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■--終戦関連で新規スレ
++ 多足          

原爆関連とはまた違った形で、「終戦」の機会について考えてみましょうか。
第二次世界大戦の、日本にとっての「終戦」の機会はどれだけあったのか、個人的な見解をば。

@1941年12月
真珠湾攻撃

A1943年9月
同盟国イタリアの降伏

B1944年6月
マリアナ失陥

C1944年10月
フィリピン失陥

D1945年6月
ドイツ降伏、沖縄失陥

E1945年8月
原爆投下、ソ連参戦

F1945年10月
北海道失陥、九州に連合軍上陸

G1945年12月
関東に連合軍上陸

以上で検討してみると…
@はまあ、日本はそれを狙ってたわけだけど、国際社会ってものへの見通しが異常に甘い、独り善がりなプランなんでここで終戦は在り得ませんね。

A。すでにミッドウェーやソロモンで大打撃を受けた後で、「戦争に勝つ」って目が無くなってきた時期。しかし陸軍も結構元気なこの状況、講和への最大の障害は日本国民そのもの。やっぱ難しいか。

B。守り勝つ、という目標の絶対国防圏。これがあっさり破れたわけで、新しい戦略を考える必要に迫られた時期。もう、「勝利」は100%不可能。いかに講和するか。
ただ、再建したつもりだった兵力を一気に失った戦いとは言え、敗北を認めるには不十分なものだったとも言えるのがなんとも困った国民性でして。まだ「本土」を失ってないからなあ。
しかしマリアナ諸島での戦況を真面目に分析すれば、もう勝ち目は無いってわかるわけで。国民を説得できれば、講和の可能性も無きにしも非ず、といった所か?

C。敵に大打撃を与え、講和の条件を少しでも良くするための「決戦」を行い、その後講和。
講和の現実性が高いラインかと。まあ基本的にはマリアナと同じで「日本海海戦の夢よ、もう一度」って願望が強いですね。ここでもやはり相手の力を過小評価して、願望に縋ってます。台湾沖航空戦の戦果から、捷号決戦を早めるとかもう… 冷静さが無さ過ぎでしょう。
でも、ここが現実的に敗北を認め講和を行う、という一番良いラインなんじゃないかと思えるんですよ。しかしここで障害となるのは陸軍か。陸軍だって補給できなくてもう勝てない状況なのに、そこに気がついてないからなあ…

D。本土である沖縄の失陥と、世界中が敵になった瞬間。それこそ宇宙人がアメリカに攻め込むとか、隕石が連合国にピンポイントで落ちるとか無い限り日本の勝利、ってか有利な講和なんて望めない状況。「戦争の負け方」が考えられず、国家国民がパニックになってる段階。何が8月まで日本を支えていたのか。もう、考える能力を失っていたのではないかな。

E。色々手遅れだったよね。

F、G。とは言え、ここまで手遅れでは無かったか?
論外ですが。
.. 2011年08月11日 08:17   No.761001

++ 多足       
長いんで分割。

戦争をどの段階で終わらせるか、というものを考えるなら、この戦争の目的を考える必要があります。
国家としての自立を目的をするなら、Bの段階で負けを認めないといけないんだけど、日本の海外権益のほとんどを手放す必要があるでしょう。国民が賢ければ、そこからの再建というか国際的な立ち回りって話にもなるだろうけど、現実問題としてなあ。
Cの段階で、もうボロ負けですよって国民に周知させるしか無かったのかも。はっきり言ってフィリピン戦で、日本の最後の戦略が破綻してます。ペリリューや硫黄島でどれだけ頑張った所で、海の向こうにいる日本軍を支えることは出来ないのです。時間稼ぎにしかならないし、その稼いだ時間で、何を目的に何をするのかって話が続きません。もう、「目的」が敗北しか無いから。
結局、史実どおりのEのタイミングは、手遅れだったわけです。CかDで降伏していれば、「戦後」は日本にとってもっと有利なものだったでしょう。東アジアにおいて朝鮮戦争以上の戦争が起きるでしょうが、日本にとっては「まだマシ」なレベルでしょう。

