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■--中学社会科?テスト誤問題例
++ 六 (高校生)…52回          

次のカードa〜dをみて、各問いに答えなさい
(ab略)カードC 米英露の三国首脳は日本の降伏条件を示す宣言を発表したが、日本はこれを無視し、戦争は続けられてしまった。(d略)
(3)日本はカードcの宣言を受け入れて降伏しました。この宣言文の一部として正しいものを次のA〜Dから一つ選び、記号で答えなさい。
A帝国主義諸国から独立し、国内諸民族の自決権を認める
B日本の主権は、本州・北海道・九州・四国とわれらが決定する諸小島に限定される
C連合国の占領軍は、すみやかに日本から撤退する
Dアメリカの陸・海・空軍を日本国内およびその付近に配備する権利を、日本は認める。
「米英露の三国首脳」ではない。露はあとから加わったのだ。そんなことも知らないのか、知っててやているのか、どっちにしても、こういう先生たちから教えられるのは迷惑ならずや。
.. 2008年01月16日 21:48   No.119001

++ タク (部長)…200回       
歴史の先生とお話しすることがよくありますが、何も知らなくて驚くことが多々あります。

石原莞爾平和思想研究会に「なか」という歴史の先生がいますが、この先生の教育は素晴らしい。
大阪なので新年会にはなかなか出られませんが(笑)

伝六さんは新年会に出席されませんか。
国柱会の方も参加したいとメールいただきました。

.. 2008年01月17日 06:56   No.119002
++ 伝六 (大学生)…76回       
新年会は出席の予定をくんでいませんでしたので、失礼します。新年会楽しそうな雰囲気ですね。「なか」先生はハンドルネームなんでしょうね。なかなかなか先生は出られませんか。(笑)名前を使って失礼しました。
.. 2008年01月17日 17:54   No.119003
++ タク (部長)…201回       
新年会のお知らせは会報に記載されている通りです。
「なか」はハンドルネームです。

.. 2008年01月17日 18:50   No.119004
++ 六 (高校生)…53回       
米英露の首脳会談の前に、日本は露(ソ連)に講和の仲介をたのむ旨を連絡していた。日本政府として天皇の思し召しを奉じて近衛公が特使としてソ連にゆき和平の条件について相談したいので、受け入れをたのむとの申し入れをおこなっていた。ソ連ははっきりした返事をしなかった。ソ連にしてみればヤルタ会談で参戦の約束をしている。それによって樺太、千島はソ連がいただく?という約束もしている。たぶん困っただろう。しかし、それはわからない。そのうちポツダム宣言が出された。これについてはソ連は相談をうけなかったらしい。それで、日本政府はポツダム宣言にソ連の名がないことから、希望的観測をしたらしい。ソ連は和平の斡旋を自己に有利な条件でするつもりではないかと東郷外務大臣あたりが判断したと思われる。鈴木首相は国内事情のためにポツダム宣言は黙殺だという。そこでウロウロしているうちに、原子爆弾が落ちソ連は返事のかわりに宣戦布告をしてきた。これはずいぶんひどいしうちだが、あとからみれば、ソ連が和平を斡旋すると考えるのが不明であるとのそしりはまぬがれない。英米もソ連が参戦することは言っていたのだが、それは謀略宣伝と考えたらしい。それはともかく和平の斡旋をするつもりがないのだから、ソ連はすぐにポツダム宣言にくわわればいいのだが、そうしないのが汚いところだ。もっともそうしなかった理由もいくらでもつけることができるが、どの国が日本の立場にたっても、やりかたが汚いと考えるだろう。しかし汚い点ではアメリカもソ連もいい勝負だろう。これは別に非難するつもりではない。実際のところを国民に教えないのは問題だ。日本国民は愚民ではない。しかし実際に戦争でひどい目にあった人も終戦の経緯についての事実を知らない。
.. 2008年01月20日 21:22   No.119005
++ タク (部長)…202回       
1945年2月、ルーズベルト、チャーチル、スターリンの三者はヤルタ会談で、対ドイツ戦争終結のヨーロッパや太平洋について話し合いました。この時、日本について重大な取り決めが行われました。ソ連は日ソ不可侵条約を破棄して日本攻撃に加わり、日露戦争の恨みを晴らすことでした。だが、4月12日ルーズベルトは突然死亡して、副大統領のトルーマンが大統領に就任したのです。トルーマンは、知らされていなかった原子爆弾の存在をスチムソン陸軍長官から聞いて知ってしまうのです。

5月8日、ドイツは無条件降伏して、ヨーロッパの戦争は終わりました。トルーマンは、ソ連より優位に立ちたいために原子爆弾を日本に対して使用すると決定するのです。トルーマンは原子爆弾実験成功の報告を手中にし、7月17日、ポツダム会談に臨みました。トルーマンは、ソ連が8月8日に参戦する通告を受け取っていたので、アジアでのアメリカ主導権を握りたい一身でソ連参戦より早く原子爆弾を使用したかったのです。

7月26日、アメリカ・イギリス・中国のポツダム宣言が発表されました。「日本政府に対し無条件降伏を宣言し、これ以外の選択は迅速かつ完全な壊滅があるのみ」という最後通牒でした。日本の鈴木首相は、それを聞いて「ただ黙殺するのみ」と新聞発表しました。だが、黙殺は翻訳では、「拒否」という英語となり連合国に伝わってしまったのです。トルーマンは喜んだ。それはポツダム宣言発表の前、7月25日、極秘に原子爆弾投下命令をしていたからなのです。

第1目標は広島、第2目標は小倉、第3目標は長崎、第4目標は新潟と決められました。B29エノラ・ゲイは、8月6日広島上空で原子爆弾リトルボーイを投下しました。8月9日、B29ボックス・カーは、小倉上空に到着しましたが、厚い雲にさえぎられて目視できず、長崎に向かいました。同じく長崎も厚い雲に覆われていましたが、1カ所だけポカーンと穴が開いており、プルトニウム爆弾ファトマンを投下したのですね。

.. 2008年01月23日 07:14   No.119006


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