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発信できたことを誇りに思う | みんなが米山って書いたから 10月16日は脱原発記念日 | 泉田氏の代わりの候補者を擁立することは困難を極めた− | 新潟現地からの報告 └──── (さようなら柏崎刈羽原発プロジェクト、新潟県) ○みんなが米山って書いたから 10月16日は脱原発記念日 今回の新潟県知事選挙は、実質的な原発県民投票となった。 選挙に先立つこと約1ヶ月前の泉田裕彦知事の突然の立候補取り止めは、 森民夫を筆頭とする県内自民党、電事連関係者によってなされたフェリー 問題の焦げ付きの責任を濡れ衣として知事に押し被せ、知事選の争点隠し を図る強引な手口のせいだった。
県民紙とも言うべき新潟日報がそのお先棒を担ぎ、県からの正式なコメ ントも掲載しないという異常事態の中で、泉田氏は、知事選の争点は「柏 崎刈羽原発の再稼働問題」であり、自分が出るとその論争ができなくなる と言って立候補を取り止めたのだった。 その判断は正しかったとしても、代わりの候補者を擁立することは困難 を極めた。規制委員会の結論を受けて再稼働の判断を迫られる日は近いの だ。 国と電力業界あげての攻勢が県知事一人の上に向かうのはもちろんだ。 わざわざそんなところにノコノコと出てくれる人はいるだろうか?
森ゆう子さんを始め、野党共闘を担った党首の皆さん、市民連合の代表 者たちが必死の思いで探し当てたのが、米山隆一さんだった。 しかし、彼の所属する民進党内部で意見が調整できず、連合新潟は対立 候補森民夫の推薦を決定し、米山氏は民進党を離党して立候補することと なり、民進党は自由投票を選択した。 「身を捨てて 越後の川の賽(さい)となる」と詠んで米山氏は立ってくれ たのだった。
○米山さんの立候補表明は9月23日だった。29日の公示日からすったもん だの毎日が始まる。広い県内を3つに分けて、ポスターが届いたのが当日 の未明。1号チラシは10月に入ってから。選挙事務所の電話もなかった。 でも、みんな森ゆう子さんの選挙仲間だったから、信頼しあって揉めた りしなかった。地元の民進党の人たちも何事もなかったかのように選挙運 動に参加してくれた。
医者で弁護士、湯の谷村の出身、維新の会にいたんだって、そんなこと しか分からなかった。でも除籍されてまで立ってくれたんだって。泉田さ んの路線を引き継いでくれるんだっていいよそれだけで、ワッサワッサと ことが進んでいく。 医者は医者でも東大出の医者で、医学部の大学院時代についでに司法試 験も受かってしまって、ハーバード大学にもいたなんて、入ってくる情報 はあきれるほどピカピカだ。どんなに偉そうなやつなんだろうって最初は 思ったさ。
でも会えば、腰は低いし、でしゃばらないし、人の話をしっかり聞いて すうっと理解してくれる、さすがに落選4回の苦労人だった。 地域医療をやっていたんだって、地域の法律相談にも乗ってくれていた んだって、評価は上がる一方だった
.. 2016年10月24日 08:06 No.1112001
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