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■--5日に地球をかすめる小惑星
++ 島村英紀 (課長)…160回          

 露に落下した2013年の隕石より巨大!!
 |  警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」コラムその141
 └──── (地震学者)

◎ ほとんどの人は知らないが、3月5日は、小惑星が地球を「かすめる」日だ。
 この小惑星「2013 TX68」は2013年に見つかって、地球に向かって飛んでいるのが分かっていた。ただし、太陽の方向から飛んできていたので、わずか3日間だけの観測のあと、太陽のまぶしい光の中に入って、見えなくなってしまっている。
 そのため、観測データが十分ではない。軌道にはあいまいさがあり、小惑星の大きさも知られていない。しかし2013年にロシア西南部の町チェリャビンスクに落ちた隕石よりも大きい小惑星であることは確かだ。チェリャビンスクに落ちた隕石は、その衝撃波で東京都の面積の7倍もの範囲で4000棟以上の建物を破壊し、1500人もの重軽傷者を生んだ。
 「2013 TX68」は地球にぶつからないことは分かっている。だが、どのくらい近づくのかは分からない。近ければ地球から1万7000キロ、遠ければ1400万キロだ。
 1万7000キロといえば、地球の直径の1・3倍ほどにすぎない。放送衛星や気象衛星など、地球に対して静止している静止軌道を回っている人工衛星は高度約3万6000キロに位置している。1万7000キロはその半分以下なのだ。
 他方、1400万キロならば、月までの距離の35倍もある。地球からははるかに遠い。
 この小惑星は、ずっと太陽の光の中を通ってきているので、いまだに見えていない。しかし3月5日の大接近以後は太陽から外れ、逆に太陽に照らされて、よく見えるはずだ。そして、正確な大きさや、形も分かる。自転の速さも明らかになり、岩なのか、金属なのか、氷なのかといった物質の見当もつくかも知れない。
 軌道も正確に調べられる。次にこの小惑星が地球に接近するのは2017年9月28日だと分かっているが、そのときに地球にぶつかるのか、ぶつからないで通り過ぎるだけなのかも判明するはずだ。
◎ ここ数年、米国アリゾナ州で「カタリナ・スカイサーベイ」という名の「地球近傍天体」サーベイ(観測計画)が行われている。
 「2013 TX68」を発見したのはこの観測計画だ。地球に近づいている天体を調べる計画で、アリゾナ大学の月惑星研究所が行っている。近くの「レモン山サーベイ」やオーストラリアの「サイディング・スプリングサーベイ」と提携している。
 この観測の能力は高い。たとえば2006年に発見されたほうき星(彗星)の大部分をこの3つのサーベイが占めた。
◎ しかし「2013 TX68」クラスの小惑星、つまり直径数十メートル以上の天体は、地球の近傍に100万個もあると考えられている。だが、そのうち発見されているのは1万個ほどにしかすぎないのだ。
 私たちは、将来の大地震や火山噴火だけではない、地球に落ちてくる小惑星という未知の危険も知らないまま、毎日をすごしているというべきなのだろう。

.. 2016年03月17日 08:45   No.1028001

++ 島村英紀 (課長)…161回       
次は「アウターライズ地震」に警戒
 |  海溝型地震と「組」になって起きる
 |  「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」コラムその142
 └──── (地震学者)

