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悲劇の東海村 鎌田慧(ルポライター)
先週の土曜日。「東海村で『原発NO!』を叫ぼう 人間の鎖行動」に参加し た。薄曇りだったからやや助かったが、それでも原発周辺だから木立のない炎天 下、さすがに気分が悪くなった。 東海第二原発は、来年で運転40年目、ボロ原発だ。あと20年間の操業をたくら んでいる。無謀と言うべき自殺行為、というか他殺行為だ。いまだ原発を「主力 電源」と言い放つ内閣と取り巻き官僚たち、原子力規制委員会、日本原電は事故 が起きたときどんな責任をとるつもりか。 「ヒバクシャ」の悲惨を見捨てて「核兵器禁止条約」に背をむけた安倍内閣、 「フクシマの悲劇」を繰り返さないと決意したドイツなど原発脱却諸国の叡智を 迷惑顔に再稼働を進める政府。 東海村は日本最初の原子炉が臨界に達した「原子力の村」であり、死者が出た 最初の臨界事故が発生した村であり、最初に廃炉作業がはじまった村だ。最近で は近くの大洗町の研究所で放射性物質が飛散、労働者が被ばくする事故が発生し た。 1950年代末、マスコミで喧伝された原子力栄光のトップランナーが真っ先に転 倒した悲劇の村(その二番手が青森県六ケ所村だ)である。 茨城県知事選挙は、現職がようやく「再稼働反対」を主張したが、自公政権の 執拗な「多選阻止」を掲げた攻撃によって敗退した。 (8月29日朝刊27面「本音のコラム」より)
.. 2017年09月01日 11:35 No.1247003
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