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■--愚諫
++ 六 (高校生)…68回          

昭和16年9月7日に東条陸相は東久邇宮に次のように話しした。「・・・・日米国交調整に関する陛下の御考えはよくわかっている。しかし陛下が不利益を忍んでまでも、どうしても日米国交を調整されようと御考えになっているのに対して、東条は、そのことが国家百年の計のために不利であると考えるならば、東条は、どこまでも陛下を御諌め申し上げなくてはならない。それでも陛下が御聴きにならなければ、辞職するほかはない。これこそ陛下に対し奉り、忠節を全うすることと考えているからである」。あえて東条英機を悪くいうのではない、自分を賢い者と考えるのが、いかに危険かということである。それで自分が破滅するならかまわないが、一国のこととなると、よっぽど考えなければならない事柄である。諌めるということは陛下よりも己が、そのことに関して賢であると考えたことになるが、実は浅慮であるのだから、たまらない。そのくせ自分は賢人の言う事をきかないのだ。愚に気づけば、あらためられるが、意外に愚に気づくことはできない。
.. 2008年05月10日 21:02   No.129001

++ タク (部長)…219回       
日米関係が悪化しているので、近衛首相はルーズベルト大統領と首脳会談をもとうと考えますが、交渉に見切りをつけているルーズベルトは相手にしません。近衛首相は、仏印や中国からの条件付撤兵を決心して、なんとかアメリカと和解しようと努力します。しかし、この撤退案に陸軍大臣である東条英機が反対するのです。困り果てた近衛首相は内閣を投げ出してしまいます。

東条英機はなぜ反対したかと言うと、何の成果もなく、大勢の戦死傷者を出した中国から日本軍が手ぶらで引き上げたら、日本で暴動が起きるかもしれない。右翼のテロがあるかも分からない。あるいは現地部隊が引き揚げの統制に服さないで、現地で勝手に戦争を続けるかも知れない。それがあるから撤兵は反対であると東条英機は言うわけです。

昭和天皇が亡くなる前に、新聞記者たちから、なぜあのとき戦争が避けられなかったのかと聞かれたとき、昭和天皇は、考えたが、そういうことをすれば治安が乱れるのが予想されたからだと答えていました。天皇も、東条も、思い切って撤兵できなかったという裏には、マスコミ、右翼団体、軍隊の若手将校、国民、そういう人たちを中心にした日本人全体があったのです。戦争をしたら必ず大戦果を上げて、無敵日本軍は必ず相手を負かせて、賠償金だとか、領土だとか、そういうものを取ってくるものだと、そういうことを明治以来ずっと日本人は信じてきたわけです。ですから、手ぶらで、50万人の日本軍が引き揚げたら、大変な騒ぎになっていたかもしれない。このことを考えたら、この時点での撤兵ということは随分難しかったと思います。

.. 2008年05月11日 08:12   No.129002


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