 ◎ 大地震が別の大地震を引き起こすことがある。
 東日本大震災から11日で5年。マグニチュード(M)9.0の東北地方太平洋沖地震の爪痕は各地に残っていて、復興にはまだ遠い。
 だが、地球物理学者としては、あの地震だけですべてが終わったとは思えない。
 1896年(明治29年)に起きた明治三陸地震は、津波などで大被害をもたらした。典型的な海溝型の地震だった。
 だが、それだけではすまなかったのだ。人々が明治三陸地震の惨禍から立ち直り、地震のことを忘れかけた約40年後、今度は昭和三陸地震が起きて、また大きな損害をこうむってしまったのである。
 時は1933年(昭和8年)3月3日。雛祭りの日だった。今からちょうど83年前になる。
 ◎ じつは、地震の揺れそのものは明治三陸地震よりはずっと弱かった。しかし、地震の揺れが大きくはないというので油断していた人々を襲った津波は、明治三陸地震なみの大きさだったのだ。
 この昭和三陸地震は「アウターライズ地震」である。よくある海溝型地震ではなくて、太平洋プレートそのものが割れてしまった地震だった。
 アウターライズ地震は、いわゆる海溝型地震と「組」になって起きる。
 いわゆる海溝型地震(註)は、太平洋プレートが北米プレートの下に毎年潜り続けることによって、二つのプレートの境界が耐えられなくなって滑り、地震を起こすものだ。
 ◎ ところが、この海溝型地震が起きて境界が数メートル滑ったことによって、北米プレートが太平洋プレートの上に、その分だけのし上がることになる。つまり、北米プレートという重いものが太平洋プレートの上に乗っかったことになるのだ。
 そして、この重さに耐えられなくなった太平洋プレートがいずれ割れる、それがアウターライズ地震なのである。
 起きた場所は明治三陸地震よりは東側、つまり日本から遠かった。このため震度は小さかったのに大津波が来たと思われている。
 昭和三陸地震の大きさは、諸説あるがM8.4といわれている。津波の高さは29メートルに達した。
 死者1522名、行方不明1542名とされている。行方不明者が多かったのは津波の引き波によって沖にさらわれた人が多かったためだ。家屋も全壊だけで約7000棟に達した。
 ◎ 東北地方太平洋沖地震がいずれ、この種のアウターライズ地震を引き起こすのかどうか、いまの学問では分からない。だが地震が大きかっただけに、北米プレートがのしあがった量は、明治三陸地震のときよりは、ずっと多かった。将来のアウターライズ地震の可能性は、けして否定できないのだ。
 ◎ 昭和三陸地震は明治三陸地震の約40年後に起きた。しかし、40年というのは、たまたまの例である。もっと短いかも知れない。
   註)「海溝型地震」は学問的に言えば、「プレート境界地震」と「(海溝付近で起きる)プレート内地震」の二種類ある。起きる数からいえば、圧倒的に前者が多い。明治三陸地震は前者、昭和三陸地震は後者だ。なお、「プレート内地震」には中国内陸のような大陸プレートの内部で起きる地震も含まれるので、まぎらわしい。

.. 2016年03月18日 08:03   No.1028002
++ 島村英紀 (課長)…162回       
課題が残る災害救助犬と災害用ロボット
 |  「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」コラムその143
 └──── (地震学者)

