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昭和天皇独白録には、満洲事変についての記述はないのであるが、2、26事件のところで「満洲事件の張本人でありながら、この時の態度は正当なものであった」と昭和天皇がおっしゃられたことになっている。これは昭和天皇のお言葉そのままではないと思われる。また満洲事件というのも寺崎英成が満洲事変を満洲事件と書きまちがえたわけではあるまい。しばしば満洲事変の張本人と言われのは、悪いことをした張本人の意味で使われているようだが、その張本人は昭和十三年次のようなことを言っている。信仰上の同志の人々にむかって言ったらしい。「大聖人の御遺文に、強きを恐れ、弱きをおどす、これ畜生の心なりとありますねえ。いま日本は、米英と見れば大阪商人のようにモミ手をしてヘイコラし、支那に対してはチャンコロと言って、いじめている。これは国の大謗法です。これを呵責せずして法華信者の面目はどこにありますか。云々」。勿論これは石原莞爾の言葉そのままではないだろうが、昭和十三年(開戦三年前)に米英にヘイコラ?していたというのは、事実を調べる必要がある。ところで、大阪商人というのがちょっと気になっていたのだが、「満洲事変から日中戦争へ」(加藤陽子著)をぱらぱら見てると、こんなことが書いてあった。「リットン調査団が日本を訪れていた32年3月、大阪商業会議所は次のような覚書を調査団に手渡していた。いわく「満洲の変乱を惹起せるは(中略)支那が条約により日本に認められたる権利を尊重せず、日本をして其の権利を確保するため、正当防衛の行動に出ずるの外なからしめた。」」 文脈があるから、ちがうかもしれないが、もし「張本人」が、この理屈を読めば苦々しく思ったにちがいない。満洲事変については、張本人、軍部中央、政府、国民と考えにズレがあった。ズレだけでなく正反対の考えもあった。しかし「張本人」達のほかの多数は満洲を権益の生命線と考えていた。
.. 2008年03月30日 12:59 No.126001
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