返信


■--熊本地震が示した
++ 島村英紀 (課長)…173回          

「地震地域係数」の危うさ 40年近く変わらず
 |  「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」コラムその150
 └──── (地震学者)

◎ 熊本県のホームページで閉鎖されてしまったサイトがある。「熊本の魅力・企業立地ガイド」の頁だ。
 このサイトで熊本県は「低い大規模地震発生」で「地震保険の保険料は全国で最低ランク」を謳って企業誘致を図っていた。
 このほか「落雷発生頻度が低く、被害の大きな冬季雷が発生しない」ことや「豊富で良質な地下水に恵まれた地域」で、熊本県の人口の半数以上を占める約100万人の熊本都市圏は、生活用水のほぼ全量を地下水で賄っている全国でもまれな地域だということも誇っていた。
 しかし今回の熊本地震で、「地震が少ない」ことを謳ったこのサイトを閉鎖せざるを得なかったのである。

◎ だが、これは県のせいではない。国が地震の安全性にお墨付きを与えていたのだ。国土交通省が定めている「地震地域係数」が、関東や太平洋沿岸の東北地方などが1.0なのに対し、九州の大半は0.9〜0.8だったからだ。
 この係数は市町村ごとに指定されているから、細かく見ると熊本市の大部分や熊本県益城町、大分市、宮崎県全域は0.9で、福岡、佐賀、長崎の3県全域や、市役所が大きく損壊してしまった熊本県宇土市などは0.8だった。ちなみに沖縄は全国最低の0.7だ。
 鉄筋コンクリート造りや3階建て以上の木造を建てるときに義務付けられている構造計算にこの係数が使われる。2階建て以下の木造住宅では、構造計算は義務付けられてはいない。

◎ この係数が低いほど、構造計算で設定する地震力は小さく、耐震性も低くなる。この係数は1952年に導入されたものだが、1980年に改定されて以降、40年間近くも変わっていない。
 この仕組みは「過去数百年間の地震の規模や頻度、被害を基に設定」されたと言われる。地震の少ない地域は耐震性を低減してもいいという考え方なのである。
 しかし、最近の地震学では、熊本に限らず、内陸直下型地震は、日本のどこでも襲う可能性があることが分かってきている。たとえば2005年に起きて大きな被害を生んだ福岡県西方沖地震(マグニチュード(M)7.0)は、日本史上、ここで初めて起きた大地震だった。
 九州では東京と比べて、同じようなマンションでも鉄筋の数を少なく出来る。このため、コストも安い。「係数」が0.1違っただけで大違いなのだ。もちろん、その分だけ地震には弱い。
 だが近年、政府が保証している地震の安全性は、新しい地震学の常識では怪しくなっているのだ。
 地震保険の保険料も、この「係数」に対応して地域差がある。逆に言えば、東京や静岡の人たちは、不当に高い保険料を払い続けていることになるのかもしれない。

◎ ちなみに「豊富で良質な地下水」は阿蘇など多くの火山が過去に噴出した大量の火山灰や噴石が作ってくれているものだ。富士山の伏流水もそうだが、「豊富で良質な」日本の地下水の多くは火山の恩恵なのである。

.. 2016年05月19日 08:23   No.1054001

++ 永山一美 (小学校中学年)…15回       
地震列島日本の今・そしてこれからは?
| 環太平洋の地震と噴火は日本を軸に余談を許さない地殻変動期に突入か
 |  5月14日 島村英紀さん・地震と原発学習会に参加して
 └──── (たんぽぽ舎ボランティア)                                   
 島村先生の講座に参加してまいりました。
 主な内容は先日の熊本地震発生に連なる一連の地震についてと、地震についてその発生するメカニズムなどを分かりやすくお話し頂きました。
 おっしゃりたかったことは主に下記のことだと思います。
 まず日本は中央構造線を有し、各地域の埋没断層帯までが活発化し、太平洋側一帯を襲う大きな地震が3つ、密かに近くがその時を準備し、さらに、マグマと断層と密接にある火山についても要注意状態であること。
 断層帯には火が付き始めたが、更に火山など地殻変動にも注意する必要がある。不気味な蠕動運動を繰り返し始めたところであるう。
 今迄ニュースや新聞などで見聞きし疑問に思っていた点などが、理解できたとても有意義であっという間の2時間の講座でした。