  3月に発生した地震のなかには、東日本大震災の陰に隠れてしまったものがある。
 1927年3月7日に起きた北丹後地震。この地震はマグニチュード(M)は7.3。2925人の死者を出した直下型地震だ。1927年は昭和2年。昭和史の中で最初に登場した大事件だった。
 なかでも峰山町(現・京丹後市)では人口に対する死亡率は24%にも達した。これは類を見ない高い数字である。集落によっては家屋の倒壊率は70〜90%にも上った。
 峰山町のほか、兵庫県・豊岡町(現・豊岡市)、京都府・宮津町(現・宮津市)で震度6を記録した。被害が集中したのは丹後半島のつけ根にあたる約15キロ四方の範囲だった。なお、当時は震度6が最大震度だった。
 大阪でも大揺れだった。前にこの連載で書いたが、梅田の駅前にある阪急百貨店では客の食い逃げが莫大な額に達した。このため地震後に後払いをやめ、日本で初めての前金制の食券を取り入れた。
 89年目のさる8日に京都府・京丹後で災害警備訓練が行われた。この訓練にはNPO法人災害救助犬ネットワークも初参加した。
 参加した災害救助犬は2頭。兵庫県三木市と三重県菰野町から駆けつけた。そのうち1頭は2014年に起きた広島市の土砂災害で出動した犬だ。
 災害救助犬は警察犬とは違う。警察犬は犯人の遺留品などから犯人のにおいをおぼえて追いかけるものだ。
 これに対して災害救助犬は、不特定の行方不明者を捜す。瓦礫に埋まっている人間の呼気のにおいを感じて、吠えるなど、特定のアラート行動をするように訓練されている。
 訓練は地震に限らず、土砂崩れなどの災害、それに山や森林での行方不明者を捜索するために行われている。だが、警察犬が1万頭を超えるというのに、災害救助犬は日本全体で50頭あまりしかいない。
 有名な災害救助犬はスイスの山岳救助で使われてきたセントバーナード犬だ。
 バリー号という犬は、なだれに埋まるなどした40人以上の遭難者を雪から掘りだして救った。
 有名なのは、凍死寸前で眠っていた少年の上に覆いかぶさって自身の体温で少年を温めたあと、背中に少年を乗せて修道院まで運んだことだ。
 災害救助犬のほか、ロボットも災害救助に使われはじめた。しかし、階段を上ったり、人間が入れない隙間を動き回るロボットの動きはなんとも遅い。
 ロボットといえば、最近の失敗がある。この3月に、福島原発の原子炉の内部を調べるためのロボットが、たちまち動かなくなってしまった。放射線によって電子回路が破壊されたのだ。
 この点検用のロボットは、それぞれの原子炉建屋に合わせて設計・開発しなければならないものだ。これから単機能のロボットを開発するだけでも2年はかかるという。
 人間が行けないところに行くロボットの進歩は、まだまだ遅い。
 次の震災には、災害救助犬とロボット、どちらも活躍してほしいのだが。


.. 2016年03月24日 09:35   No.1028003
++ 島村英紀 (課長)…163回       
解明が急がれる“前震”のメカニズム
 |  “本震”来て初めて分かる“前震”
 |  「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」コラムその144
 └──── (地震学者)

  前回は1927年3月7日に起きた北丹後地震について書いたが、2011年の東日本大震災の陰に隠れてしまった3月に発生したもうひとつの大地震がある。
 その地震は「地震の前に潮が引いた」ことと「顕著な前震」があったことで知られている。
 日本海岸で起きた浜田地震。浜田県浜田町(現在の島根県浜田市)を襲った。
 起きたのは1872年(明治5年)3月14日。マグニチュード(M)は7.1。直下型地震で、犠牲者は約550人、家屋全壊は4500棟を超えた。当時の人口密度や家屋の数を考えれば、大変な被害だった。
 本震の数十分前から潮が引き、沖合300メートルのところにある鶴島まで海底が出た。このため、漁師が歩いていってアワビを手づかみにしたという言い伝えが残っている。
 その後本震が起き、大きな押し波が押し寄せた。
 地震後の調査から、この地震の本震は、横ずれ断層が起こした直下型地震だということが分かっている。だが、どう計算してみても、潮がこれほど引いたことが再現できないのだ。
 計算で再現できる「潮が引いている時間」は、どんな地震断層を仮定しても、せいぜい200秒。これでは漁師が歩いて行ってアワビを獲ることは出来まい。
 潮が引いたことは事実なのだろう。だが、なぜこれほど長時間、潮が引いたのかはナゾとして残っている。
 もうひとつ、この浜田地震の特徴は前震があったことだ。本震の半日ほど前から小さな地震があり、1時間前にはかなり大きな前震があった。ふだんから地震が少ない山陰地方なので、前震だと分かったのだ。
 この逆の例が、東日本大震災を起こした東北地方太平洋沖地震(M9.0)の2日前に起きた地震だ。Mは7.3。相当大きな地震で、青森県から福島県の太平洋沿岸に津波注意報が出た。岩手県大船渡で55センチの津波を観測し、宮城県栗原市では震度5弱、青森県から福島県の広い範囲で震度4の揺れも記録した。
 結果的には、この地震は東北地方太平洋沖地震の前震だった。
 ある新聞社に「これは前震では。いずれもっと大きな地震が来るのでは」と問われた東北大学の地震の教授は「前震ではない」と明言した。しかし2日後に「本震」が来てしまったのだ。
 地震学は「前震ではない」と明言できるレベルではない。正確な答えは「前震かどうか分からない」と言うべきであったのだ。
 東北地方沖ではよく地震が起きるので、このM7.3の地震を前震として認識することは出来なかったのである。
 昔から地震予知の手段として前震の認定が期待されてきている。だが、前震は「オレが前震だよ」といって起きてくれるわけではない。起きるのはほかの地震と区別がつかない「普通の」地震なのである。
 あとから「本震」が来たときに、前震だったと初めて分かることがほとんどだ。もちろん、単発の地震が起きて、その後になにも起きない、つまり前震ではなかったことも多いのである。


