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町野静子 84(千葉市花見川区)
春まき準備で畑にいた時、グラッときて尻もちをついた。携帯電話がな りだし大地震を知った。大急ぎで家に帰り、浴槽に水を張った。戦中から 水に対する習慣だった。岩手の友に電話は通じず、津波の映像にこの世の 終わりを見た思いがした。 計画停電に生活を合わせた。しばらくして浄水場の水汚染を広報車が知 らせて回り、幼児のみ給水するという。農家なので食糧燃料等に不安はな いが、水は県営水道なので心配だった。 タケノコやシイタケの出荷が、放射能検査の結果停止になった。福島 第一原発から遠いのに、改めて放射能の恐ろしさを知った。 6年たつのに自主規制しているものもある。原発汚染は終了とした人は 何を基準としたのか。大地を守り命を守れと叫びたい。 (3月14日朝刊5面「発言・私の東日本大震災3」より)
.. 2017年03月15日 08:24 No.1168001
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