 今回の講座で島村先生より改めて地震のあれこれや原発との関わりを聞き、地震大国であり、さらに活動期に入った火山列島において、原子力発電所が幾つも建設され、一部は稼働し、その後も次々と再稼働を計画している事実との表裏一体感と、薄氷を踏むような日本の政策に重ねて驚愕すると同時に、なにか末恐ろしく、薄ら寒い恐怖感が生まれました。
 このような危機感や疑問なども講座でお話を聞いたことにより、改めて自分の中に生まれることができたと思います。
 勉強をすること、沢山のお話を聞くことは、自分が活動を継続していく上で偏らない考え方を持つために、大切なのではないだろうかと思いました。
 地震や火山を知ることは、自分の住んでいる土地を知ることになるのだとも実感した2時間でした。
ありがとうございました



.. 2016年05月24日 09:01   No.1054002
++ 柳田 真 (平社員)…148回       
九州縦断の大地震だ。原発が超危険だ!
 |  日本人はノンビリしすぎ、立ち上がれ、自分と子孫のために
 |  広瀬隆さん「日本列島と人々の危機」を訴える講演
 └──── (たんぽぽ舎、再稼働阻止全国ネットワーク)

◎5月26日(木)「熊本大地震と原発−唯一、稼働中の川内原発は大丈夫か?」−地震と原発連続講座第2回広瀬隆さん−が開かれました。(第1回は、地震学者島村英紀さん)
 その講演の要旨を報告。参考文献は「DAYS JAPAN」6月号の16頁特集。

◎はじめに、(気象庁のいうような)熊本地震ではない。熊本大地震プラス大分地震・阿蘇噴火プラスであり、「九州縦断大地震だ」という方がより実態をあらわした命名だと思うと発言。
 今の状況は、日本壊滅前夜というのに、(日本列島が地震・火山・津波活発期=活動期だ。今までのような静穏期でないというのに)日本人はノンビリしすぎていないか、…と会場参加者に迫った。(しった激励した)

◎熊本大地震は日本近代史上「初めての中央構造線の巨大地震である」とのべ、その理由を写真と文章で説明。「日本の全ての原発と青森県六ヶ所再処理工場は、このような熊本大地震の内陸直下地震に対して、マグニチュード(M)6.5を超えると福島第一原発と同じように大破壊されてしまう」

◎日本一の巨大活断層群である中央構造線はどこまで延びているか?で、テレビ・新聞の誤りを具体的に指摘した。
 「新聞に描かれた説明図で、中央構造線の断層が熊本県で終わっている図も多々見られたが、これは間違いである。中央構造線は、細い1本の断層ではなく、多数の断層を束ねたような太い帯状の『活断層群』であり、鹿児島県・川内原発の直下を走って、沖縄から台湾まで続いている。つまり、本州から九州の南に沖縄と台湾が陸地として並んでいるのは、そのためなのである。」

◎川内原発近くで大地震が起きたら、原発はもたない。住民ヒナンはむつかしい。原発をやめるのが最良の対策である。

★次回(3回目)の「地震と原発連続講座」の講師を、5年前に浜岡原発を止めた菅直人氏に依頼したところ、国会は衆参同日選挙のうわさで、とても忙しいと秘書さんの回答。
 皆さん、「地震と原発連続講座」にふさわしい講師をご存じでしたらご紹介下さい。


.. 2016年05月30日 08:04   No.1054003
++ 島村英紀 (課長)…174回       
巨大地震に弱い震度計の問題点
 |  役場や庁舎内に設置、停電で動作せず…
 |  「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」コラムその151
 └──── (地震学者)