.. 2016年03月31日 08:28   No.1028004
++ 永山一美 (小学校中学年)…14回       
地震と原発、切っても切れない危険な間柄
 |  気負わず身近に語る場がたんぽぽ舎にはあります。
 |  《地震がよくわかる会に参加して》
 └────  (たんぽぽ舎ボランティア) 

 たんぽぽ舎の研究会・分科会の一つに地震がよくわかる会があります。前身は生越氏他皆さんを中心に《地震・環境・原発研究会》として、1995年に発生した阪神・淡路大震災を契機に発足され、現在まで100回の研究会と地震と原発をテーマに3回の全国集会を実施、断層地帯などへのフィールドワーク的現地ツアーも実施しました。
 現在は2ヶ月に1回程度開催、前回からの地震や原発の新聞切り抜きや持ち寄った情報を元に2時間ほど開催しています。
 年に1回ほど島村先生はじめ講師にお招きして講演会も開催できています。
 会費は参加ごとに当日会場費と資料費として800−1000円ほどです。

 講習会を受け身となり聞くのでもなく、何か発表を強制される事でもなく、今井会員を中心に持ち寄った情報で、当日いろいろ色々な意見を交換し、思い思いに思った事や感じた事を気取らず交流する場に変化をしつつあります。
 前身が《地震・環境・原発研究会》でもありますので、原発の情報が多めにはなってきますが、地震火山大国日本において、自然災害は原発とは切っても切れない間柄となって存在し続けます。
そこから脱原発環境への日々の活動の芽を見つけたり疑問を見つけたり、切り口を見つけたり、と一味違う研究会となっているような気がします。
 また、当研究会の報告サイトも今井会員により活発に更新されております。地震のデータベースや今まで開催した回の資料も随時アップされています。ぜひ、ぜひサイトへ足を運んで見てください!
   こちら (地震がよくわかる会でも検索できます)
 気になりましたら、ぜひ地震がよくわかる会へも参加してください!


.. 2016年04月04日 08:07   No.1028005
++ 島村英紀 (課長)…164回       
全国各地で危ぶまれる“ガラスの雨”
 |  ガラスの古い固定方法は“既存不適格”
 |  「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」コラムその145
 └──── (地震学者)

