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■--戦争談義の番外編?
++ 多足          

さて、原稿も一段落つき、余裕も多少出てきたんで再開してみようかと思います、戦争話を。
と言っても前回までにどういう話が出たのかもう覚えてないし、過去ログ探すのも一苦労なわけで。
なので、ちょっと違った方向から話を再開したいと思います。それは、「愛国心」というものについて。あと民族主義、国家主義とも訳される「ナショナリズム」に関しても。
日本ほど「愛国心」という言葉が嫌われる国も珍しいのではないでしょうか。この言葉を使うとすぐに、偏狭なものの考え方だ、軍靴の音が、この右翼め! みたいな脊髄反射的な反応が返ってきますね、特に教育現場で。
さて、この愛国心とやら、何が良くて何が悪いんでしょうね?
自分の考え方だと、ナショナリズムも愛国心も、別に悪くは無い、むしろ良いモノだと思ってます。ただ、何が良いやら悪いやら、その点を考えずに反射的に反応することこそが最悪なのでは。愛国心が強いと軍国主義者なのか? 愛国心が弱いと売国奴なのか? その辺のレッテル貼りをする前に、ちゃんと自分の頭を使って考えてから結論を出しましょう。

で、愛国心なんですが、これは簡単に言ってしまえば「帰属意識」なのではないでしょうか。ある集団に自分が属している、という意識からくる連帯感、責任感、優越感、劣等感。この、帰属意識の対象となる「集団」が、国家という単位だということでしょう。乱暴に言ってしまえば、家族愛も母校がどうのって意識もファシズムもナショナリズムも、この帰属意識の対象となる集団が何であるか、ということでしか無いのでは。
ある集団に属しているから、自分自身のことでは無い事柄に対しても、優越感を感じることもある。その集団のために、自分自身が動くことで何か役割を果たすという責任感を持つことが出来る。自分自身が貶されたわけでも無いのに、所属する集団の一員、または集団そのものを貶されたら憤慨する。
自身の事では無いのに、まるで自身のことのように受け止める。これが帰属意識ではないでしょうか。
帰属意識により、自分勝手な行動の弊害を実感することも出来るだろうし、責任感を持つことも出来るでしょう。
帰属意識ってものが弱いと、自分勝手な行動を何とも思わない、他人のことを考えようとしない人間に育ってしまうと思います。無関心、わがまま、無責任。これらの一因として、帰属意識の弱さってのがあると思います。
.. 2010年03月09日 10:54   No.671001

++ 多足       
さて、「愛国心」を「帰属意識」と見て、その良いところを挙げてみたわけですが、今度はその悪いところを考えてみましょう。
これは単純な話で、その所属する集団の正当性があるかどうか、という話。
ある集団に所属し、その集団のためなら自己犠牲も厭わない。でもその所属してる「集団」ってのが、詐欺師だったり暴走族みたいな無法者だったりした場合は? 所属している集団の目的、行為に正当性がなければ、そこに対する帰属意識ってのは迷惑極まりないモノになります。…まあ、ヘンな形で責任感とかが育ったりはしますが。

つまるところ、その国家が目標としているものが何なのか、どのような方法でその目標に向かうのか。それをしっかり見据え、考える必要があるってことです。
その国が、愛し、守る価値があるのか? それを考えないといけないのです。しかし、実際のところ「愛国心」というものが声高らかに叫ばれる時ってのは、その国家の正当性に関する議論はされないもの。しばしば、「国を愛するのは当たり前」という前提で話が進みます。これがいけない。
選択肢を奪い、議論を打ち切る材料として、まさに「錦の御旗」として「愛国心」という概念を持ち出してしまう。戦時中に顕著になることです。個人の犠牲を、全体の為として問答無用で許容させてしまう。そこに冷静さなど皆無で、視野を極端に狭めてしまう。思考停止のお題目にされてしまうわけです、愛国心が。
アレだ、自分がオリンピックをはじめとする各種国際スポーツ大会が嫌いな理由が、ここにあるんですよ。「愛国心」って言葉は使われないけど、日本選手だから応援して当然! 勝ちを信じて当然! って流れが大嫌い。応援までは良いよ。でも、なんでその選手の実力を無視してまで、耳に聞こえの良い「予想」を並べないといかんのよ。そんなのは「願望」というか「妄想」だ。
ぶっちゃけ、戦争中の国家ってのは、このオリンピック時と同じような「客観的モノの考え方の欠落」が起こりやすいです。そこで「愛国心」ってものが叫ばれる。これが最悪だよなー。

