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「近代戦」について考えるスレを立てようとしたまでは良かったんですが… なんか、話が膨らみ過ぎる、というかちっともまとまらないんで困り果ててました。でもなんとか開始してみます。さあ、どこまで話が膨らみ、脱線するか。
近代戦ってのはつまり、効率的に敵を無力化する戦争のことだと思います。効率よく敵を無力化するために必要なもの。それは、敵を無力化する兵器、それを運用する陣形などの戦術、効率良く戦うための補給や情報収集といった支援システム、それらを支える国内のインフラ整備、そして戦争目的を納得させ国民の協力を得る政治。これら全てがそろわないと、円滑な戦争遂行は困難でしょうね。 で、戦争反対の材料に使われるモノとして、民間人の被害って話と、徴兵制度ってものがあります。まず徴兵制度に関してなんですが、これは現状の近代戦においてあまり意味を成さないものとなってます。この歴史を振り返るとなかなか面白いものでして。 まず、銃のように、取り扱い方法の習得が容易な武器が普及することで、戦いの専門家でなくても戦力となることが出来るようになりました。結果徴兵ってものが有効になるわけです。 ところが、より高度な戦術を駆使して戦うことが求められ、日々訓練を積んだ専門家でないと有効な戦力と見なされなくなるに至り、徴兵ってものの有効性が薄れています。単純に数で押す、というだけの戦い方では勝てない、という実例が多数あるわけで。 20世紀の戦争を振り返ってもこの実例は多数ありますが、よくよく考えるとより古代、極端な話紀元前の戦争見ても、時々こういう事例が見られます。つまり、専門家の軍隊でないと戦いに勝てない、という事例が。 また、技術史的に見れば、その逆の事例もまた出てくるわけでして。つまり、兵器性能が極端に上がることで、戦いの専門家でなくても旧式兵器を扱う軍隊を凌駕する、という事例も。 と考えれば、徴兵が有効って時期と、効果薄いって時期が歴史上交互に繰り返されてるんじゃないかな、と思った次第。で、現代は「徴兵って有効では無い」って時期になってるんじゃないかな。
ちなみに、徴兵云々の話で無視してはいけないのが、徴兵される民間人が、ただの民間人である場合と、そうでない場合があるって話。基本的な武器の扱いを知ってる民間人を徴兵した場合と、ずぶの素人を徴兵した場合では結果が違うってのは明らかですね。戦いの基本を押さえた民間人が多い国では、また違った形で徴兵制度の有効性を評価するべきなのかもしれません。日本で言えば予備自衛官がこれにあたるかな。この体制を維持するには国民の理解が必須であり、また、結局のところ予備自衛官も「徴兵」ではなく「志願」なわけで。「学校の体育の授業が軍隊の基礎訓練だった」的な状況は、それだけその国が戦争に向けて本気、ってことですね。つまるところ、徴兵制度ってのは社会に与える影響が非常に大きい。常に戦争の可能性が高い国なら、初等教育から兵役に向けた訓練をするでしょうが、それに割かれる労力が大き過ぎて、他のことが出来なくなる可能性がありますよね。 つまり、政治が明確に「こういう目的を、戦うことで達成する」って姿勢を示す必要があるわけです。今の先進国に向いてないシステムですよね?
…ああ、やっぱ凄く長い話になりそうw
.. 2010年03月20日 14:09 No.676001
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