  起きた日時のおかげで被害が最小限に抑えられた地震がある。
 2005年3月20日に起きた福岡県西方沖地震。マグニチュード(M)7.0の直下型地震だった。福岡市などで約1万棟が損壊した。
 起きたのは午前11時前。春分の日の休日だった。福岡市中心部、天神(てんじん)のオフィス街の10階建てのビルで、窓ガラスの3割、440枚ものガラスが砕けて道に落ちた。付近はガラスの海になった。
 休日でなければ、サラリーマンなど多くの人々がこの道を歩いていた。また、平日の夜ならば、ここにいつも店を出している「天神の母」とよばれる占い師の前に行列が出来ていたところだ。休日の朝だったから大惨事を避けられたのだった。
 ふだんから有感地震(身体に感じる地震)が少なく、大地震はないと思われていた大都会、福岡を襲った大地震。震源は福岡のすぐ北西の海底だった。福岡周辺には大地震が起きた記録がない。つまり、この地震は日本史上、初めてこの辺に起きた大地震だった。
 震源に近い玄界島では住宅の半数が全壊して全島避難するなど、博多湾の沿岸地区で大きな被害が出た。
 福岡市の市街地ではマンションの地震保険が問題になった。
  マンション9棟が半壊、約100棟が一部損壊した。このとき問題になったのはマンションの共有部分が地震保険に加入していなかったので保険が下りなかったことだ。当時の福岡県のマンションは共有部分の地震保険加入率が2割しかなく、住民が負担せざるを得なかった。
 また、地震保険の被害の査定は「構造耐力上」主要な部分である柱や壁などだけしか対象にならない。このため地震保険に加入していても、非構造壁や廊下などに亀裂が入る被害だと支払ってもらえないことがあった。
 ところで、ガラスの雨を降らせたビルは西鉄本社ビルで、1961年に建った古いものだった。
 建築当時の工法では、ビルの窓ガラスを硬化性のパテで窓枠に固定してあった。このため、地震でビルが揺れたり変形すると、ガラスが割れてしまうことになったのだ。
 じつは1978年に起きた宮城県沖地震(M7.4)のときも仙台市内のビルからガラスの雨が降った。
 この教訓から、翌1979年に当時の建設省はガラスの固定方法を見直し、柔らかいシリコンゴムなど軟質素材のパテで固定するように規定を変えた。また近年では、割れても脱落しない「合わせガラス」を使っているビルも多い。
 しかし、この工法見直しはあくまで新築のビルが対象だ。
  2005年に国土交通省は全国の自治体に「1978年以前施工の3階建て以上で、中心市街地の避難道路などに面する建築物」を調査し改修などを指導する通知を出した。
  だが、まだ古いビルは多く残っている。ガラスの古い固定方法は「法律違反」ではなく「既存不適格」なのである。そのうえ「中心市街地の避難道路に面する建築物」以外はなんの指導もない。
  つまり、あちこちのビルでガラスの雨が降る可能性がいまでも残っているのだ。


.. 2016年04月05日 08:06   No.1028006
++ 島村英紀 (課長)…165回       
過疎地域を襲う直下型地震 地震が人口減少を加速
 |  「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」コラムその146
 └──── (地震学者)

 前回は都会での地震被害、ビルから降る「ガラスの雨」の話だった。
 しかし、地震は都会だけを襲うのではない。日本に多い過疎地域を襲う地震は、別の大きな問題を生じる。
◎ 能登半島地震。9年前の2007年3月末に起きたマグニチュード(M)6.9の地震だった。
 石川県の面積の半分は能登半島だが、半島部分に住む人口は県全体の11%しかない。被害の多かった2市2町の高齢者率は41%を超えていた。典型的な高齢化した過疎地を襲った地震だった。
 最大震度は「7に限りなく近い6強」だった。というのは、震度は震度計で観測した「計測震度」というものを四捨五入して、小数点以下を捨てて決める。
 この地震では石川県輪島市門前町に設置してあった震度計の指示は6.4だった。もしこれが6.5だったら、四捨五入で震度7といういちばん強い震度になるところだったからである。
 被害は1人が死亡、負傷者は全体で338人というものだったが、過疎地にとっては大被害だった。住宅は約2400棟が全半壊した。
 震度や損壊住宅の数に比べて死者数が少なかったのは、都会と違って隣近所のつきあいがよくて、ふだんから近所の助け合いがあったためだった。何時頃、どの家には誰が、どこにいるのか、お互いが知っていることは、一刻を争う人命救助にはなによりも必要だからである。
◎ 地震が起きたときにいちばん問題だったのは要援護者の避難や支援だった。
 自分では歩けない、あるいは歩けても健常者のように敏速には行動できない人たちは、地震で逃げ遅れる可能性が高い。
 だが、地震の後に、さらに大きな問題が生じた。健常者なら必要がない「福祉避難所」を設置しなければならなかったのである。
 そのうえ、応急仮設住宅も、要援護者の入居が想定されていなかったため、さまざまな問題を生じた。
◎ 2004年に起きた新潟県中越地震(M6.8)では地震による直接の死者は16名だったのに、地震後の避難生活で亡くなった人は50人を超え、はるかに多かった。「地震後」の問題は大きいのだ。
 能登半島地震の被災地では人口が目に見えて減っている。
 この地震だけではない。2011年3月に起きた長野県北部地震(M6.7)で被害が集中した長野県下水内郡栄村も同じ問題に直面している。
 新潟県中越地震で大被害を受けた山古志村(現新潟県長岡市)でも人口は減少している。しかも流出した人たちは子育て世代以下の年齢層に多く、それが過疎化に拍車をかけている。
◎ 地震の前に、すでに過疎だったり限界集落だったりしたところでは、地震が人口減少を加速してしまった。地震がトドメをさしてしまうことにもなりかねない。
 過疎地を襲う内陸直下型地震。日本のどこにでも起きる可能性があるのだ。

