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■--虚偽の記述
++ 六 (大学生)…70回          

重光葵の「昭和の動乱」にこんな記述がある。「叛徒鎮定のための軍隊もやうやく地方より集結し、陸軍の討伐本部が九段下の軍人会館に設置せられたが、討伐軍参謀石原大佐等は、むしろ叛徒を激励するの言辞を弄したと云ふので討伐そのものの真意について一般に疑問が持たれた。真崎、荒木を含む陸軍大将等の数日かかっての説得の後、叛徒の首領は、一旦自決することを承認した。」これには真実が一片もない。だいたい討伐軍参謀などというのがおかしい。石原莞爾は参謀本部の作戦課長であったのを、2,26事件がおこったので、戒厳参謀に任命したのだ。今日では石原と真崎の対照的行動は調べれば、すぐわかる。それで、「昭和の動乱」は、この箇所だけ読んで、あとは暇なときに時間があったら読むことにした。
.. 2008年06月01日 17:44   No.132001

++ タク (部長)…224回       
A級戦犯とされ有罪判決を受け禁固7年となった重光葵氏は釈放後、鳩山内閣の副総理や外相となり、国連加盟式典の代表として戦勝国代表から拍手を受け功績を認められ勲一等を授与されているのです。さらに終身刑となった賀屋興宣は池田内閣の法相を務めています。名誉が回復されていないとするならば、日本国は犯罪人を大臣に任命して勲章を与えた事になるのですよね。

.. 2008年06月01日 18:41   No.132002
++ 伝 (大学生)…80回       
戦争犯罪ということでいうと、大別して戦争責任者と戦争犯罪者になります。戦争犯罪というのは、捕虜を虐待したとか、戦争中でも非人道的殺し方をしたとかです。戦争犯罪者については冤罪がきわめて多い。また命令で行ったことまで、個人責任を問われたもので、ほぼ全員無罪でないかと推測します。戦争責任者というのは、徳川と豊臣が戦争したら、勝ったほうが負けたほうのおもだった者の首をきるようなもので、これは負けたのだから、しかたがないといえば、しかたがない。東京裁判というのはそういう野蛮?な側面があるが、みょうに文明的理屈をつけて、犯罪人ということにしてしまった。東京裁判の速記録を読んだ人はほとんどいないので、なんとなく戦犯でわかった気になっている。しかし、頭のいい人が考えて理屈をつけたので、理屈だけ読めばそうかなと頭がよくて頭の弱い??人は思うかもしれない。おまえは犯罪者だと種々理由をのべられて、自分は犯罪者だと思うようになったら、昔でいえば狐にばかされたようなものだ。狐のままならばかされないが、美人に化けてくると、だまされる。ちょっと脱線したかな。
.. 2008年06月02日 18:27   No.132003
++ 六 (大学生)…71回       
勲章というのは功労があったから、おくるのだろうが、功労と同時に悪行がある人にもさずけることがある。選考者の目が悪いのだろう。たとえば、東京大空襲を計画したカーチスルメイに日本政府は勲章を与えている。彼については、またこんなことが書かれている。「当時の軍部にはアメリカの軍事的優位を行使して、ソ連に核攻撃をすべきだという声があった。まだソ連には反撃能力が備わっていなかったのである。そうした強硬派の中でとりわけ悪名高いのが、アメリカ空軍参謀総長のカーチス・ルメイである。アメリカに敵対的な国家を破壊しつくすことが、アメリカの利益であると信じていた彼は、ソ連が反撃能力を備える前ににたたきつぶすべきだと考え、ソ連にはアメリカに反撃する力があるかのような印象を与える偽りの情報を作り上げ、アメリカ空軍の意思を覆そうとした。」(ウオルフレン著「日本人だけが知らないアメリカ「世界支配」の終わり」より)。人間のやることにはまちがいが多いから、まちがった人に勲章をやることもあるだろうが、どうかと思う。
.. 2008年06月03日 22:34   No.132004
++ タク (部長)…225回       
A級戦犯を裁く東京裁判には、2つの問題があるのだと思います。1つは、「勝者によって敗者を裁く」ということです。これは、東京裁判の裁判官が、11ヵ国を代表しているのですが、その11ヵ国は実質的に戦勝国側の国々であるので公平な裁判を期待できず、勝った側が負けた側を裁く見せしめの裁判でしかないと思うのです。