◎ 一連の熊本地震では震度7が2回ということになっている。だが、この両方とも、いわくつきのものだった。
 震度7は、1949年に気象庁が新たに導入して以来熊本地震までに3回しか記録されたことはなかった。2011年に起きた東日本大震災以来、熊本地震までは5年間なかったものだ。
 熊本地震での最初の震度7は4月14日だった。益城(ましき)町の役場に置いてある震度計が7を記録した。

◎ 4月14日の地震のマグニチュード(M)は6.5。大きな直下型地震で震源が浅かったから、震度7を記録したのだった。
 だが、震度7を記録したすぐ外側の震度は、次の震度である6強ではなくて、ひとつ飛んだ下の6弱だった。震度は震源から遠くに行くにつれて順に下がっていくものだから、かなり不自然なことだった。
 震度計は地震計の一種だ。このためちゃんとしたところに設置しないと正確なデータが取れない。ところが実際には、役場などの庁舎内に置いてあることも多い。
 2日後の4月16日にM7.3の地震が起きた。こちらの地震の方がずっと大きな地震で、地震のエネルギーとしては20倍近くも大きかった。政府やNHKが「家に帰れ」と指示したこともあり、犠牲者数もずっと多かった。

◎ しかし、気象庁から発表された震度は6強どまりで、震度7を記録した場所はなかった。このため、当初、この地震は震度6強の地震として発表された。
 震度7がなかったのは、前のM6.5の地震のときに震度7を記録した益城町の役場に置いてあった震度計が、停電のために動作していなかったためである。
 震度は震度計がある場所でしか観測できない。周囲の地震計から数値を求めるMとは違う。
 震度計は停電していたら動作しない。せめて電池によるバックアップの仕組みくらいは持つべきであろう。

◎ そもそも、一般の人にとっては地震のMよりは震度の方がずっと身近なものだ。
 その後、建築学者が益城町などの家屋の損壊状況を調べ、どう見ても震度7に相当する被害だったことを発表した。
 7より上の震度はない。つまり青天井の震度で、震度7があったかなかったは、大違いなのである。
 気象庁はあわてたに違いない。地元を管轄する福岡管区気象台だけではなく、首都圏にある傘下の研究所からも職員を派遣して震度を調べ直した。そして、このM7.3の地震の最大震度を震度7として発表しなおした。震度計のデータが送られなかった数値を後から発表することになったのは異例なことだ。

◎ 気象庁の報道発表用の資料では「益城町および西原村の震度計のデータは送られてきませんでしたが、この2か所のデータを現地調査により収集し解析した結果、下記の震度が観測されていたことがわかりました」とある。何を、どう調べたかは書いていない。
 今回の熊本・大分の地震は震度計の弱点も明らかにしてしまったのである。


.. 2016年05月30日 08:27   No.1054004
++ 島村英紀 (課長)…175回       
多くの犠牲者を生む“火山泥流”新学説、積雪期以外も注意を
 |  「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」コラムその152
 └──── (地震学者)

◎ 日本最大級の火山泥流が発生してから90年がたった。これは、1926年5月24日、北海道中央部にある十勝岳(2077メートル)が噴火して大規模な火山泥流が人々を襲ったものだ。
 「泥流」といっても生やさしいものではない。岩や石を巻きこみ、家や木を次々になぎ倒して進んだ。泥流は下流の岩や石を巻きこみ、家や木を次々になぎ倒して進んだ。泥流はわずか25分後には25キロも下流の上富良野(かみふらの)市街地を襲い、144名の死者・行方不明者を生んだ。平均時速は自動車なみの時速60キロだった。

◎ この噴火では、大規模な水蒸気爆発が起きて中央火口丘が崩壊、岩屑(がんせつ)なだれは噴火から1分で火口から2.4キロのところにあった硫黄鉱山の宿舎を飲み込んだ。そして山頂付近の残雪を融かして泥流が発生したのだ。
 5月の末は、北海道の山は、まだ雪に覆われている。雪の下で火山が噴火した最悪の例として海外の火山学者にも広く知られた噴火だった。
 泥流は美瑛(びえい)川と富良野川の二つに沿って流れ下った。川は十勝岳から上富良野まで直線的には流れていない。この二筋の川がカーブしているとおりに流れ下ったのである。