.. 2010年03月09日 11:14   No.671002
++ 多足       
追加で重要な点を一つ。

愛国心に限らず、帰属意識というものに関して重要なポイント。それは、集団の中でそのリーダー格となる立場の者、群れを率いる者、そのリーダーの周辺で、リーダーを補佐する者達。この人達こそ、しっかりと帰属意識を持たなければならない、ということです。
帰属意識を建前に、下に負担を強いるならば、自らもその負担を背負わなければならないし、それによって得た利益は、下に還元しなければならない。でないと、集団全体にとって碌な事にならん、ということです。上が腐っても下が腐っても組織はダメになるけども、「上」の人間は「下」の人間に命令できる以上、その責任感というものを強く持たなければならない、というお話。

映画『ランボー2』の名セリフ、「我々が国を愛するように、国も我々を愛して欲しい!」。しっかりとした愛国者が国をまわすのならば、国民を愛することが出来ているハズですね。
…『ランボー2』はこのセリフのおかげで、個人的に評価があんまし下がってないんだよなあw

.. 2010年03月09日 11:33   No.671003
++ つかじ       
広い意味では「愛国心」。身近な物でも「郷土愛」ってのもありますね。

この「○○愛」ってのは、何のジャンルにしても「適度の物なら喜ばれる」けど行き過ぎだと「痛い・怖い」に映りますからね。

今回は「愛国心」ですが、この愛国心もどこまでどう教えるか?ってが非常に大切だと思います。
僕は何だかんだ言ってもやっぱり、日本が好きだし日本が悪く言われれば多足さんが指摘された通り「嫌な気分」になるし、「もっと知って欲しいなぁ」と感じもします。多分、こんな簡単な物(感情)でも本来なら十分だと思ってます。

なので、自分自身では「愛国心」は多少なりとも持っているとは思って居ます。でも、その為に何かするのか?と言われると、何も出来ない自分が居ます(恥)

日本は昔「愛国心」が都合のよい洗脳手段に使われてますし。戦後はすべてを否定する事からスタートしてますから、どうしても「色眼鏡」で考えてしまうのでしょうね。

個人的には国家の愛よりも先に、人に対する愛とかを低学年の内に何とかした方が良いと最近考える様になってます。

.. 2010年03月09日 13:19   No.671004
++ カン       
愛国心ですか。自分は否定的に考えています。もともとユートピアンなので(しつこいかな?)パワー(権力)に対して反感を持っていまして、国家というものが支配階級に都合良くできているということがわかってきたもので…多足様の指摘するように、日本では第二次大戦時に思考停止の呪文に使われていましたし(愛国心がない=非国民)。
また愛国心の対象である「国家」も、うさんくさいものだと感じています。北や中共が極端な例でしょうか。じゃあ各民族が独立すれば良いのかといえば、そうとも言い切れないようですし…現状では、自分の中で考えがまとまっていません。
現在の日本については、庶民の横並び意識の強さと、近視眼的な利益しか考えない支配者層に対して嫌気が指しているので、愛することができないでいます。少しずつ良くして行くしかないのでしょうが、どうやったら変わるのかは、正直わからないです。

.. 2010年03月10日 01:35   No.671005
++ 多足       
愛国心に否定的なのとユートピアンであるってことは、相反することでは無いでしょ。支配層がしっかりとした意識を持っていれば、下から搾取するばかりでは組織そのものが崩壊するってことに思い至るものです。つまり、搾取することしか考えてない支配層は、目先の事しか考える脳を持たないわけでして。彼らも思考停止してるわけです。
その組織を維持、発展させるためには何が必要か、ということを考える力を持ち、責任意識を持った者達が国家を運営すればいい、といだけの話。つまるところ、カンさんの期待に、国家を運営する側が応えれて無い、ということではないでしょうか。つかじさんが指摘するように、「郷土愛」ってものを考えると良いのではないかと。日本の風景、風習に好きな部分がある。もう、それが十分「愛国心」の根拠になり得るわけでして。
日本の政治家を好きになれなくても、日本の風景、風習を好きになることは出来ると思いますが、いかがか?