2つ目は、裁判が事後法によって行なわれたということです。それは事が起きた後に法律を作成して適用するという、近代法の考え方からは逸脱したものです。戦犯たちは3つの罪に問われました。1.平和に対する罪。2.人道に対する罪。3.通例の戦争犯罪。このうち、1の平和に対する罪と2の人道に対する罪は、太平洋戦争(大東亜戦争)が勃発する以前にはないもので、ドイツの戦犯を裁くニュルンベルグ裁判で創設されたものでした。つまり、ドイツと同じように、侵略と大量虐殺で日本を裁こうとしたのです。

.. 2008年06月04日 16:05   No.132005
++ 六 (大学生)…72回       
「平和に対する罪」等については、検察側は事後法であることを認めず「本裁判所条例はすくなくとも1928年以降存在した国際法をたんに宣言したものであり、またそれを主旨としたものである」と言っているようです。1928年のパリ条約では、「第一条締約国は国際紛争解決のため戦争に訴えることを非とし、かつその相互関係において国家の政策の手段としての戦争を放棄することをその各自の人民の名において厳粛に宣言す」とあります。これで戦争することは犯罪であるとされたように解釈することができるように思えるが、パリ条約には自衛のための戦争は認めるという条件がついている。そして戦争の理由が自衛であるか否かは主権国家の判断によるというのだから、戦争することが犯罪であると決められたとは言い難い。そこで侵略戦争は犯罪であるというのだが、侵略であるか自衛であるかを決めるのは当事国なのだから、侵略戦争は犯罪であるというのも国際法とは言えない。日本の戦争は侵略戦争であると戦勝国が認定?したので、これは事後法といっても、事後法にもなっていない。したがって、東京裁判の後も戦争は犯罪とはされていない。
.. 2008年06月07日 11:03   No.132006
++ タク (部長)…226回       
1931年10月17日、満州事変に関して、フランスが日本に対して、不戦条約との整合性に注意を喚起した通牒を送って日本に圧力をかけたことがありました。その際、日本政府は、10月22日付で回答を発し、それまで何度も中国各地で展開されていた組織的排日運動を取り上げ、「中国政府が其の自国民の法律無視の行為を容認するは、パリ条約第二条の明文又は其の精神に合致するものと認むる能はざる」と切り返していたのです。

つまり、不線条第二条の条文からすれば、中国がたとえば日本の山東出兵などに対する復仇措置としてボイコットをしたと主張しても、それは、平和的手段によって解決されなければならなかったと反論していたのです。この事例からは、対日ボイコットを取り締まらなかったという点で、中国政府の行為こそが不戦条約違反にあたるとの日本側の考え方がわかります。

日本側が展開していた論理は、満鉄併合線問題にしろ、ボイコット問題にしろ、条約で規定された守られるべき日本の権利が侵害された以上、それを実力で守ってどこが悪いのかというものでした。日本を正とし、中国を悪とする、二分法の論理です。関東軍参謀や満鉄調査員松木だけでなく、国民の世論が、事変の適法性にこだわった理由があるのだと考えている学者が多いのです。中国は条約違反の国家であると、心からの怒りをもって日本国民が中国を糾弾するためには、日本の行動が違法ではなかったと信じていたのです。