◎ だが、近年、この「定説」を覆す学説が出てきた。十勝岳にあった雪を全部溶かしたよりも多くの水量が下流を襲ったことが分かったからだ。
 このため、噴火が雪を溶かしただけではなく、火山の内部で大量の熱水が作られて、それが噴出したのではないかという学説が出されたのである。
 だとすれば、積雪期の火山ではなくても、火山泥流が生まれる可能性がある。いままでは積雪期の噴火だけを恐れていたが、雪が積もっていないほかの火山でも内部で大量の熱水が出来て起きる事件かも知れないのだ。

◎ しかし、この熱水説には反論もある。いったん泥流が生まれると、普段の沢水より高速で流れ下るので、沢水や砂礫をどんどん巻き込んで全体の流量がはるかに増えるという説なのである。
 この例は、1985年に起きた南米コロンビア・ネバドデルルイス火山で起きた。この噴火で出た泥流は100キロも離れたアルメロなどの街を2時間半後に襲い、23000人もの犠牲者を生んだ。
 街の人口の4分の3が泥流に襲われて死亡した。家屋の損壊も5000棟に達した。
 首と手だけが泥の上に出た13歳の少女が救助を待ち続け、3日後に息が絶えた映像を覚えている人も多いだろう。
 この火山泥流は、20世紀に起きた火山噴火で世界で2番目の被害者を出してしまったのだ。
 このときも火山付近にあった氷河を溶かしたが、その水量よりもずっと多くの量の泥流が下流を襲った。

◎ ちなみに、20世紀の火山噴火で最大の被害は1902年に起きたカリブ海・マルチニーク島のプレー山の噴火で約30000人が犠牲になった。これは火砕流によるものだ。
 日本でも2014年の御嶽山の噴火までは1991年の雲仙普賢岳の火砕流による犠牲者が戦後最大だった。
 じつは十勝岳も火砕流が出て、下流の白金温泉まで達したこともある。
 泥流は恐ろしい火山災害だが、それだけを警戒していればいいものではないのである。

.. 2016年06月01日 08:32   No.1054005
++ 今井孝司 (幼稚園生)…4回       
5/14島村英紀さん学習会のまとめを「地震がよくわかる会」HPへ
 |  アップのご案内及び
 |  NHK地震速報の鹿児島県の不自然な震度表示に関する記事の紹介
 |  (熊本・地震情報その4)
 └──── (地震がよくわかる会)

○熊本地震からちょうど1カ月の5月14日に島村英紀さんの学習会が行われました。タイトルは「地震列島日本の今・そしてこれからは?」というものです。
 当日のまとめが出来、地震がよくわかるHP( こちら )にアップロードしましたので、ご案内します。
当会HPから【特集】コーナーの「島村英紀さん熊本地震学習会」をクリックして読むことができます。あと、学習会の内容を補足する意味あいで、補足記事を33件追加しました。その中で、特に気になったものを以下に1件紹介します。

○タイトル:熊本・大分大地震の報道から消された中央構造線と原発の危険性!
      安倍政権の「虎の威を借る独裁」を敷くNHK籾井会長 2016.4.30
 出典元:IWJ( Independent Web Journal) 日付:2016年5月1日
こちら
 NHKの地震速報の表示において、鹿児島県の震度表示は非常に不自然なものであった。最初の震度7の地震の際に、本来なら、鹿児島県で震度3〜4が表示されるべきところ、何故か表示されていなかった。この件についての詳細が、当記事で述べられている。
記者(佐々木隼也氏)がNHKに問い合わせると、「広報担当者は『特に意味はありません』と回答した。」ということであった。当記事は、この件の他にも、NHK報道姿勢に関する事が語られている。


.. 2016年06月03日 08:02   No.1054006
++ 島村英紀 (課長)…176回       
すべてをのみ込む「泥火山」の恐怖
 |  マグマ活動とは直接の関係なし
 |  「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」コラムその153
 └──── (地震学者)