.. 2010年03月10日 08:02   No.671006
++ カン       
当然自分も日本人ですから、横並びは意識しますし近視眼的なのはデフォルトです(他の方にケンカ売ってしまってますね(汗))
遵法意識の高さによる治安の良さとか、事を荒立てようとせずに丸く納めようとする傾向とか、良い面も当然あると思います(反対の面はお上に逆らわないとか、事なかれ主義になるんでしょうか)。
日本語しか読む事も話す事もできませませんし、サブカルチャーは大好きですし(笑)
風景・風習も好きな方ですが、コンクリートで固めたがる傾向は好きではないです。牧歌的な風景も裏ではけっこう、じめっとしてたりしますしね。
支配階級は、時間の経過とともに堕落するようです。かつての武士階級も、誇りや矜持があったかもしれませんが、鼻持ちならない選民意識にすり替わった場合が多かったようで。

支離滅裂ですみません(大汗)

.. 2010年03月10日 22:25   No.671007
++ 多足       
日本のこういう部分が好き、という心は愛国心の一部です。また、「もうやだこんな国」って思う感覚も、一種愛国心なわけでして。執着、ですね。「愛国心」ってのは非常に広い概念ですから、定義付けはかなり難しいかもしれません。自分としては、もっと身近に、気楽に考えて良いと思うんですよ。その点、つかじさんが挙げたように、身近な他人に対する愛ってもの、つまり他人のことを考える思いやり、というものと考えればいんじゃないかな。

支配階級の選民意識ってのは判断が難しいところでして。「支配層」と「被支配層」に極端に分けた場合、支配層は「口で言っても理解出来ない馬鹿どもは、我々が引っ張らないと何も出来ない。そのくせ要求することばかり一人前」って思うし、被支配層は「支配階級どもは自分が楽することしか考えてない。富を独占しやがって」と考えるわけでして。双方の言い分は結構理解できるんですが、その利害調整となると個々の事例で条件が違うんで難しいことこの上ない。ヨシップ・チトーって凄いな。
説明能力と教育。これが重要になってきます。で、帰属意識という「他人のことを考える心」がしっかり働かないと、これも上手くいかないでしょう。

.. 2010年03月11日 08:01   No.671008
++ カン       
愛情の反対は憎しみでは無く、無関心だということですからね。ちょっと違うかな?とりあえず、「もうやだ」とは思っていませんよ。

かつての武家社会では、武士の中にも家格があって、実力がなくても高い地位に上っていたらしいですね(時代小説とか「おーい龍馬」が情報源w)。日本の科挙と言われる国家一種試験を突破した方々は、実力はあるのでしょうが、人間的にどうよ、と考えてしまいます。
軍人恩給が、かなり手厚く支給されていたとの話を聞いてwikiを見てみたら、公務員も恩給制度の対象だと知りました。一方で外国籍の軍属に対しては何も与えないらしく、裁判の記事を目にしますね。文献をあたってみたいと考えています。

.. 2010年03月12日 19:56   No.671009
++ 多足       
愛情の反対は無関心。ええ、ホントその通りだと思います。興味がなくなると、ホントそのことについて考えることが無くなりますからね。

ちょっと気になるのが、カンさんは官僚や公務員に対して持つ印象が、少々ステレオタイプなものになってるんじゃないか、と感じさせられる部分が見受けられますね。なんらかの理想を持ち、情熱を持って官僚や公務員になった人も少なからずいるわけですが、腐っていく人もいるわけで。彼らがなぜ腐ったのか。彼らの立場で考えてみるのも重要です。「腐敗官僚」「金の亡者」と切り捨てるのは簡単ですが、レッテル貼りは問題の解決にはならないものです。
別に官僚や公務員の肩を持つつもりは無いのですが、実際に公務員との付き合いがある身としては、単純な切捨てはおもしろくないのです。

