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■--時代の先端を切り拓いた前野良
++ 樋口篤三 (幼稚園生)…3回          

 1868年・明治維新⇒1945年・日本帝国の惨敗と米占領軍による上からの大改革、さらに下からの民主革命と占領軍との対立、米軍政−吉田政府の制覇⇒高度成長
・世界第二位の経済大国化⇒いま。この巨視的な歴史観ぬきに、いまのめまぐるしい大変動の本質と流れはよくみえない。
 そして政治・経済・文化・道徳は深刻な危機にとらわれ、第二の“亡国の危機”とさえいわれている。
 梅原猛(前日本ペンクラブ会長。九条の会よびかけ人。“梅原日本学”ともいわれる独創的哲学者)はいう。
 「日本人全体に道徳がマヒしている。日本はいま、たいへん危ない、滅ぶんじゃないかと言われていますが、滅ぶとしたらその原因のひとつは、日本人から道徳心が失われていることにあると思います」。

   全体性と倫理(道徳)

 政治学者・前野良は長い学者・運動者の総括をふまえ時代認識と運動の結論としていう。「今後の危機は、政治、経済の危機の時代であると同時に、運動の思想の危機の時代であると考えています。大きな歴史の転換の時代における民衆運動の思想の危機でもあるのです」。(今日の社会運動・市民運動の思想への問題提起)
 「全体知、全体性の回復それは全体主義とは異質のものと倫理(道徳)性、必ず新しい時代を創り上げる倫理。この二つが運動の一番中心の軸になってきた…キー、概念」。「全体性と倫理性というのは私の考え方の今基礎に枠組みになっているんです」。この考え方は愛する麻子夫人が亡くなる前の百日間の闘病生活に付き添っていた間につきつめたもの、と本人はパンフで語っている。

   小泉首相と二人のブレーンの没論理

 “先進”欧米諸国をめざすべき文明−に対するアジア、第三世界は野蛮−ととらえ、その政治経済文化に追いつき追いこせ!、というのが明治維新いらい日本の大目標であった。戦前は欧州、戦後はとくに小泉内閣になって極限化したのが米国モデルへの追ずいであった。
 小泉首相は他の誰の意見もきかず、内政は竹中久蔵の経済金融政策、外交は岡崎久彦(タイ大使など)の二人の理論と政策をのみとりいれている、とかつての盟友加藤紘一はなげいた。二人とも超米国一辺倒主義者である。
 前野は指摘していう。その「竹中の経済政策も倫理という問題が一つも出てこない。倫理観という問題。新しい経済は新しい倫理観を持たなければならない時代になったと一言もないわけです」。
 岡崎は米国のイラク侵略戦争を百%支持し(CIA情報をもとに二週間で圧勝といいきったが大はずれした、日本型ネオコン安倍前首相の指南役として、集団安保懇12人の筆頭)など、日本民衆や市民社会なきアングロサクソン一体派である。
.. 2007年12月11日 07:11   No.115001

++ 樋口篤三 (幼稚園生)…4回       
   たて割り構造と全体性

 欧米諸国も日本国家も中央集権国家であり、中曽根内閣頃からは超中央集権国家といわれてきた。官僚世界も政治社会も縦割り構造化してきた。
 東京集中はその帰結で1990年頃に一、二、四、六、八という数字があったが、一は、人口の一割、二はGNPの二割、四は卸売、六は大企業の本店所在地、八は文化の東京集中が−文化・情報のほとんどが東京発なのである。今もさらに
つよまっている。
 「反核運動については全体性が欠けています。つまり、原発は原発、核兵器は核兵器、プルサーマルはプルサーマルというふうに、分業的な運動形態になっている。一番欠けているのが国家論です…」
 この縦割り構造を大改革するに当たって、全体性の回復という思考力と運動実践を前野は強調する。

   倫理的知的ヘゲモニー

 そして同時に、「ものが変わるときには、グラムシが言った知的道徳的指導性が必要です。近代から現代にいたる大量生産・消費のフォード・システムといわれたものが、人間社会と環境に対してどのような否定的な作用を支えているか、それから脱出するためにはどうしたら良いかということについては、個別的な運動形態が追求しています。しかし、これらが接合しない。女性、環境、民族、人権などの問題を接合することが大衆運動の中で出来ない。これらは接合して初めてひとつの時代の新たな価値観として確立するわけで、それが欠落しているということです」。
 前野は「自らの解放なくして社会解放はできない、という古典的な命題を非常に大事にしております」という。彼は知的道徳的改革を倫理的知的改革といいかえて、とくに倫理道徳を強調しているが、これと接合していない政治改革は、体制変革はできないというのがグラムシ理論の「一番大事な所」ととらえ、日本ではどうするかと設問し、問題提起している。
 私もまた60年の実践的致達点として道徳的ヘゲモニーの大事さをとらえ、「社会運動と道徳」を東アジア儒教・漢字文化圏の共通性として 今夏に一文を起草した。
 前野良は、終生改革し創造をつづけた社会主義者としての政治学、それと結合した反戦反核平和運動と接合した諸運動の実践−労働組合や生活クラブ生協、市民運動など多様な−を一貫して追求−時代の先端をきり拓いた。
 グラムシ、ポーランド連帯の西欧世界(フランスの自主管理的社会主義、イギリスの批判的科学運動等も)から、晩年の韓国朝鮮連帯運動等、東西の結合をめざしてきた。
 そして当今流行的なレーニン否定とグラムシ肯定論をとらず、グラムシを日本に創造的に適用しつつも「グラムシ主義者ではない」とみずからいう。
 その思想と生涯は、大知識人というにふさわしい。
 変革の志ある人々の必読をすすめたい。尊敬さるべき人であった。

.. 2007年12月11日 07:24   No.115002


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