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被害吸収能力のない日本にとって、核兵器は無用の長物だと思いますが、アメリカの報告書などが見逃しているのは、日本は軍事大国になる能力はないし、軍事大国になる理論的可能性はあっても、その意図はないという点です。例えば2000年以降も、軍事大国が核保有を前提としているならば、どうなるか。
日本はまず核をつくることは技術的に可能でしょう。またそれだけの経済力は十分にあります。しかし、基本的に日本には核戦争、あるいはその意味では戦争においてさえ、被害吸収能力があまりないのです。これを忘れた防衛議論が多すぎると思います。
今までの核戦略理論は、アメリカがいまになって防御重点に転向しようとしているように、あまりにも攻撃面に重点を置きすぎました。つまり攻撃によって相手にどれだけの被害を与えうるか、あるいは、相手から攻撃を受けても、それを我慢してそれ以上の被害を相手に与えうるかどうか、ということを中心として議論されてきました。
しかし、軍事戦略の効果を攻撃だけで判断するのは無理でしょう。もともと相手から攻撃を受けた場合に、どの程度損害に堪えて(被害を吸収して)、どれだけ早く立ち直れるか、つまり生きのこり能力がどれだけあるかが重要なはずです。
その点、都市化し、近代化した先進工業国ほど、破壊に対する物理的、心理的打撃が大きく、立ち直りが遅く、生き残り能力が低いと思います。その事実をアメリカはいままで見逃しているようです。日本の場合、被害吸収、生きのこり能力は、この四つの島に限定された防衛領域では、ほとんどゼロに近いでしょう。
継戦能力は国民の士気、物質の貯蔵、備蓄などの問題と関連してきます。有事の際、外国からの援助の問題とも関係があります。それどころが、最初の攻撃によって受ける被害があまりにも大き過ぎれば、伝統的に国民の25〜30パーセントが被害を受ければその国は戦争を継続する能力を失うと思います。
日本としては戦争そのものを継続する意味がなくなってしまう。それは日本の本土があまりにも狭く、しかもその狭い本土内で人口の半分近くが、数か所の大都市圏内に集中しているからです。これを心配していたのが石原莞爾です。石原莞爾の三原則の中に「都市解体」をスローガンに恒久平和を願ったのです。
.. 2018年03月14日 14:36 No.1356001
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