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.「岩内原発」(この当時こうも呼ばれていた)の | 地盤に関する問題(メモ)、「開発と公害」12号と16号 | 生越先生が亡くなられたとのこと思いつくままに…… └──── (北海道)
○1980年8月に、生越先生は伊達火力発電所の燃料受け入れパイプラインの関係 で伊達市に行った後、伊達のS氏とNさんとで5日に、共和・泊原発(その当時 の名前、もちろん建設まえで、準備工事もしていない段階)現地に来、私が案内 をしました。3時間ほどでしたが現地を案内しました。 現在の堀株側ゲートから反対側の茶津側ゲートは、ヘロカロウスと言って、国 道229号線が海岸ブチを走っていました。 現在の泊原発の茶津側ゲートの近くに縄文遺跡跡の茶津洞窟があります。今は 網が張ってあり入れなくなっていますが、その当時、遮るのもは何もなく自由に 入れました。 生越先生は例のカナヅチを片手に調査をしていました。「ここに砂状の泥岩が 挟まっており、他の岩石は硬いが柔らかいのがレンズ状に挟まっているので不均 質で全体が弱くなっている」と指摘をしてくれました。
○喫茶店で生越先生が一枚のメモを残してくれました。 「岩内原発」(この当時こうも呼ばれていた)の地盤に関する問題(メモ) このメモを北海道新聞社の地元の支局員に見せたところ驚いて本社に記事を送 りました。翌日このメモは地盤の問題として1面トップとなりました。 (実は生越先生の了承を得ないで新聞社に見せたのですが)
○「開発と公害」12号(1980年12月)に 反核・反原発シリーズ(北海道共和・トマリ原子力発電所) 北電の反住民的姿勢を糾弾する−北電は余計な仕事を中止せよ− として、34ページに渡って、生越先生、伊達の方々、そして佐藤との対談方式の 地盤等に関することを中心に、載っております。 対談方式とは言え、実際には原文(シナリオ)を書いて、持ち回りで内容の確 認チェック、加除をするという方式でした。 表や図が示されていますが、対談方式なので私はとっても理解しやすかったの です。
.. 2017年06月26日 10:46 No.1217001
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