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◎ 原告羽田さんの本人尋問では原告側弁護士と被告側弁護士の質問に対 し、落ち着いて1時間ほど答弁しました。第2陣千葉訴訟最後の原告本人 尋問でした。 羽田さんは2011年3月11日当時、福島市入江町の自宅でポーセラーツ・ インストラクターの仕事をし、父と3女と3人で暮らしていました。 市内に生徒が100−200人おり、体験教室などを行って年収グロスで200万 円(純益で150万ほど)収入がありました。他の子供も福島市内におり、父 は軽い認知症でした。3月11日の地震で電気・水道が一時ストップしました。
放射能対策として、帽子、マスク、手袋を身につけ、飲料水を購入しまし たが、原発事故直後、目がちかちかしました。胸が苦しくなり、鼻血が出 たり、髪の毛が異常に抜けたりしました。
新聞記事で、福島市市役所近辺の空間放射能が毎時4.8マイクロSv, 市内 の高い場所で23.88マイクロSvという数字を見て怖くななったそうです。 4月15日の新聞記事でも入江町で2.8マイクロSvとわかりました。娘がま だ16歳だったので避難したほうがよいと思うようになりました。4月中旬 に千葉市の知り合いから誘いがあり、千葉市に来ました。6月に一時自宅 に戻ったとき、自分で購入した線量計で図ったら、庭が5.6マイクロSv,1 階の部屋で2.5マイクロSv、2階の部屋で3.6マイクロSvありました。近所 の人もこの辺は5マイクロSvくらいあるといっていました。
ポーセラーツの仕事で月に2度ほど自宅に帰る必要あり、やむを得ず帰 っていましたが、自宅に戻ると、胸が苦しくなり、せきが出て、鼻血が出 ました。 父親は認知症が悪化し、郡山市の病院に入院しましたが、なくなりまし た。その後、福島の自宅も除染作業が行われましたが、まだまだ帰れるほ ど下がっていません。
福島市では避難していない人も大勢いると被告側はいいますが、自宅は 信夫山のふもとにあり、市内でも線量の高いところです。 友人・知人の話を聞くと、親の介護や、自分と違う親の考えに逆らえな いなどと、避難したくてもできない人も大勢います。
.. 2018年01月24日 08:54 No.1319008
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