.. 2016年04月13日 07:59   No.1028007
++ 柳田 真 (平社員)…136回       
熊本地震・大分地震 自然エネルギーのすさまじさ
 |  震度7(M6.5)に続き本震(M7.3)が発生さらに大分地震(M5.3)
 |  原発をやめよ−自然からの最後の警告ととらえたい
 |  原発(川内や伊方)にふれないNHK報道は英BBCと大違い
 └──── (たんぽぽ舎)

◯ 熊本県、大分県で地震が拡大している。14日(木)21:26発生の熊本地震(M6.5、5年前発生の東日本大震災以来の震度7)が実は前震で、16日(土)01:25発生の地震が本震(M7.3、震度6強)にビックリ。16日(土)大分県中部の地震(M5.3、震度5弱)もつづいた。自然エネルギーのすさまじさを痛切にかんじる。

◯ たんぽぽ舎でたびたび地震の講演をいただいている島村英紀氏(武蔵野学院大特任教授)の言葉はさらに注目される。中央構造線による巨大地震だ。伊方原発が心配だと。要旨は下記「■5.新聞より・夕刊フジ」を参照して下さい。

◯ 熊本地震・大分地震は「原発をやめよ」という自然からの最後の警告かもしれない。
 NHKは、原発(川内や伊方)に全くふれない報道だ。原子力規制委員会もおかしい。
 英国BBC放送は、九州で地震発生の報道のすぐあとに「原発は大丈夫か?」と報道している。これが当たり前の報道だ

.. 2016年04月18日 08:44   No.1028008
++ 木村雅英 (平社員)…141回       
1580ガル「熊本大地震」でも川内原発を止めない原子力規制委員会!
 |  川内も伊方も玄海、原発の危険性(安全性)に頬かむり
 |  原子力規制委員会は原発再稼働推進委員会!その91
 └──── (再稼働阻止全国ネットワーク)