.. 2010年03月13日 09:25   No.671010
++ カン       
自分も公務員との付き合いはありますが、公務員全員が極悪人だとは思っていません。しかし、彼らの上層部を制御するのは彼ら自身だけなんです(下部は上層部が制御している)。自分たちに関する事だから、基本的に給与が安いなら別の方法で補填する、といったやり方(役員の就任・退職を繰り返して退職金ゲット、とか裏金作りとか)を編み出して来たのだと考えています。先に上げた恩給制度ですが、現在新規加入することはできなくなっています(別の年金制度に移行)。美味しい制度だった恩給がなくなった時点で、色々考えた人間がいたのではないかなあ。
.. 2010年03月13日 20:39   No.671011
++ 多足       
彼らが腐っていく原因は、公務員の組織内部だけでは無いってのもお忘れなく。原因は沢山ある。内部由来のものから、外部由来のものまで。自分がやった仕事が、正当な評価を得ることが出来ない状態が何十年も続いてなお、士気を維持できるかどうか。そこにも注目しなければいけませんよ。
.. 2010年03月16日 07:49   No.671012
++ カン       
まずい部分を指摘するシステムが必要であるのと同様に、評価するシステムが必要なんでしょうか。しかし民間ではそういった仕組みは無い訳ですよね…
多足様が指摘しているように営利目的でない仕事である以上、民間と同じように考えてはいけないのかな。

.. 2010年03月16日 20:27   No.671013
++ 多足       
公的機関を評価するシステムってのは、マスコミがそれに当たることが出来るのですが、残念ながらマスコミも出資者がいる以上、公正さは失われてしまいます。また、視聴者が求めるものを作るって部分もありまして、視聴者の姿勢も問われるもので。
首相やその周囲での違法献金問題よりも、国際スポーツ大会の選手の素行の方が気になるって視聴者が多いと、自称「ニュース番組」で割かれる時間が、国政よりもスポーツが、って感じになるわけで、これはマスコミだけでなく視聴者にも責任があるわけです。
行政の場合、卑近な例で考えると、犬の散歩するときに糞の片付けをしない飼い主が多いと、苦情は役所に来るわけで。役場職員が犬の糞の処理をいくらやっても、頭の温かい飼い主たちがその後もいくらでも糞を落としていく。苦情は役場に来続ける。誰が悪いかは明白ですよね?
つまり、サービスを受ける側、情報を受け取る側にも責任ってのは発生するわけでして。国民一人ひとりの自覚、ってものが重要になってくるんですよ。この基礎になるのが「帰属意識」である、と思ってます。おお、ここで愛国心の話に戻ったぞw

.. 2010年03月17日 08:07   No.671014
++ カン       
マスコミも営利団体ですからね…広告を取ってナンボ、なんでしょう。国営放送すら、BSとかのCMを流してますし(地上波しか見れない視聴者だっているんだから、宣伝した番組は地上波でも流してほしいです)。話がそれました(汗)

民度の話になると、そこで議論が終わってしまうように思えますが…無論、多足様の言いたい事はわかるつもりです。国民は思考停止に陥ること無く、常に考えなければならない。しかしそれもまた理想のような気がしてきました(泣)十年くらい前から(遅!)思っているんですが、今後も心の中に不満を抱えながら生きていくしかないんだろうなあ。

.. 2010年03月18日 22:39   No.671015
++ 多足       
民度の話なんですが、これをなんとかする要素の一つが愛国心、帰属意識なんだと思ってるんですよ。教育の現場で愛国心を否定的に言うことが多い現状、民度は下がりたい放題なんじゃないかなあ。
教育現場の場合「愛国心」って言葉を乱発しない方が良いのかもしれませんが、その逆を行った結果が今の状態だからなあ。

.. 2010年03月19日 07:43   No.671016


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