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東京湾を津波が襲う | 文明が進み、湾岸がいっそう弱く | 警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識 その209 └──── (地震学者)
◎ 東京に津波は来ないと思っている人は多い。 だが、「大正6(1917)年の大津波」と書かれた看板がある。東京に隣接する千 葉県浦安駅近くの左右天命弁財天にある教育委員会の看板だ。人々でにぎわう海 際の東京ディズニーランドから内陸へ3キロほど入ったところにある。 この年、浦安での潮位は通常の満潮時より4.1メートル高くなった。海水は川を さかのぼり、船橋や市川など内陸部まで浸水させた。 死者行方不明者は千葉県だけで313人。また横浜港でも3100隻以上の船やはしけ が風浪で転覆するなど、首都圏で1324人にも及ぶ犠牲者を生んでしまった。
大津波なみの災害。だがこれは、津波ではなく、9月に東京湾に入ってきた台 風が吸い上げた海水による高潮災害に大雨が加わったものだった。だが、海が襲 ってきたという意味では津波と同じものだ。 このときの台風は首都圏を直撃せずに西側をかすめたが、気圧が上陸時よりも 低くなった。ちょうど満月だったから引力が強く、台風が近づいたときには満潮 だったのが不幸だった。
◎ これ以外にも「東京大水害」と呼ばれる大きな水害もあった。明治43(1910) 年夏に起きた大水害で、東京府と東日本の15県に被害が拡がった。これも、台風 と高潮が起こした水害だった。 8月5日ごろから続いた梅雨前線による大雨に、11日に房総半島をかすめて太 平洋上へ抜けた台風と、14日に沼津に上陸して甲府から群馬県西部を通った台風 が重なって関東各地に集中豪雨をもたらしたのだ。 この水害では関東平野では一面の水浸しになり、利根川、荒川、多摩川水系の 広範囲にわたって各地で堤防が決壊して河川が氾濫した。関東地方だけで犠牲者 は800人以上にも及んだ。東京でも下町一帯が冠水して、盛り場浅草も水没した。
.. 2017年08月10日 09:17 No.1240001
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