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私の大好きな越後の戦国大名・上杉謙信は、酒豪として有名でした。家臣たちとの酒盛りがひととおり終わると、気心の知れた家臣を別の部屋へ移動して、三合は入る大杯で酌み交わし、さらに二次会まで開いたといわれています。ただ、大酒を飲むのは酒宴の時だけで、普段は、静かな酒だったと。
「雑話藻塩草」によれば、ひとりで縁側に座り、小さな杯で、梅干しを肴に飲んだという。梅干しは、和食の調理でよく使用されています。梅肉あえやイワシの梅干し煮、梅干しのお茶漬けも酒のシメにはうってつけです。梅干しにはクエン酸が多く含まれているので、アルコールの代謝が促進され、悪酔いしにくいのです。
謙信は、体験的にその効能を知っていたのかもしれません。謙信は、厠で倒れ、49歳で急死しました。脳溢血だったといわれています。酒の飲み過ぎか、はたまた塩分の採りすぎかはわからない。ただ、梅干しのせいにはしたくないです。梅干しが好きで長生きしたのが、戦国大名・北条早雲です。
前半生には諸説があって謎だらけですが、1493年(明応二年)、伊豆に攻め入って平定したのが62歳の時だったといわれています。早雲は、室町幕府の支配を受けず、独立した権力をもった最初の戦国大名でした。
早雲の独立で、各地の豪族が戦国大名化していき、戦国時代が本格化するわけですが、中高年の星・早雲は、戦いを続けるなかで、梅干しを活用しました。食べ物の腐敗を防ぎ、健康にもいい。なにより、自分が好きだったので、小田原城下に梅の木を植えさせ、梅干しづくりを奨励しています。
紫蘇で巻いた梅干しを携行食として雑兵に持たせたといわれ、この「しそ巻梅干し」は、いまでも小田原市の名産で「かながわの名産100選」にも選ばれています。梅干し好きのせいか、早雲は長生きでした。
生年に諸説はあるものの、88歳の長寿を全うしています。戦国時代の平均寿命は40歳ほどといわれ、非常に短かった。早雲は梅干しを食べ、駿河湾や相模灘の旬の魚を食べて健康を維持したのではないでしょうか。
.. 2018年03月03日 08:44 No.1346001
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