返信


■--敗戦と反省
++ 六 (高校生)…61回          

小林秀雄が「りこうなやつはどんどん反省するがいい。俺は反省などしない」と、たぶん言葉はちがうが、戦後まもなくそういうことを言ったらしい。これは似非反省について言ったものだろう。反省は必要である。友近美晴の「軍事参謀長の手記」にこんな一節があるという。「吾々は徳ということに関し、深刻に教えられもせず、また、真剣に修めもせずに来た結果はどうか。敗戦の陣中にみる、あの醜い姿を暴露してしまったのだ。将も兵も、自我自欲の凝り固まりとなり、全く人間獣の一匹に帰ってしまっているじゃないか。見たまえ、平常は統帥権というもののお陰で、ようやく部下を統率して来ていた将軍が、統帥権のきき目がうすくなってくると、かれ自身の劣等人格を暴露して、真に獣心を発揮するものだから、一朝にして部下に見はなされてしまっている。これというのも、明治維新の志士は、ただ、単に血気のあまり国事に奔走していたのではなくて、松蔭にしろ、西郷にしろ、皆聖学を深く修めていたればこそ、あの尊敬すべき行動に出られたということに気づかないでおるのだ。みな、明治以来の国民教育が方向を踏み違えて来た結果であり、吾々個人がそういう修養を怠って来たせいではないか。ぼく自身、少尉任官以来、何をやって来たかと省みると、実に冷汗三斗の思いがある」これは深刻な反省ではないかと思う。事柄は古いが、今だって、誰でもだが、人の上に立つ人は特に、徳というものを考えないといけない。
.. 2008年03月23日 15:33   No.125001

++ 伝 (大学生)…75回       
「軍参謀長の手記」を検索してみたら、この本は昭和二十一年の出版になっていた。このころは戦犯裁判の行われていた頃だから、反省はいいが、戦犯容疑者のことを考えるならどうも不用意なことを書いているようにも思える。回想するなら、もっとあとでいいのに。また、GHQの検閲下で出版されているわけだから、真実を伝えているとは言いがたいと思われる。真実もあるかもしれないという程度の記述ではないだろうか。
.. 2008年03月25日 20:58   No.125002
++ 伝 (大学生)…76回       
「軍参謀長の手記」を検索してみたら、この本は昭和二十一年の出版になっていた。このころは戦犯裁判の行われていた頃だから、反省はいいが、戦犯容疑者のことを考えるならどうも不用意なことを書いているようにも思える。回想するなら、もっとあとでいいのに。また、GHQの検閲下で出版されているわけだから、真実を伝えているとは言いがたいと思われる。真実もあるかもしれないという程度の記述ではないだろうか。
.. 2008年03月25日 21:07   No.125003
++ タク (部長)…212回       
日本の敗戦は、神意によるものである。第一は、世界平和のため、心から反省する機会を与えてくれたことである。第二は、素っ裸の丸腰になって真の世界平和を世界に先駆けて創造せんとする大使命を与えられたことである。第二次世界大戦は終わった。しかしこれは政治的に統一される一段階であって、すでに第三次世界大戦が、十分可能性をもって予想されるにいたった。人類最後の戦争(即ち、世界最終戦争)である。この大破壊に入ろうとするとき、敗戦を契機にして真の平和国家を創造する機会を得たのだ。いよいよ後の島が先になるのだ。この意味において、私は神意に心から感謝する」

これこそ、石原莞爾の戦略眼でした。昭和25年(1950)6月、朝鮮戦争が起こって、日本の国内は騒然となりました。国内警備の手薄さを憂慮したマッカーサーは、日本政府に対して「警察予備隊」の新設を指令しなければならなかったのです。日本軍の武装を解除してから5年目のことなのです。

.. 2008年03月29日 10:09   No.125004
++ 六 (高校生)…63回       
岡田資「毒セン」(ゴクセンではありません(笑)。センの字は竹かんむりに前です)を読んでいたら、こういう箇所があった。「民族国家永遠の生命観に立てば、今次の苦験は蓋し一度は体験すべきものであったかも知れぬが、人間の一生や二生の立場で観察するならば一大失敗であるに相違ない。こんな結果をうみ出す事になった近世日本国家運営に参画した吾人は、今生その過去に於ける任務如何に論なく、皆落第点である。でもその当時は持場々々に於いて、全力を傾倒して来たとの自負心を持っていたのは、只々汗顔の至りである。だから今この境涯に陥って、寧ろ何かしら、はじめてホッと落ちつきの気持に坐し得たように思うのは、決して顧みて別なことをいうてるわけではない。それにしても敗戦後巷に躍る自屈の姿、民族卑下の声は何とした事であろうか。いわゆる日本軍閥と独逸の「ナチ」との根本的相違弁別の出来ないらしい批判も流れてる。また窮乏と悲境のために無理はないけれども、とかく個人も民族も、その思索が自らの身辺にのみ低迷して、広く国際情勢の過去現在、そしてその表裏に及ばないものが多い。何とも如何な事である。日本民族は矢張り独逸民族に劣るなんというような、極印を史上に打たれたまま次代の同胞にバトンを渡したくないものだと思う。」
.. 2008年04月05日 11:40   No.125005
++ タク (部長)…214回       
ナチスドイツ・ヒトラーが書いた「マイン・カンプ」を父に紹介されました。大分前のことですが読むと私は強い印象を受けたのを記憶しております。今でも、言葉は覚えています。この驚くべき書から、感じられるものは、邪悪の天才だと言うことです。ナチズムとは組織や制度ではなく、燃え上がる欲望です。その中核は、ヒトラーという人物の、憎悪にあります。私はヒトラーという人物に対して無智でいました。ヒトラーを確かめるために、たくさんの書物を読みました。

ヒトラーに関しては、革命とか暴力とかいう言葉は、注意して使わないと間違います。バリケードを築いて行うような革命は、ヒトラーが一番嫌っていたものです。革命の真意は、非合法を一挙に合法と成すにある。それなら、革命などは、国家権力を合法的に掌握してから行えば沢山だ、これが、早くから、一環として揺るがなかったヒトラーの政治闘争の綱領です。ヒトラーは、暴力の価値をはっきりと認めていました。平和愛好や暴力否定の思想ほど、ヒトラーが信用しなかったものはありません。ナチスの運動は、突撃隊という暴力団に援護されて成功したのです。

.. 2008年04月08日 08:18   No.125006
++ 六 (高校生)…64回       
4月5日下から3行目「何とも如何なことである」は「何とも遺憾なことである」の誤植です。全力を傾倒していたと自分で思っていたら、そうでなかったというのは、そういう気づきは貴重だと思いました。どうだ俺はこれだけできるというような念がおこったら、退歩の第一歩とみてよい。近代の剣道の達人が、ある神社で願をかけたか、一晩のうちに気合をこめて木刀をふること一万回(回数はいいかげんです)、達成感を感じてこれだけやった人はいないだろうと思って奉納書きをみてみたら、一万回というのは、むしろザラにあって、なんと二万回というのがあって感心してうなった自分などまだまだ修行がたりんわいと思ったというような話を読みました。
.. 2008年04月08日 22:27   No.125007


▼返信フォームです▼
Name
Email
ホームページ    
メッセージ
( タグの使用不可 )
Forecolor
アイコン   ICON list   Password 修正・削除に使用