  熊本・大分連続大地震(地震回数400回以上)で41名の方が亡くなり、19万人以上の人が避難している。大自然の恐ろしさを再認識させられた。
 4月14日夜の熊本地震の揺れは、震度7を観測した熊本県益城町で最大加速度1580ガルを記録、1995年の阪神淡路大震災の891ガルを大きく上回ったことが防災科学技術研究所(茨城県つくば市)の地震波の解析でわかった。5年前の東京電力福島第一原発事故の記憶を持つ世界中の誰もが心配したことは、稼働している川内原発1,2号機は大丈夫だろうか?だ。
 にもかかわらず、原子力規制委員会は地震後半日以上何も発表しなかった。
  15日に菅官房長官から「原発情報発信不十分」と指摘されてやっとホームページに「熊本県で発生した地震による原子力施設への影響について」を発表した。
 施設内で計測した揺れは数ガルで原子炉自動停止設定値(水平160ガル、鉛直80ガル)を下回る、と。
  今後は、立地自治体の周辺で地震が起こった場合にも一般国民に分かり易い情報提供をするそうだが、何とも情けない対応だ。これでは国民の命と健康と環境を守れない。
 それ以上に大問題なのは、隣の県で3日間も続いた大地震でも川内原発を止めなかったことだ。基準地震動620ガルの3倍以上の最大加速度1580ガルの地震が隣の県で起こり、それが連続していたのにもかかわらず、川内原発を止めなかった。
 合理性を欠く「新規制基準」で違法の審査で合格させた川内原発には当初建設を約束していた免震棟も建てない。危険この上ない川内原発で、直ちに停止しないといつ大惨事を招くか分からない。
  今後は、「専門的知見を最大限尊重して」との官邸の指示を受けて、「科学的・技術的」と称して「政治的」に安全・安心を鼓舞するのであろう。
  こんな状況で直ちに川内原発を止めない原子力規制委員会を誰が信じようか!


.. 2016年04月19日 08:16   No.1028009
++ 木原壯林 (小学校高学年)…25回       
大地震でも原発を止めない九電、規制委、政府を許してはならない
 |  地震が沈静化するまで原子炉を止め万一に備えて原発を
 |  安全な状態に保って事態の推移を注視することは最低の義務
 └──── (若狭の原発を考える会)

◯ 熊本、大分を中心とする大地震で亡くなられた方、ご遺族に哀悼の意を表します。また、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

◯ 今回の大地震は、地震予知の難しさを改めて確認させました。また、この大地震は、1580ガルという地震動が現実に起こり得ることを示しました。
 さらに、熊本から始まった地震は、北東は大分から愛媛方面に向かう一方、南にも拡大しつつあり、一つの断層での地震が他の断層での地震を誘発することを、再確認させました。この地震が、川内原発や伊方原発付近の断層を活性化させないとは限りません。
 薩摩川内市では震度4を記録し、しかも、震源が南下していると報道されているにも拘わらず、九電、政府、原子力規制委員会は川内原発を止めようとはしません。
 このような場合、地震が沈静化するまで原子炉を止め、万一に備えて原発を安全な状態に保って、事態の推移を注視することは、最低の義務です。
 原子力規制委員会の規制基準適合審査でも、火山についてではあるが、モニタリングして対応するとしている。それにも拘らず、田中規制委員長は、4月18日「川内原発の停止は不要」と発言しました。
 これは、脱原発を願う人々への、電力会社、政府、原子力規制委員会の挑戦です。彼らは、震度4程度は、大丈夫だと国民に思い込ませ、大津地裁のような判断があっても、意にも介していないことを示して、国民に無力感を与えるようとしているのです。許してはなりません。

◯もう一つ許せないのは、被災地の救援にオスプレーを派遣したことです。災害の救援に使える通常ヘリコプターはいくらでもあります。これも、オスプレー配備に反対し、戦争に反対する人々への安倍政権の挑戦です。彼らは、オスプレーを国民に認知させ、その配備に反対する人々に脱力感を与えようとしているのです。許してはなりません。
 原発全廃のうねりをさらに大きくしましょう。
 4月26日(木)、滋賀県北部の高島市で、アメーバデモを行います。
 多数のご参加をお願いします。

◯追伸:18日の京都新聞朝刊に、勇気ある素晴らしい記者の声が掲載されました。
 大津地裁の仮処分決定に対して、関西経済同友会の角副会長が「なぜ一地裁の一裁判長によって、国のエネルギー政策に支障をきたすことが起こるのか」と三権分立を根底から揺るがしかねない発言をしたことに対して、「なぜ一経済団体の一役員に、国民の幸福を追求する権利や、裁判に訴える権利を否定されなければならないのか」と述べている。

.. 2016年04月20日 07:46   No.1028010


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