voice15掲載「原発は人々の活力を奪う」木幡ますみさんの
 | 文章を読んで…雑感
 └──── (たんぽぽ舎ボランティア)

 せっかく定期購読しているのだから、たまにはしっかり読もうと「NONUKES
voice15」を開きました。
 現在、福島県大熊町町議会議員の木幡ますみさんの文は、大変興味深いと思い
ます。
 深刻な話の中にも、ユーモアたっぷりで講演を聞いても文章を読んでもあっと
いう間に時間がたってしまいます。
 小見出しと共に若干の引用も含めて紹介いたします。

◎「特攻隊員だった義父は原発に反対だった」
◎「知人友人たちの早過ぎる死」
◎「勝俣恒久が私に言ったこと」
 木幡さんが2004年に東電福島第一原発のモニターになった時の話。
 東電の役員たちが一同に並んで「さあ、みなさん自由になんでも言って下さい、
なんでも聞きますよ」って言ってくれたわけです。
 私はその通りに素直に信じる人なんで「原発は危ないからもうやめましょう」
なんて言ったんです。「コストがかかるからといって自家発電を上(原発敷地より
高い所)に上げないってことはないでしょ!津波来たらどうするんですか!」て言
ったら、「津波なんて絶対に来ない!もし来たら俺がなんとかする!」って勝俣
社長は言いました。(会場爆笑)
◎「第一原発の『洗濯屋さん』」
◎「最終処分場候補地になるよう埼玉県にお願いしてきました」
◎「自宅は作業員の休憩所」
◎「愛犬ポチと三匹の猫」
◎「イノシシの酒宴」
 事故から4年くらいで大熊に帰ったときの話。私が近づいたら、気持ちいいな
あ〜って感じで私の顔をじっと見る。その後、生まれて初めてイノシシにベロで
舐められました。(会場驚き爆笑)で、またそれが酒臭い。
◎「原発は活力を奪う」
◎「マクドナルドと病院」
◎「帰還でなく違うところに『町』をつくること」

.. 2018年04月16日 08:23   No.1376010
++ 小山芳樹 (小学校中学年)…11回       
◎「東京五輪のための『復興』なのか」
 いつの間にか福島県は「放射能」をどこかに置いたまま、「復興」ばかり一所
懸命、進めようとしています。まだまだ原発事故は終わっていません。福島県と
住民のことを考えていただきたいです。福島でも子どもや孫の命を守ろうとして
必死にやっている人たちがいることを、ぜひ知っていただきたいと思います。
(2018年1月、愛媛県八幡浜市・江戸岡地区公民館にて)

.. 2018年04月16日 08:51   No.1376011


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