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さらに、8月8日、ソビエトは日本に対し戦宣し、8月9日未明、約4,000kmにわたる戦線から攻勢に入り、20日までは関東軍主力を撃破し、9月9日には満州における個々の集団の抵抗は、事実上終わった。8月9日、ソビエト軍の攻撃に呼応して、モンゴル人民共和国も参戦、中国解放軍も攻勢に転じ、僅か11日間、8月9日より19日までに関東軍は撃破され、満州、旅順、遠い昔からロシアに属していた南サハリンとクリル諸島から、日本人を駆逐し、北朝鮮を開放した。
極東におけるソビエト軍の軍事行動の目的は、北東中国の日本軍の撃破と、遼東半島に進出することにあった。南サハリンに対する攻撃は、8月11日の朝よりから始められ、8月25日には、同地区全部の日本軍の帰討を終わり、一方クリル諸島は、8月7日午前4時、上陸部隊の舟挺多数が、カムチャツカのペトロパヴロスクを出て、濃霧の中を多数の軍艦に掩護され、東海岸に沿って、クリル諸島最北端のシュムシュ島を攻撃し、9月1日までに解放を完了し、両地合わせて63、840名の将兵を捕虜とした。
.. 2007年12月22日 10:23 No.112006
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