  インドネシアで10年間も続いている災害がある。終わりはまだ見えない。
 ジャワ島のシドアルジョという「泥火山」。ちょうど10年前の2006年5月から途方もない量の泥を噴き出しはじめた。
 そして、いまも衰える兆候もなく、毎日3〜6万立方メートルという大量の泥を噴出し続けている。この量は、オリンピック競技用のプール約20個分に相当する。
 いままでに吐き出された泥で、サッカー場650個分もの広大な地面が、深さ40メートルの泥に沈んでしまった。
 近傍の家は埋まり、村は放棄された。10年前の最初の爆発では、突然だったこともあり10数人が死亡した。このほか多数の村、農地、工場、商店や幹線道路が破壊されて、約4万人が避難した。
 その後も泥の噴出が続いて、地元の人たちは、家も収入も失って途方に暮れている。
 泥火山とは、泥と一緒に、地下からガスや水が噴出することによって噴出孔のまわりにできる泥の丘のことだ。
 丘の頂上に火口状の穴があり、穴からは泥が火山の溶岩流のように流出している形が火山に似ているので泥火山と言われる。だが、マグマ活動とは直接の関係がないし、温度も1000度C前後あるマグマよりもずっと低い。
 インドネシアのこの泥火山は世界最大の規模のものだが、もっと小さいものは世界中で見つかっている。
 火山の噴気地帯や温泉地帯など、高温の水蒸気の噴出孔に泥火山ができる。また油田や天然ガス田などでガスが噴出しているところに泥火山があることが多い。
 日本では秋田県・後生掛(ごしょうがけ)温泉の泥火山や北海道・新冠(にいかっぷ)や北海道・阿寒(あかん)のボッケ温泉のものが知られている、しかしこのインドネシアのものに比べるとはるかに小規模なものだ、。
 ところで、この大規模なインドネシアの泥火山がなぜ出来て、なぜ、泥の噴出が続いているのかは、じつはナゾなのだ。
 いちばん疑われているのは、泥火山の噴出口から150メートルしか離れていない天然ガス田での作業である。
 しかし、ガス田側はこれを否定した。泥火山が噴火した2日前にジャワ島中部で発生したマグニチュード(M)6.3の地震を原因としたのだ。だが、震源からここまでは約260キロも離れている。日本の震度でいえば、1か、せいぜい2だ。
 地震の揺れがあまりに小さいだけではなく、この説は分が悪い。科学者によると、噴火発生の初期に測定された地下ガス濃度の分析結果は、泥の噴出を誘発した原因が天然ガスの掘削調査であることを示している。
 噴出を止めるために、巨大なセメントの球を詰める対策が行われたが、成功しなかった。
 まだ、噴出を止める努力は実っていない。この災害はいつ、終わるのだろう。


.. 2016年06月10日 08:37   No.1054007
++ 島村英紀 (課長)…177回       
パニック恐れるあまり起きた悲劇 雲仙普賢岳の噴火から25年
 |  情報を出すことによってパニックが生じた例は実際にはほとんどない
 |  「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」コラムその154
 └──── (地震学者)

◯ 長崎県・雲仙普賢岳(1483メートル)の噴火から25年がたった。地球物理学者は苦い思いを噛みしめている。
 2014年に起きた御嶽山の噴火までは戦後最大の火山災害。43人の犠牲者を生んだ。だが、この噴火も御嶽山の噴火と同じく、火山の専門家の警告の仕方によっては、被害がここまでは大きくはならなかったはずだ。
 雲仙普賢岳は1990年11月に198年ぶりに噴火して、その後も噴火は拡大していた。
 翌1991年5月の下旬から発生した火砕流が小規模ながら衝撃的だったことから「いい画を撮りたい」という取材競争が過熱して、多くのメディアが「定点」と呼ばれた地点に入っていた。ここは山を正面から望める場所で、「避難勧告」が出ていたが、強制力はなかった。

