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飯舘村シンポ 被曝「県民だけ20ミリシーベルトか」 復興「自分 帰っても息子は…」「それぞれの選択に東電責任」
福島原発事故で29日、東京電力の旧経営陣3人が検察審査会の議決に基づき、業務上過失致死傷罪で強制起訴された。この2日前、事故で全村避難を強いられている福島県飯舘村の再建と復興をテーマに福島市でシンポジウムが開かれた。同村の放射能汚染調査を続ける京都大原子炉実験所の今中哲二助教らの「飯舘村放射能エコロジー研究会(IISORA)」が主催。事故から5年、帰還をめぐり、熱い議論が交わされた。(中山洋子) 「全村避難のとき1年生だった子が6年生。これだけの時間、先の見えない避難を強いられてきた」 27日に福島市で開かれたシンポジウム。IISORAの世話人の1人で、環境ジャーナリストの小沢祥司さんはそう切り出した。約210人の参加者には、避難生活を送る村民の姿も目立った。 復興をうたう国の方針に従い、村も来年3月までに放射線量の高い帰還困線区域を除き、避難指示解除の方向で動いている。 シンポジウムでは、村の放射能汚染の実態や避難生活の苦悩、復興のあり方など多岐にわたる「5年目の課題」が話し合われた。 まず、京都大原子炉実験所の今中助教(原子力工学)が事故直後から続ける汚染調査について報告。初めて調査に入った2011年3月28日の汚染のひどさについて「研究者でも、こんな高いとこにいたくないレベル。その線量下で村民たちが暮らしていた」と振り返った。 採取した土を分析し、福島第一原発の4号機が爆発した15日の放射線量を逆算すると、1時間当たり150〜200マイクロシーベルトにもなったという。「原子炉だけではなく、原子力防災システムもメルトダウン(炉心溶融)していたようだ」 昨年3月の時点で、住宅地の放射線量は13年8月から比べ、自然減衰効果もあり、3分の1〜4分の1に減っている。だが、今中助教は「50年後、100年後を考えて汚染に向き合う必要がある」と指摘した。 (後略) (朝刊26-27面「こちら特報部」より抜粋)
.. 2016年03月07日 08:35 No.1022001
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