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.「経産省前テントひろば」5年のたたかいと | そこから視えてきたもの (上) └──── (川柳作家・テントひろば運営委員)
日本の国家権力の牙城ともいうべき、東京霞ヶ関経産省の“一角”を “占拠”し、テントを立て、脱原発、再稼働阻止等を訴え、福島をはじめ 全国の、そして世界の人びとと結んで、24時間体制を維持しほぼ5年間、 民の声、在野の声を上げつづけてきた「経済産業省前テント」は、多くの 皆さんもすでにご承知のように、さる9月21日(日)深夜3時半に国家権力 の手によって撤去された。
このほぼ5年間、わたしは連日のようにテントに通い、また泊まりこみ もし、時には右翼や在特会などの攻撃にも抗し、また全国から、あるいは 世界から、テントを訪ねて来る人びととも交流し、私自身にとっても、非 常に学ぶところがあった。 東電福島第一原発の大事故と、その放射能大汚染の事実は、多くの事故 に対する根底的な問いかけ、また否定をせまるものである。 それはまた戦後の左翼、革新、労働、市民、反戦反核運動、といったも のもまた、その例外ではなく、激しく、厳しく、それらの「過ち」や「限 界」といったものを問うたものでもあったと私は思う。
◎文明史的大転換を突きつける
2011年9月11日に「テント」が立ったとき、おそらく、テントを立てた 側も、権力の側も、5年間もこのような「テントひろば運動」とでも呼ぶ べき行動が継続するとは、ほとんど誰も思わなかったのではないか。 しかし、この大事故、大事件は、まさに日本史始まって以来ともいうべ き、歴史的な事態であり、それは一国家権力の打倒などという水準ではと てもすまない「文明史的大転換」であることを、今日を生きる全ての人び とと全人類に突きつけた全地球的課題である。 3・11の事態を受けて初めて、原発とはこんな危険で怖ろしいもので あったのかということを知って立ち上がった、多くの素朴な人びとの怒り と思いは、かっての新左翼運動や全共闘運動を叩きつぶしたようにはいか ないということを“敵”原子力帝国の側も、その階級的本能で理解してい たに違いない。対応を間違えれば、自らを支配階級、国家権力の座から、 失墜させるような事態になりかねないということを、おそらく彼らは恐怖 したに違いない。 そうした彼我の力関係や、世論の背景等の力の“総和”の中で、「テン トひろば」は約5年間にもわたって、その意気を高く示しつづけることが できたのだと思う。 (「下」に続く)
出典:「世代の杜」第9号(2016年12月「早稲田の杜の会」発行)より
※「脱原発青空川柳句会」のご案内 日 時:12月11日(日)13時より16時 場 所:東京都千代田区霞ヶ関経産省(テントフェンス前) 席題2題 乱 鬼龍選 入選者に呈賞 問い合わせ:070-6472-1947 (乱)
.. 2016年12月05日 08:11 No.1128001
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