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重光葵の「昭和の動乱」にこんな記述がある。「叛徒鎮定のための軍隊もやうやく地方より集結し、陸軍の討伐本部が九段下の軍人会館に設置せられたが、討伐軍参謀石原大佐等は、むしろ叛徒を激励するの言辞を弄したと云ふので討伐そのものの真意について一般に疑問が持たれた。真崎、荒木を含む陸軍大将等の数日かかっての説得の後、叛徒の首領は、一旦自決することを承認した。」これには真実が一片もない。だいたい討伐軍参謀などというのがおかしい。石原莞爾は参謀本部の作戦課長であったのを、2,26事件がおこったので、戒厳参謀に任命したのだ。今日では石原と真崎の対照的行動は調べれば、すぐわかる。それで、「昭和の動乱」は、この箇所だけ読んで、あとは暇なときに時間があったら読むことにした。
.. 2008年06月01日 17:44 No.132001
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