◯ そこに6月3日の大火砕流が襲いかかったのだ。犠牲になったのはメディア関係者や外国人の火山学者たちだけではなかった。報道関係者が雇いあげたタクシーの運転手、地元の消防団員、警察官など24名もいた。
 避難して無人になった人家に侵入して電気や電話を使った数社のテレビ局クルーがいて住民に不安が高まっていた。このため消防団員や警察官が現地に入っていて巻き添えになった。
 一方、前日には島原市議会選挙があり、火砕流当日は当選議員の祝賀会があって火砕流に見舞われた地区の住民たちは出かけて留守だった。
 しかし、もし火砕流が一日遅れていたら、もっと大きな災害になったのに違いない。火砕流に見舞われた地区で、噴火で遅れていた葉タバコを住民総出で収穫することが翌日に予定されていたからだ。

◯ この大火砕流の前、5月25日に九州大学・島原地震火山観測所に集まった専門家たちは、夕刻に発表する火山情報で「火砕流」という語を使うかどうか、緊迫した議論をしていた。全国の火山噴火予知連委員との電話会議も行われた。火砕流という言葉を使うことによってパニックが生まれることを恐れたからだった。
 火山の専門家の頭には1902年にカリブ海の火山モンプレーで3万人近くが焼け死んだ火砕流が思い浮かんだに違いない。大騒ぎになることを恐れて、表現を穏やかにしてしまったのだ。
 この結果、発表された火山情報には末尾に次の文が添えられただけだった。「九州大学、地質調査所等の調査によれば5月24日の崩落現象は小規模な火砕流だった」。発表後に気象庁本庁で行われた記者説明会では、この記述について、深刻な事態でないことが言い添えられた。

◯ だが「小規模ではない」火砕流が起きて、大きな被害を生んでしまった。
 パニックが起きるのではないかと恐れて情報を出さないことを、心理学では「パニック神話」という。だが、情報を出すことによってパニックが生じた例は、実際にはほとんどないのである。
 火山学者として正確な情報や見通しを出さなかったことで、専門家と住民の信頼関係を失った結果がこの災害だったのだ。


.. 2016年06月20日 08:16   No.1054008
++ 島村英紀 (課長)…178回       
未知のプレートが生み出す巨大地震 日本海中部地震から33年
 |  「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」コラムその155
 └──── (地震学者)

 ◎ いまとなっては秋田県民だけが憶えているかも知れない。日本海中部地震が起きて先の5月で33年たった。
 この地震のマグニチュード(M)は7.7。それまでは日本海岸は津波に襲われないと思われていたが、大津波が襲ってきた。遠足に来ていて海岸にいた合川(あいかわ)南小の児童13人をはじめ、104名の犠牲者を生んでしまった。
 この地震は地球物理学者にとっても大きな転換をもたらしたものだった。この地震の震源だった秋田県沖の日本海にプレート境界があることが、はじめて提唱された地震だったのである。
 それまでは、ここにプレート境界はなく、北日本も日本海もユーラシアプレートというひとつながりのプレートに載っていると思われていた。だが、この地震が起きて、震源はいままで知られていなかったプレート境界なのだと提唱されたのだ。
 
 ◎ この学説によれば、ユーラシアプレートは震源から西の部分に限られ、それまではユーラシアプレートに載っていると思われていた北日本は、じつは北米プレートに載っていたことになる。つまり日本列島は首都圏あたりを境に、北半分は北米プレートに、南西側の半分はユーラシアプレートに載っているというのである。
 この学説を言い出した学者は、学会から相手にされなかった。当時の常識には反する荒唐無稽な説だったからである。
 プレートは「オレが○○プレートだよ」と言ってくれるわけではない。地下にどのプレートがあるのかを直接知る方法はない。このため、いままでの定説を覆す証拠を見つけるのは難しいことだった。
 だが、10年後の1993年に、北海道の南西沖で北海道南西沖地震(M7.7)が起きた。
 もしこの地震が起きなかったら、新しい学説は相手にされないままだっただろう。
 このときも大津波が沿岸を襲って、230名もの犠牲者を生んだ。なかでも北海道・奥尻島では津波で壊滅的な被害を受けて、地震による被害は復興したものの、人口は戻らなかった。
 