.. 2008年06月14日 07:12   No.132007
++ 六 (大学生)…73回       
東京裁判における裁判の管轄する犯罪のカテゴリーはA平和に対する罪 B通例の戦争犯罪 C人道に対する罪でしたが、これらは犯罪を定義したものではないというのがパール判事の指摘するところで、また東京裁判の訴因を分類すると、訴因1〜36が平和に対する罪、訴因37〜52が殺人、訴因53〜55が通例の戦争犯罪および人道に対する罪となっています。殺人罪というのは、たとえば訴因39では真珠湾攻撃による合衆国将兵、一般市民の不法殺害の件です。松井大将は55ある訴因のなかで、ただ一つ、訴因55のみで死刑になったのですが、それは1931年9月18日以後の期間における戦争法規慣例違反の防止義務の無視という件です。これが「人道に対する罪」だというのですから、ニュルンベルグ裁判における「人道に対する罪」とは全然ちがいます。後者はホロコーストを人道に対する罪と名づけたので、そういうものは日本にはなかった。C級犯罪ということで日本がホロコーストを行ったように言うのは悪質なウソ、悪プロパガンダです。
.. 2008年06月15日 16:36   No.132008
++ タク (部長)…227回       
サダム・フセイン元大統領は69歳で死刑を執行されました。国家元首が人道に対する罪で死刑になったのですね。イラク政府は死刑の執行で、さらなる混乱を招いています。アメリカ兵のイラクでの死者が3000人を超えてしまい、同時多発テロの犠牲者を上回ったのです。

パール判事の発言では、「この裁判は戦勝国による復讐裁判である。欧米諸国がアジア諸国に行なった行為こそ侵略だ!事後法で裁く事は、法の審理を蹂躙する愚挙である。この裁判は国際法違反、よって全被告は無罪!」

検察側は日本がナチスドイツと同じようなファシズム体制で、計画的に侵略と虐殺が行なわれたというふうに判決を出そうとしていました。しかし、これは大きな誤算になりました。たとえばファシズムという、政治体制は、全体主義とも訳されますが、要は一党独裁で、独裁者がいて、独裁者が思うように政治が行なわれるというものです。

日本では「大政翼賛会」がナチスと同等視されていますが、太平洋戦争(大東亜戦争)が勃発して4ヶ月後の選挙でも、大政翼賛会の議員は381名、非・翼賛会議員は85名もいました。一党独裁というよりも、日本の場合は戦時体制といったほうが近いので日本には、独裁者というものも存在していないのです。

.. 2008年06月17日 11:19   No.132009
++ 六 (大学生)…74回       
東京裁判のウェッブ裁判長はたしか、ニュルンベルグ裁判と東京裁判は同じ基準で裁いたと言っているのですが、「人道に対する罪」の定義?にちがいがあります。ニュルンベルグ裁判の国際軍事裁判所条例では、一般人民(any civiliann population)に対して行われた殺人等の非人道的行為とあるのに対して、東京裁判の極東国際軍事裁判所条例では「一般人民に対して」の語がカットされているのです。これは一般人民に対する虐殺の共同謀議がなかったことを意味します。(一般人民に対する虐殺がなかったわけではありません、共同謀議がなかったのです)このちがいは、読めばあきらかなのですが、言う人はほとんどいません。また国際軍事裁判所条例では、政治的、人種的、宗教的理由による迫害が人道に対する罪としてあげられているのに対して、極東国際軍事裁判所条例では政治的、人種的理由による迫害となっています。宗教的理由による迫害というのはこじつけようがなかったのです。東京裁判の55の訴因に関して被告はすべて無罪というのが、パール判事の下した判決でした。
.. 2008年06月21日 20:41   No.132010
++ タク (部長)…228回       
よく東条英機が独裁者だと言われますが、東條が総理大臣になったのも、また総理を辞めたのも、いずれもきちんとした法律に則って行なわれたもので、革命も何も起きてはいないのです。石原莞爾率いる東亜連盟(現在・石原莞爾平和思想研究会)を潰そうと憲兵隊を張り巡らせたが潰すことすら出来なかったし政治運動を行なったわけでもないのです。

東條英機は、たまたま日米開戦当時の首相だったということが強く、東京裁判では最重要のA級戦犯にされてしまったのです。日本にはナチスドイツのような人種的虐殺計画などどこにも存在していません。それどころか、ユダヤ人を救った将軍として、日本陸軍の樋口季一郎はいまだにイスラエルで顕彰されているくらいです。さらに外交官であった杉原千畝の「6000人の命のビザ」も有名な話でしょう。

これから将軍のお墓へ行ってきます。

.. 2008年06月26日 06:20   No.132011


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