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印象ののこった箇所。 「イギリスは海において、フランスは陸において、それぞれ暴力国であって、大陸の民族や国家を思いのままに弄んだ。一七九二年から一八一五年までの戦争中に、国際法はほとんど無に帰したのである。 イギリスとロシアのクリミア戦争当時には、鯨と熊の争闘という比喩が語られたものであるが、革命戦争には鮫と虎の争闘図の方がもっと恰好である。何故というならば、イギリスとフランスという敵対者が、互いに暴行をもって争って、いずれも自己の得意によって暴力を行使した。虎が海上に躍り出ようとすれば波に溺れる。しかし、同じような破滅は、海からあがりさえすれば、忽ち鮫をも襲うのである。イギリス人の大陸上陸企図は同盟者なしに企てられると、必ず失敗に終わった。」 「虎と鮫が、戦争の経過につれて覇権を分け合った。一切の国家が欲すると否とにかかわらず、混沌にひきこまれた。中立性は全然問題にならないで、期待も静観も全く役立たなかった。小国に禍あれ、弱国に禍あれ、中立国に禍あれーこれが二三ヶ年の戦争期の本来の合言葉であった。」 これが二百年前だ。それから百年して第一次欧州大戦があった。さすがに惨害がひどかったので、平和への希望が大きくなったようだ。第二次欧州大戦(第二次世界大戦)では、チャーチル等は戦争をなくするための戦争などと言っている。そうほんとに思っていたかもしれないが、どこかウソがある。 時代は進歩したと言っても、どうかすると変態の逆もどりがあるかもしれない。弱小国に禍あれというような行動をしないのが、本来の日本だが、それには国民の自覚と努力が必要だ。
.. 2007年09月14日 21:34 No.102005
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