とまあ、後知恵ながらもこんな感じ。自分の感覚だと、1944年末に降伏、ってのが可能性のある範囲で一番マシなんじゃないかな、と。

.. 2011年08月11日 08:18   No.761002
++ つかじ       
自分も44年内が限界では無いか?と思います。
45年はもうジリ貧過ぎてて、お話にならない。
43年だと中途半端に戦力もあるし。

やはり、中部太平洋を失陥した後の爆撃が、死傷者の増加に繋がってますしね。また問題なのが。
やはり政治機構が機能している様で、して無いってのが一番のネックでしょうね。だからマスコミも機能しないですしね。
(してた記憶も無いですがw)

.. 2011年08月11日 12:07   No.761003
++ カン       
私見を述べさせていただきます。
当時の政治形態では、史実通りの結果にしかならなかったと思います。
大日本帝国憲法下では女性に参政権はありませんでしたし、男性も一部の裕福層にしか与えられていなかったはず。つまり権益を手放したくない人たちだけが国政に参加していたので、戦局が極端に悪化しないと駄目だったのではないかと。天皇陛下は神様、と教育されていた国民は基本的に体制に従っていたでしょうけれども。
あと、マスコミは政府のちょうちん持ちにしかならなかったし、体制側も秘密警察を駆使して戦争を続行していたわけで、良心的な人たちの意見は圧殺されていたと思うんですよ。それこそイージス艦がタイムスリップするとかしてくれなければw史実は変わりようがなかったのでは、と考えます。

.. 2011年08月11日 19:12   No.761004
++ 多足       
決定的な外圧が無い限り終戦にならずズルズル行ってしまう、ってのがありますからねえ。本土決戦に破れるってのは決定的なんですが、その前に終われてよかったというか。沖縄で終われなかった、さらに言えばフィリピンで決戦計画が破綻した段階で終われなかった、というのが実に非論理的というか、現実が見えてなかったというか。まあアメリカ側も本土上陸を覚悟してたのもあったとは思うんで、戦争の終わらせ方ってのはホント難しいものです。
ただ、参政権云々の話はむしろ開戦を止めれたか否か、って部分で大きく影響しそうですね。マスコミの話もそうかな。

さあ、「日本を降伏に追い込んだ決定的な外圧」として原爆投下の正当性を認めることは出来るかな?
アレが決定打となったから本土決戦は起こらなかった、というのは完全にアメリカの理論ですが。

.. 2011年08月12日 12:14   No.761005
++ カン       
テレビ番組とかいろいろ見て思ったんですが、原爆が決定的要因ではなかったにせよ、敗戦を受け入れるいくつかの要因のひとつとは言えるのではないか、と(まわりくどくてすみません(汗)
東京や京都に落とされたら、と考えた人は(天皇を含めて)多かったのではないかと。

竹ヤリで鬼畜米英と刺し違える、と考えることのできた当時の人々は、そこまで追い込まれないと駄目だったんでしょうね(絶対無理、と考える人も当然いたわけですが)。

.. 2011年08月16日 06:24   No.761006
++ 多足       
原爆ほど威力のある兵器の真価は、「戦争を終わらせる兵器」ではなく「戦争を始めさせない兵器」としての位置なんですよね。核兵器保有国同士のガチな戦争が起こってない現状、「狂気の上の平和」は果たせたわけで。もしDとかの段階で日本が降伏してたら、1950年代に東アジアかヨーロッパの紛争で大規模に使用された可能性があると思ってます。

日本を降伏に追い込んだ兵器として原爆とB29は有名ですが、実質的にはガトー級潜水艦がもう、日本の首を絞めまくってたと思います。でも目に見えにくい形だったんで、我慢強いというか麻痺してしまう日本人には決定打にならなかったのかも。

ちなみに竹槍訓練は、撃墜された米軍機から脱出した米兵を倒すための訓練ですので。下手したらピストル持ってるわけだからねえ、パイロットも。訓練しとかないと大変でございます。

.. 2011年08月16日 20:14   No.761007


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