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深い崩壊感覚 竹田茂夫
3・11から5年、チェルノブイリの事故から30年。現在流布しているのは「原発はアンダーコントロール」の見え透いたうそだけではない。 リベラルな知性を代表する米国の一流紙も、地球温暖化という「公共悪」に対し、CO2を出さない原発で対処すべきだと主張する。原発もリスクやコストとして冷静な計算へ組み込むべきだというのだが、この主張は使用済み核燃料の難問や次世代にも及ぶ健康被害の調査に無関心であることで、自身を切り崩す。 原発事故の影響を過小評価する国際原子力機関(IAEA)などは科学的客観性を装うが、実は利害関係者でしかない。 「核戦争防止国際医師会議ドイツ支部」のチェルノブイリ報告書は、公式発表されている犠牲者の数への留保と、批判の根拠を提供する。 核によって、何かが根本的に変わったという感覚は私たちの時代のものだ。既存の秩序も無傷ではいられない。チェルノブイリがソ連崩壊の一因になったというだけではない。科学者や統治者の意のまま、自然の制御や人間の支配が可能という確信が失われたのだ。アレクシエービッチが著した「チェルノブイリの祈り」は人々の体験と思いを越えて、核の時代に自然との融和や平穏な日常性そのものが失われたことを示唆する。その深い崩壊感覚のため、未来の希望はまだ見えてこない。(法政大教授) (4月28日朝刊29面「本音のコラム」より)
.. 2016年05月06日 08:32 No.1048002
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