 ◎ しかしこの二つの地震が南北に並んだ場所で起きたことによって、ここにプレートの境があって海溝型の大地震が起きることがわかった。つまりこの二つ目の地震が「新しい学説」を立証することになったのである。
 いまでは、日本海の東縁、つまり北日本のすぐ沖に南北に延びるプレート境界があることが学説として定着した。
 このプレート境界は地球の歴史では新しくできたものではないかと思われている。つまり約300万年前から作られはじめたものだという。これに比べれば北日本の太平洋岸沖にあるプレート境界は、少なくとも2億年前からあるから、ずっと古い。
 私たち日本人は、つい近年まで、どのプレートの上で暮らしているのか、知らなかったのである。


.. 2016年06月28日 08:20   No.1054009
++ 島村英紀 (課長)…179回       
社会の進歩に伴い深刻化する地震被害
 |  宮城県沖で地震を繰り返してきていた領域
 |  「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」コラムその156
 └──── (地震学者)

  宮城県沖に、とても不思議な場所がある。約40年ごとに大地震を繰り返してきた震源だ。
 いちばん最近の地震は38年前の6月12日に起きた。マグニチュード(M)は7.4。
 もう一回前は1936年だった。Mも震源も瓜二つの地震だった。
 さらに一回前は1897年。この地震もMは同じ7.4だった。
  このように1897年から3回の地震が起きていて、その間隔は40年ほどになる。もっと前にも地震が繰り返された可能性が高い。古文書には書かれているが、なにせ地震計がなかった時代だから、同じ規模や震源の繰り返しかどうかは、厳密には分からない。
 震災は地震と社会の交点で起きる。このため、社会や文明が進歩するほど震災が大きくなる。宮城県沖の地震もそうだった。
 1978年の地震は過去に繰り返した地震でも最大の被害だった。この地震は宮城県仙台市を襲い、当時「初めての都市型災害」と言われた地震災害を起こした。
 死者28名のうちブロック塀の倒壊による死者が半数以上の18名もあった。ちなみに1936年の地震では死者はなく、負傷者4人であった。
 1978年の地震では多くのマンションで玄関の鉄のドアが開かなくなって閉じ込められる人が続出した。ガスや水がストップした都市生活がどんなに大変なものか、人々は初めて思い知らされた。また、市内のビルからガラスの雨が降った。
 もっと目立ったことがある。この地震では、全壊した家1200戸の99%までが第二次世界大戦後に開発された土地に建っていた家だったのである。
 つまり、昔の人が住むのを避けていた土地に被害が集中した。
 昔は開発されるには難点があった軟弱な土地や、斜面を切り開いたり盛り土をした宅地造成地に建っていた家が倒れた。田圃や、河原や、傾斜地を削ってひな壇を作った宅地造成地が地震波を増幅したのだ。
 この地震で家屋の被害が甚大だったために、3年後の1981年には建築基準法が強化された。この改訂で「震度5強程度の中規模地震では軽微な損傷、震度6強から7程度の大規模地震でも倒壊は免れる」強さとすることを義務づけた。
 最後の地震から38年たった。そろそろ「次」が起きるのだろうか。そして「次」はもっと被害が大きいのだろうか。
 だが、5年前に東日本大震災(地震名としては東北地方太平洋沖地震)が起きた。この地震のMは9.0。途方もない大きさだった。地震のエネルギーは1978年の地震の250倍にもなった。震源の大きさは南北に450キロ、東西に150キロもあって、宮城県沖で地震を繰り返してきた領域を呑み込んでしまったのだ。
 このため、「次」がいままでのように起きるかどうか分からなくなっている。地球物理学は地下で何が起きているのか、まだ解明できていないのだ。


.. 2016年06月30日 08:11   No.1054010


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