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さて、戦争談義再開です。 前回は徴兵制度に関して話を進めましたが、今回は民間人の犠牲について話を進めてみたいと思います。 まず、前提となること。戦争は、誰がやるのか? それはズバリ、政府がやるわけです。軍隊か勝手にやるわけではありません。で、政府ってのは国民の代表です。つまり、国民が戦争を始めるのです。「国民主権」って概念が明確になった近代国家において、戦争の責任は国民自身にある、ということ。「政府の嘘に騙された」とかいう言い訳は、少々見苦しいものがあります。誰が選んだ政府だよ、って話。 結局のところ、戦争遂行の目的ってのは「外交の延長」である以上、なんらかの国益を守るため、権益を拡大するために行われるわけですが、その国益、権益を得るのが一部特別階級であり、その特別階級が国民を騙しているって考え方は一面の真理かもしれません。が、少々無責任な言であるともいえます。平穏な日々を与えられていると気がつきにくいものですが、国民ってのは国家が得た権益のおこぼれにあずかってるようなものです。治安、インフラという形で。政府無しでそれらが維持できるか? 無理でしょ。で、政策や運営に不満があるというのなら、積極的に行動を起こさなければいけないのです。少なくとも、選挙権を行使することなく文句垂れるのはお門違いです。「よくわからんけど有名人だから投票する」みたいな、いいかげんなイメージで投票した結果、自らの生活が苦しくなるというならそれは自業自得ってものです。ちゃんと考えて投票しろってのはそういうこと。選挙権以上のものを求めるというのなら、それは革命を考える必要があるでしょう。
で、この選挙権ってヤツ。最近この掲示板でも話が出たと思いますが、結局これを市民が得るきっかけは戦争だったってこと。戦って勝ち取った権利なわけです。直接的には、戦争で兵士として戦った結果。間接的には、戦争遂行のための協力を行った結果。 で、国民が戦争以外のことを重視したいから、国民に選ばれた政府が、徴兵ってものを実施し続けるのが困難になる。国民が対外的な武力闘争を重視するなら、徴兵制度という選択肢にも理解が得られる。国民主権の戦争ってのは、そういうことです。
.. 2010年03月26日 08:43 No.678001
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