|
公害の政治学 原発事故の国家責任を素通りする無残さ 竹田茂夫(法政大教授)
公害反対運動を率いた宇井純氏が亡くなって10年以上がたつ。 氏の初作品『公害の政治学(1968年)は、水俣や阿賀野川流域での聞き込みや産 官学による公害隠蔽と被害者抑圧の体験などから得た知見を新書に圧縮したもの で、30歳代半ばの作品としては異例の完成度と衝撃力で今なお読者に迫る。 大企業主導の成長や知と権力の癒着がどう構造的暴力を弱者に振るったか、宇 井氏は次々に暴き出す。原発事故で露呈したのはこの基本構造が何一つ変わらな かったという陰鬱な現実だ。 通産省(経産省の前身)の有名な逸話の一つ。1959年末、通産省の池田勇人が厚 生相を閣議で怒鳴りつけて、水俣病の原因をチッソ工場廃液の有機水銀とした研 究会を解散させたという。翌年に池田は首相として所得倍増計画を閣議決定する。 高度成長と公害隠しは表裏一体だったのだ。 比較するのは残酷だが、経産省の若手による『不安な個人、立ちすくむ国家』 なる文書がある。子どもの貧困やシルバー民主主義等の常套句(注)を国家の問題 として掲げ、個人の決断や自己責任といった陳腐な処方箋を並べる。老人の死に 方まで指南する。 エリートにしか与えられない選択の自由を官僚が説教するという滑稽さ。 原発事故の国家責任を素通りする無残さ。 (5月25日朝刊27面「本音のコラム」より)
.. 2017年05月26日 08:25 No.1202004
|